Ⅰ |
第Ⅱ章 基盤の確立…全速前進ヨーソロー |
Ⅲ |
Ⅳ |
Ⅴ |
|||||
1975-1985 |
1986 1987 1988 1989 1990 1991 1992 1993 1994 1995 |
1996-2005 |
2006-2015 |
2016-2025 |
発足10年を経過したザ・ロープは順調に針路をとりながら航海を続けます。18年目の1993年には会員数も80名を超え、会報『ザ・ロープニュース』を定期発行。「情報の伝達、ベテラン会員の技術の紹介などを通じて、会員の知識・技術の向上をはかり、会員相互および国内外の同好会と親睦交流する機会を得る端緒になれば(栗田善一郎会長)」との狙いでしたが、いま振り返るとザ・ロープの航海日誌(活動の詳細な記録)はここから始まっているともいえます。
1986(昭和61年) |
11th |
チャレンジャー号爆発事故 チェルノブイリ原発事故 ダイアナ妃来日フィーバー
1/15-2/1

第11回ザ・ロープ帆船模型展
出品数52点。会員数60名超。帆船の歴史がない我々にとって17世紀から19世紀の模型を作るのは色々と苦労をする。 背骨の様なキール材の上に肋骨の様なフレーム材を乗せ、これに細い板材一枚一枚貼ってゆくので本体を作るだけでも手間のかかる仕事である。それにマストや細かい部品を一人でコツコツ作ってゆくのである。それだけでなく木屑を家中にばらまいたり、塗料の臭気で家族から文句を言われたり苦労もまた多いのである。このようにして作られたものは完成した時の喜びもひとしおで、右から見たり左から見たり、ひとりで悦に入っている。家族も感心してくれるし、ついほかの人に見せて自慢したくなる。このような作品を集めたのがこの展覧会でこんな苦労を想像して作品を見てください.。
ー 内藤秀夫会長(作品リスト「はじめに」より)
1987(昭和62年) |
12th |
NTTが上場、携帯電話サービスを開始 NHK衛生放送による24時間放送がスタート
1/15-1/31

第12回ザ・ロープ帆船模型展
出品数47点。会員数60名超。
12余年前、事務所の一郭で産声をあげたザ・ロープも今年で12回目の展覧会を開くことができました。これは会員の人たちの努力の結晶であることはもちろんですが、会場を貸していただいたり、その他、いろいろな援助をしていただいている伊東社長をはじめとする伊東屋の皆さんのご厚意によることが多く、またご来場の皆様方のご鑑賞をたまわり、会として深く感謝をしております。
私達は広く青い海の上を風をはらんだ白帆を広げて光る美しい帆船に魅せられて模型作りをはじめました。そしてその後何隻か作り、また本を読んだり図面を見たりしていると、本物の船はその国のその時代の最高の技術を駆使して建造されたものが数多くあることがわかってきます。
このような優れた船の模型を実物にできるだけ近づけ丁寧に作ろうとすると、製作の期間が次第に長くなり始め1年くらいでできたものが1年半、あるいは2年を要するようになり、展覧会に未完成の作品が出品されるようになってきます。また展覧会にはできるだけ多くの完成した作品を集めなければならないので、作品を集めるのにいろいろと苦労があるのです。こんな苦労のあることも知って作品をご覧ください。
ー内藤秀夫会長(作品リスト「はじめに」より)
1988(昭和63年) |
13th |
屋根付き球場「東京ドーム」完成 「青函トンネル」開通 「瀬戸大橋」開通 ファミコン用ソフト「ドラゴンクエストⅢ」発売大ヒット
1/15-1/30

第13回ザ・ロープ帆船模型展
出品数48点。会員数60名超。
帆船を「きずな」に、また貴方方にお会いできまして本当にうれしく思います。ザ・ロープ会員も早や70名を超える程になりました。毎年ここに並んでいる帆船は全部「今年こそは、うんと素晴らしく自分に恥じない船を」と思いつく限りの全力投を込めて製作し、出来上がった船ばかりです。中にはまだまだと思われるものもあるでしょうが、製作を2,3回重ねるとアッと驚くほど上達されることに間違いありません。貴方も時間を割いて始めてみませんか。私たちは喜んでお手伝いいたします。
ー内藤秀夫会長(作品リスト「はじめに」より)
1989(平成元年) |
14th |
「昭和」から「平成」へ改元 日本初の消費税スタート(3%) ベルリンの壁崩壊(ドイツ) 天安門事件(中国)
1/15-1/28

第14回ザ・ロープ帆船模型展
出品数51点。会員数70名超。
今年も1月がやって来て「ザ・ロープ」の作品展が始まりました。早いもので今回で14回目を迎えております。このように永く続けられたのも皆様の暖かいご声援のたまものであり、後援をいただいている伊東屋さんのおかげであると会員一同、大変感謝いたしております。また、こうして永く続けていますと、皆様から「とても楽しみにしているよ…」などと声をかけられることもあり、出品者一同の制作の励みとなっています。
ー内藤秀夫会長(作品リスト「はじめに」より)
1990(平成2年) |
15th |
任天堂より「スーパーファミコン」発売
1/15-2/2

第15回ザ・ロープ帆船模型展
出品数54点。会員数70名超。案内ハガキが4色カラー印刷となる。入場者数は10,042名を記録。
青い海に白い帆をあげて走る美しい帆船を夢見て発足した「ザ·ロープ」の展覧会も今年で15回になりました。思い出してもよく続いたものだと感心しています。
伊東屋の方々の御厚意によってこの会場で開く事になつた昭和51年の第1回の展覧会の時は、会員の数も少なく展覧会をどのようにしたら出来るかも分からないまま、作品を集めるのに苦労し、どうやら無事に展覧会を開き沢山の方が見にこられた時は本当に涙の出るような喜びでした。
その後会員の数も次第に増して今では70名を越し、又船に就いての知識もついてだんだんと立派な作品も出てくるようになりました。その間大きなトラブルもなく無事に今日まで続けられましたのは伊東屋の方々の絶大な御援助によるところが大きく私共も深く感謝しております。お陰様で回を重ねて15回になりますとこの展覧会も銀座の風物詩であるばかりでなく日本の各地から見に来られる方も多く、今では帆船模型について日本で一級の展覧会になつたと自負しています。
ー(作品リスト「はじめに」より)
1991(平成3年) |
16th |
ソビエト連邦の崩壊 湾岸戦争(イラクvs多国籍軍) バブル崩壊
1/15-1/29

第16回ザ・ロープ帆船模型展
出品数48点。会員数80名超。この展覧会も今年は48隻の作品を飾って無事に16回目を開く事が出来ました。
これは会員の方々の精進は勿論のことですが、伊東屋の皆さんや会場に見にきて下さる方の御陰と深く感謝しており、本当に有り難く厚く御礼を申し上げます。
この会は一時のような帆船模型製作のブームの去った後も毎年着実に発展して今年は会員の数も80名になりました。
帆船の模型は作り始めると段々と深く入り色々な知識がつくと共に細かく正確に作るようになって立派な作品ができて来ますが、この会はあくまでも趣味の会として運営をしていますので作品には等級をつけず、作り方も自由で、作品よりも作り方を通して会員相互の懇親を主体にしています。一年に一度のこの展覧会はその意味でも私達が大変に楽しみにしている機会なのです。
ー(作品リスト「はじめに」より)
7/25-
1992(平成4年) |
17th |
東海道新幹線「のぞみ」運転開始 任天堂よりスーパーファミコン用ソフト「スーパーマリオカート」発売、大ヒット
1/15-1/30

第17回ザ・ロープ帆船模型展新装なった伊東屋ギャラリーで開催
出品数54点。新装なった伊東屋ギャラリーで開催。会員数82名。
今回の帆船模型展は会員と同好者の作品の他に、製作途中の帆船模型を展示しました。製作のプロセスをご理解いただく一助になればと考えておりますので、ご不明な点がありましたら会員にお尋ねください。
皆様の模型製作の動機となり、ザ·ロープに入会される方が多くなれば、この上ない幸せです。これからも皆様に愛され、期待されるザ·ロープになるよう一層努力をいたしますので今後もご支援の程よろしくお願いいたします。
ーザ·ローブ会長 栗田善一郎(作品リスト「はじめに」より)
1993(平成5年) |
18th |
サッカー「Jリーグ」開幕 皇太子さま、雅子さまご成婚 シャープが携帯情報端末 (PDA)「ザウルス」を発売
1/15-1/30
8/24
会報『ザ・ロープニュース』を創刊
会員の知識・技術の向上と会員相互の親睦・交流に
B5判6ページ.モノクロでスタート。編集は主に白井会員が担当。以降12年間は幹事全員が協力しコピーしてポストに投函。
「この度、ザ・ロープのニュースを定期的に発行することにいたしました。いろいろな情報の伝達と、ベテラン会員の技術の紹介などを通じて、会員の知識・技術の向上をはかり、会員相互の親睦と交流に幾らかでも役立ち、併せて新しい会員の入会と、国内外の同好会の皆さんと交流する機会を得る端緒になればこの上ない喜びだと思っております」
ー会長 栗田善一郎 (ザ・ロープニュースの発行にあたり)
8/24
記事には、研修会の要素を折り込んだ例会の報告も

7月9日(金)、いつもの京橋「うすけぼー」で例会を開催しました。今回から 研修会の要素を織り込むこととし、講師のトップバッターは栗田会長にお願いしま した。題目は「エスメラルダ」の製作。栗田氏は製作中の「エスメラルダ」や同船 の工作用の治具等を持参、質疑応答も含め約30分間の研修会でした。研修会 の後の立食パーティーになっても、模型を取り巻いて質問や意見が相次ぎ、栗田氏 はビールのコップを片手に説明に大わらわでした。40名の出席者に対して会場が 狭かったこと、パーティー用の会場のため教室のような便利さがなかったことなど 難点はありましたが、内容的には第1回の研修会としては、成功したものと考えま す。また今年から「ザ·ロープニュース」を発行する旨の説明があり、掲載予定内 容のヒナ型を配布して、会員の皆さんに投稿をお願いしました。 午後8時30分 内藤前会長の手締めにより閉会しました。 ーザ・ロープ例会から (ザ・ロープニュースNo.1)
10/17
宮島俊夫会員が復元船サンファン・バウティスタ号の船内備品の制作を担当
復元船は仙台の山西造船所で建造され、船内備品は宮島俊夫さんが制作した。宮島さんは備品取付に造船所に出向き、飲まず食わずに眠る暇もなく奮戦された。
復元慶長使節船サンファンバウティスタ号奮!船!記

本業の風洞実験模型の合間に、支倉常長の慶長使節船サンファンバウティスタ号の船内備 品制作を手掛けることとなった。当初さほどの種類ではなかったのだが、小生の見積りが廉 価だったためか、大幅な増加になった。所謂和洋の火縄銃、石弓、大砲の装填具及び弾丸、 ランタン、砂時計、トラバース·ボード、デバイダー及びこれらの収納箱、オール、ハンド スパイキ、帆布箱等々。 こうした中で、銃や石弓などは採算度外視で夢中になったが、オールやハンドスパイキは 体にこたえるばかりですこぶる面白味がない。2か月ばかりかかった仕事も、最後は毎度の 事で徹夜となり、朝6時のトラックの発送にやっと間に合わせた。翌日一日掛けて残った仕 事を仕上げたのが午前1時であった。この日7時40分の列車で取付け作業に出掛けるため、 仮眠をし、朦朧として東京駅へ。同行のI氏、A氏と共に仙台へ向かう。疲労と睡眠不足で 朝食を取る気になれず、仙台に着いてから弁当を買うことにした。ところが仙台線の椅子は 普通の電車タイプのもので、やむなく断念。10時40分頃石巻より4つ手前の矢本駅に着 いて、駅前の食堂でやっと朝食にありついた。ー宮島俊夫 (ザ・ロープニュース No.2 1993年11月30日)
10/17
伊東屋と共催で第1回帆船模型講習会
竹内久講師「船体の作り方 ー初歩から中級まで」
講師の竹内久さんは、豊富な経験に基づき、8頁にもわたるレジメを用意すると共に、制作の各ステップを表した模型を5隻も詩参。竹内さんの講演は手憤れたもので白井さんも黒板を使い竹内さんの解説に合わせた図を描くなど全舷的に初心者にも分かりやすい解説。伊東屋は会議室を特別に開放。出席者は会員22名、会員外24名はザ・ロープ会員予備軍。
(ザ・ロープニュースNo.2)
12月
MODEL SHIP BUILDER誌にザ・ロープ展のレポート高い技術レベルを評価する一方で課題も指摘
世界最大の帆船模型雑誌"Model Ship Builder"1993年11/12月号に第18回帆船模型展をフォンチノーイ氏がレポートし、雑誌の表紙と巻頭記事を飾る。内容は単なる紹介記事というよりは、深い知識と永年の経験に基づく優れた論文で一読に値する。
日本のモデラーが直面している問題は、1)語学の障害(特に海事関係の技術用語について)、2)資料不足、3)職業的に帆船関係の資料とは無縁、と指摘。結果として、日本のモデラーは独自の謁査を必要とする帆船を選ぶよりは、既に徹底的に詞査され出版されているプードリオやアナトミーシリーズといった書物に頼らざるを得ない。その結果完成した模型の正確さはその書物の質に依存してしまう。
日本で製作された模型の技術レベルは高くアメリカのクラブメンバーの平均水準より数段上。ただ、構造上やリギンの細部における間違いはアメリカで通常見られる誤りより多い。
- 宮島さん「ワサ」・・・「注目に値する模型」として第一番に記述している。 この模型は彼の家から出せなくならないよう3つの部分に分けて製作している? 彼は優れた彫刻家であり、そのことがワサの製作にあたって成功している。
- 坪井さん「ハリファックス」1/300・・一番小さな注目すべき作品がある。船体は大変小さいながら、その構造は何とブランク・オン・フレームである。 この模型は極めて精巧としか言い様がない。彼の工作の質は極めて高く、私が今まで見て来たアメリカのプロの作品、例えばミスティック・シーポートの博物館にあるような作品より優れている・・・ (ザ・ロープニュースNo.3)
1994(平成6年) |
19th |
関西国際空港が開港
1/15-1/30

第19回ザ・ロープ帆船模型展福島帆船同好会から5点出品
出品数51点(会員34点、会員外11点のほか、福島帆船同好会から特別出品が5点)。会員数87名、入場者数7,432名。
各地のザ·ロープの皆さんや同好会の方々がたくさん来場されたほか、共同通信社からの取材があった。会期中の第2回帆船模型製作講習会(別掲)や休日の小林会員による実演はいずれも好評であった。最も印象的であったのは、1月29日の伊東屋さんのご厚意によるクロージィングパーティーの席上、同社の塩沢取締役から「伊東屋の続く限りこの帆船模型展は続ける」とのお言葉をいただいたことである。ザ·ロープとしては百万人の味方を得た思いであり、出席会員に強い印象を与えた。ご期待を裏切らないよう一同頑張りたい。
(ザ・ロープニュースNo,3)
3/25-3/27
アメリカの展示会(WSMC&E)に出品
「世界のミヤジマ」、「世界のツボイ」に踏み出す第一歩
アメリカのShip Modelers Association (SMA)が主催する Western Ship
Modelers Conference & Exhibit 第1回にザ・ロープより6名 (栗田, 東,宮島,坪井,野上,岩波各会員)が参加。Queen Mary号で開催された展示会には坪井,宮島両会員が出品。大変な関心を呼び 「世界のミヤジマ」、「世界のツボイ」に踏み出す第1ステップとなった。さらに特筆すべきは東康生氏の活躍である。氏は完成したはかりの第19回帆船模型展のアルバムを持参し、得意の英語と優れた国際感覚で参加メンバーに紹介、ザ・ロープの名を高めてくれた。 ー栗田善一郎会長 (ザ・ロープニュースNo.4)
-------------------------
アメリカの帆船模型の会を見ると、東海岸が中心のようで、なかには南北戦争直後に設立 という古い歴史を誇る会もあるが、その殆どは設立20年前後ということだった。 今回、展示講習会を開き私たちを招待してくれた「シップ・モテラーズ・アソシエーシ ョン(SMA)」は、1976年設立というから、今年で18年目、メンバー数は122人、 数の上ではアメリカ最大のクラブだという。1973年ある模型店が開店祝いに近所の模型好きを招き、パーティーを開いたのが縁で、以来毎月、製作途中のモデルなどを持ち寄っての模型談義の集まりが、やがて会に発展したものだそうだ。
私事を振り返ってみると、初めてビリングボート社のキットに出会ったのが1968年、 アムステルダムでの事。夢ふくらませ、重いカメラバッグにあえぎながらキットの大きな箱を抱えて帰った。以来、旅に出ると必ず模型店をのぞくようになった。日本で初めてヨー ロッパ製帆船模型キットを見たのは大阪在勤中で万博の年、1970年のことだ。大丸デパートの模型売り場だった。東京に戻って一人シコシナ船造りをやっていた私に、「ザ・ロー プ」設立の話が転がり込んできたのが1975年のこと。 こうして時を追って見るとアメリカの仲間たちも同じ頃、同じ思いで”造船”に励み、 同好を募り今日があるのかと思うと、洋の東西に関係なく「結局、俺たち同じ仲間だな・・・」。 モデラー気質が見えて面白く、ひとり笑いがこみあげてくる。
ー「帆船仲間は皆同じ」東康生 (ザ・ロープニュースNo.6)
福田正彦会員のエッセイが会報に連載開始
金魚のヒーブツゥ
わが家の水槽に金魚が2匹いる。1匹はデブという名で、もう1匹はチビという。3年前に卵からかえったばかりの、ほんの数ミリ程度だった20匹の生き残りである。なにしろよく食べる。小さい頃から体格の優劣がかなりはっきりするもので、ダメな金魚が次々と脱落するなかで、やはり残るのは大きいものばかりといえる。デブは18センチある水槽の桟幅いっぱいで、チビでもその3分の2はあるから、水槽の大きさから見てもこれ以上は大きくなるまい。
飼ってみると金魚はなかなか可愛い。ぼくが座るとそれこそ何を置いても寄ってきて餌をねだる。かみさんはあまり餌をやらないからそれほどではないが、ぼくには大きな身体をよじって、身を震わせて餌をくれという。金魚だからしゃべるわけではないけれども、水面に半分口を出して、ばくばくと音を立てる。挙げ句の果てにはしゃんと水をはねかえす。餌をもらえるとなれば、背中をさすられても平気という食いしん坊である。
ところで金魚がどうやって餌を食べるかご存じだろうか。もちろん口で食べるのだが、浮いている餌にただやみくもに突進しても水槽の壁に鼻を(鼻があるとしてだが)ぶつけるば かりで、口にはいる餌は1粒か2粒にすぎない。がばがばと餌を食べるには水中で止まっている必要があるのである。ご存知のように、帆船が海面で錨を使わず に一時停止するには、いくつかの帆に風を受けて推力を得ると同時に、別の帆を裏帆にして(つまり帆の前側から風を受けて)逆の推力を得て平衡させる。これ がヒーブツウ、日本語では踟躊(ちぢゅう)という難しい言葉があるが、誰も使わない。
金魚はヒレで動く。背中には背ビレ、腹の方には前から胸ビレ、腹ビレ、尻ビレ、それと一番後ろに尾ビレがある。このうち胸ビレと腹ビレだけが対になっている。金魚をよく見ていると、餌を食べるときはゆっくりと尾ビレを動かすと同時に、胸ビレを懸命に動かしている。胸ビレは後ろ向きに生えているから、これを動かすと水を前に押しやることになって、後進力が働く。もちろん尾ビレは推進力だから、金魚は水中でヒーブツウしているのである。この方法だと金魚はどんな方向を向いても一時停止できる。
帆船は二次元運動だが、金魚は潜水艦と同じで三次元に動く必要がある。水面の餌がなくなると底の砂利に沈んだ餌が目標になって、逆さになって砂利を口に含んではぺッと吐き出す。これなんぞはまさにヒーブツウできなかったら、金魚そのものがざっくり 砂に突っ込んでしまう。水中に漂う餌は胸ビレを横に広げ、ゆっくり上下に動かして水平を保ちながら、尾ビレで前進して食べる。なんだか余り役に立ちそうも ない小さな胸ビレだが、ひどく重要な役をしていることを発見して嬉しくなった。
「なーんだ、そんなのジョーシキだよ」と言わないでほしい。「オーィ、金魚は ヒーブツウするぜ」とかみさんに怒鳴ったら、もう3回目よと言われて落ち込んでいるのだから。
ー福田正彦 (ザ・ロープニュースNo.6)
1995(平成7年) |
20th |
1月 阪神淡路大震災 3月 地下鉄サリン事件 7月 Amazon.co.jp 開始 11月 Windows95 日本発売 野茂英雄投手ドジャーズに入団、新人王
1/15-1/30

第20回ザ・ロープ帆船模型展作品の解説は今回から苦心談を中心に
出品数69点。会員数87名。出品数は会員53点、会員外16点の合計69点という賑わいで、大作·力作が目立ち、この日のために頑張った会員の熱意が偲ばれた。また出品リストも、帆船の時代別解説を最初に纏めると共に、各作品の解説は製作の苦心談を中心に記述するよう、今回から形式を改めた。会場の展示も概ね出品リストの順(年代順)にしたが、見た目にも纏まった印象でなかなか良かった。
入場者は男性 6,369名、女性 2,477名、計8,846名にのぼり、特に初日の入場者 1,401名は新記録であった。ザ·ロープ·オーサカの浦田会長をはじめ各地の同好会の方が多数来場されたほか、テレビ東京、テレビ朝日などの取材があった。1月28日、伊東屋さんのご厚意による20回記念の立派なクロージィングパーティーに改めて感謝します。なお今回、初めての試みとして、会場にアンケート用紙を置いた。
ーザ·ロープ会長 栗田善一郎 (ザ・ロープニュースNo,7)
20周年記念誌の発行
☆ ザ·ロープとして初めて発行した記念誌は予想以上の出来栄えで、皆さんからも評価されたことを喜んでいる。企画をした人、取材をした人、会員が外部に発表した古い記事を集めた人、散らばっている資料やデータを集めて整理·分析した人、感想文を書いた人、ワープロを打った人、それをパソコンに読取りレイアウトした人、文中にイラストを入れて面白くした人、表紙をデザインした人、校正に汗水を流した人…。多くの会員が素晴らしい才能を発揮し、執念ともいえる努力でようやく仕上げることができた。さすがわがザ·ロープの会員は多彩である。
☆ 最初は原稿がなかなか集まらず困ったが、2月のある日、武井さんの事務所で役員会を開催し、ザ·ロープ設立当時の話をしてもらった。「酒を飲ませれば話が弾むだろう」との思惑は見事的中し、ついには「これは記事にはしないでくれ」とのオフレコ付きの発言が多発。この時の話(オフレコ部分はやむなくカットしました)が4頁から8頁に纏められている。ーザ·ロープ会長 栗田善一郎 (ザ・ロープニュースNo,9)
5/22-5/23
アメリカの展示会 (The Mariners' Museum and Park) に出品した坪井悦朗会員の作品が入賞
アメリカ東海岸、バージニア州ニューポートニューズにある海事博物館 'The Mariners’ Museum and Park' 主催の1995年度展示会に奥村会員、坪井会員が出品。坪井悦朗氏出品のHalifax (1/300) が見事入賞し、ザ・ロープの名をあげて帰国(この競技大会は5年に一度開かれる)。ザ・ロープの帆船模型製作水準はまんざらではないことの証明になり甚だ喜ばしいことである。来る2000年にも出品予定である。
ー奥村義也会長『振り返り日記』(ザ・ロープニュースNo.27 )
8/9-8/14

20周年記念帆船模型展・記念講演
伊東屋9Fギャラリーで第1回以来の作品50隻を展示。期間中 8/12、杉浦昭典氏 (元神戸商船大学教授) および高橋泰邦氏 (海洋小説翻訳家) の記念講演。
----
記念講演「翻訳と海」
―うれしく忘れることのできないエピソード
帆船物を訳すようになってから23年経つが、模型を見て自分のイメージを作っている。ザ·ロープの帆船模型展は第1回から拝見している。第3回帆船模型展の打ち上げパーティーの席で、会員の小林さんが「あなた、ホーンブロワーシリーズを読んでおられますか」と、ポケットから本を取り出して聞かれた。なんとも言えずにやにやしていると「この親父読んでねーな。読まない奴がこんな所で食ったり飲んだりするな」と睨み付けられ、いかに面白いかということを滔々と述べられた。そのうち私のスピーチになって戻ってきたら、小林さんが「あ…あなあな、穴があったら入りたい。先生も人が悪い」と直立不動。これは大変に嬉しく忘れることのできないエピソードである。出版社の担当者と話す度に話が出るが、かならず「うれしいですね」となる。また、ホーンブロワーシリーズの中で、ホーリーストンで磨きこんだ甲板を「月影に白い」と訳したら、「これを模型の甲板にぜひ表現したい。生地でもなく、ステインの着色でもなく、その表現に苦労している」といった会員の人もいて、励みになっている。
ー高橋泰邦氏 (海洋小説翻訳家) 「翻訳と海」の記念講演より
(ザ・ロープニュースNo.9 1995年8月)

8/25
-10/22
第12回全国都市緑化ちばフェアの海のシルクロード社パビリオンにザ・ロープ会員の作品30点を展示
建設省主催、第12回全国都市緑化ちばフェアに海のシルクロード社が単独パビリオンで参加、これにザ・ロープから作品30隻を貸し出す。なお輸送の都合で出品はすべて先般の20周年記念展の出品作品とし、20周年記念展の会場から移送した。(ザ・ロープニュースNo,9)