Photo Gallery of the 27th Annual Exhibition 2002
17世紀以前の帆船
27-01
エジプトの船
Nave Egizia
BC2500 エジフト
1/35 スクラッチビルト
岩倉義昌 Yoshimasa IWAKURA
紀元前2500年頃、エジプトは平底船によるナイル河の航海の外に、木材や香料を求めて地中海や紅海方面まで交易に行き来していた。模型は第5王朝サフラー王の墳墓に描かれていた船を模したもので、船首の絵は聖眼ウジャトと云われハヤブサの頭を持つ神を表し、船尾は生命を表す古代語ヒエログラフです。この船は釘を使わず縄で組み立てるため組立が難しかったが、背景のパネルも凝ったので、パネル制作費が船より高くなった。
27-02
サンタマリア
Santa Maria
1492年 スペイン
1/50 マンチェア社
木村 護 Mamoru KIMURA
コロンブスが黄金の国ジパングを目指した第一次航海の旗艦。この航海で新大陸を発見することになった。サンタマリアは正確な資料が残っていないためにヨーロッパで造られた復元船(レプリカ)もそれぞれ異なった型をしている。この模型はキットの図面を基本として草野和郎氏の著書等を参考にして製作した。船尾や側面の装飾は細木と真鍮板を使用し、見張り台や手すりはクルミ材で作り直した。製作途中、会の研修会に参加したが、工作精度の問題や根気不足もあり仕上がりはまだまだと感じている。
27-03
サンタマリア
Santa Maria
1492年 スペイン
1/50 マモリ社
三田村勝 Masaru MITAMURA
コロンブスの戦隊はサンタマリアを旗艦とし、ピンタとニーナの3隻で編成された。この時代はキャラベル船からキャラック船に移る過度期でサンタマリアだけがキャラック船であった。キャラック船は外板の平板張り(カラベルビルト)、丸みを帯びた戦隊と四角い横帆と三角帆の長所を取り入れたのが特徴で、冒険航海に適した船であった。船の構造などを勉強しながら満足できる作品を作りたいと考えている。
27-04
ハーフムーン
Half Moon
1609年 オランダ
1/50 コーレル社
奥村義也 Yoshiya OKUMURA
英国の探検家ヘンリー・ハドソンが1609年にオランダ東インド会社からの依頼により、ヨーロッパから西回りでインドに行く東洋航路発見のたまに使用した船で、大西洋を渡り新大陸で大きな湾を発見した。これがハドソン湾とハドソン河である。この模型は伊東屋帆船模型教室の教材として製作したもの。教材用には運搬に適した大きさで、製作は難しくなく、かつ帆船らしい形であることなど、多くの要素を満たさなければならない。
27-05
ハーフムーン
Half Moon
1609年 オランダ
1/50 コーレル社
西明秀哉 Hideya SAIMEI
ハドソン湾を発見した有名な船であるが、資料はほとんど入手できなかったので、16世紀のガレオン船などを参考にした。船体中央部のガンネルと手摺りは船幅方向にずれており、支柱の形状を決めるのに苦労した。甲板材は昔入手した堅くて白い材料を製材して使い、また、トップ(丸い見張り台)とボートは組み立て式で作り直した。
27-06
ハーフムーン
Half Moon
1609年 オランダ
1/50 コーレル社
三澤 寛 Hiroshi MISAWA
英国の探検家ヘンリー・ハドソンが1609年にオランダ東インド会社からの依頼により、ヨーロッパから西回りでインドに行く東洋航路発見のたまに使用した小型のガレオン船。ガレオン船は15世紀のカラックから進化したもので、16世紀になり船首楼と船尾楼は高くなっていった。本線は典型的なガレオン船である。この船型は17世紀中頃から船首楼と船尾楼が低くなり船も大型化していく。模型は外板張りで思うような曲線が出ず、不満ばかりの仕上がりである。
26-07
メイフラワー
May Flower
1620年 イギリス
1/60 アマティー社
上野宣孝 Noritaka UENO
英国の清教徒が国教会の圧迫から逃れるためにプリマスからアメリカ東岸の植民地へ渡っった際に乗船したガレオン船。180トンの小型船に101人の清教徒と25人の乗組員が3千海里を66日かけて航海した。この船は翌年英国に戻り3年後に廃船になった。キットの図面は寸法の記入が少なくて全体のバランスをとるのに苦労した。
27-08
ヴァーサ
Wasa
1628 スウェーデン
1/75 コーレル社
和田元夫 Motoo WADA
スウェーデン王グスタフ・アドルフがバルト海の覇権強化のためオランダ人技師に設計させた砲64門の戦列艦。1628年8月処女航海に出帆直後、突風により湾内で沈没してしまった。300年後に引き上げられ、現在ストックホルムのヴァーサ博物館で保存展示されている。一隻ごとにどこか一箇所凝ろうと思い、今回は船体外板と思ったが、徐々に妥協してアーッとなり、次は甲板と大砲を、と気を取り直したが結局30センチ以上離れて見れば、まあ立派な船になっただろうか。
27-09
ヨットメアリー
Yacht Mary
1646 オランダ
1/54 マモリ社
堀川 洌 Kiyoshi HORIKAWA
オランダに亡命していたチャールス・スチュアートが王政復古で英国王チャールズ二世になった時、アムステルダム市が寄贈したもの。オランダ船の特徴である舷側の卵型の板は、船の横流れを防ぐもので、現代ヨットのセンターボードに相当する。この模型は船体と艤装品の大きさのバランスに留意し、金属部品は木により自作、結果として作品全体のカラーバランスと部品の艤装の精度を上げた。ステンドグラスは全部異なった色で組み合わせて作った。
27-10
プリンス・ウィレム
Prince Willen
1651 オランダ
1/100 コーレル社
染谷文男 Fumio SOMEYA
オランダ王子ウィレムを冠した本船は1651年ミデルブルク港で進水。東インド会社が擁した最大の船で、武装商船として活躍したが、11年後にバタビア(現在のインドネシア)からオランダに向かう途中で遭難した。1985年オランダで復元され、昨年11月まで大村湾のオランダ村で係留されて公開されていた。キットは船尾の装飾金属がサイズオーバーで、仕方なく各々をカットせざるを得ず、組み込むのに苦労した。
27-11
フリードリッヒ・ウィルヘルム
Friedrich Wilhelm
1661 ブランデンブルグ
1/47 ユーロモデル社
浅田 信
ピラウプリンパウテの造船所で造られた全長125フィート、900トンの戦列艦で、250人の乗組員で多くの航海を行った。当時ブランデンブルグはフランスと戦争しており1692年のフランス戦艦3との戦いで艦長が戦死し、捕捉された後、火災で沈没した。高齢(89歳)になると体力も気力も衰えて、帆船模型づくりも楽ではない。
27-12
ボンバルダ
Bonbarda
1670 フランス
1/80 アマティー社
新井芳文 Yoshifumi ARAI
陸上では重くて扱いにくい臼砲を載せ、機動力を持たせようというアイデアによりフランスで生まれた異色の軍艦。全長の1/3もあるバウスプリットは先端の直径が2ミリと細い上、ロープの応力を受ける。ちょっとの衝撃で折ってしまったため、試行錯誤の結果、芯に1.5φのピアノ線を入れ桜材でサンドイッチにすることで解決した。やり直しは新しく作るより大変なことを痛感した。
27-13
ボンバルダ
Bonbarda
1670 フランス
1/80 アマティー社
高橋 宏 Hiroshi TAKAHASHI
強力な臼砲を載せたボム(爆弾)ケッチという種類の船。搭載された2門の臼砲は、90kgの炸裂砲弾を放物線を描いて発射することができ、陸上の要塞等の攻撃に使われた。船体側面の甲板から上(ブルワーク)の曲線がキット図面では判断に苦慮し、この再現に苦労した。リギングはやや太めのものにして重量感を出した。図面はリギングの詳細を省略しているため、ビレイピンを増設し、作り直しになった。
27-14
プリンス
Prince
1670 イギリス
1/78 アマティー社
渋谷 篤 Atsushi SHIBUYA
砲98門の三層砲甲板第一級戦列艦。当時は建造前に模型を作り、国王と海軍省の承認を受けることになっていて、その模型がロンドンの科学博物館に展示保存されている。ビクトリーとともに英国を代表する華麗な戦列艦と言われている。図面と金属製の装飾部品のみ購入し、他はスクラッチビルトである。以前作ったものを今回帆走状態にするにあたり、リギングをすべて作り直した。また帆自体も本物のように細長い布を貼り合わせて作った。考えれば考えるほど仕事が多くなってきた。
27-15
プリンス
Prince
1670 イギリス
1/140 アエロピッコラ社
小峯重信 Shigenobu KOMINE
英国が誇る砲98門装備のの三層砲甲板第一級戦列艦で1,395トンの船。船首、船尾の装飾が華麗で帆船の本にはよく掲載されているが、本船の詳細な資料はなく、正確な図面の入手も難しい。このキットには図面が1枚しかなく不明な点が多い。特にリギングの端部処理や艤装の詳細が記入されていなくてグレードアップに苦心した。小さい模型であるが風格が出てきて楽しくなった。