東 康生
アメリカの帆船模型の会を見ると、東海岸が中心のようで、なかには南北戦争直後に設立という古い歴史を誇る会もあるが、その殆どは設立20年前後ということだった。
今回、展示講習会を開き、私たちを招待してくれた「シップ・モテラーズ・アソシエーション(SMA)」は、1976年設立というから、今年で18年目、メンバー数は122人、数の上ではアメリカ最大のクラブだという。1973年、ある模型店が開店祝いに近所の模型好きを招き、パーティーを開いたのが縁で、以来、毎月、製作途中のモデルなどを持ち寄っての模型談義の集まりが、やがて「会」に発展したものだそうだ。
私事を振り返ってみると、初めてビリングボート社のキットに出会ったのが1968年、アムステルダムでの事。夢ふくらませ、重いカメラバッグにあえぎながら、キットの大きな箱を抱えて帰った。以来、旅に出ると必ず模型店をのぞくようになった。
日本で初めてヨーロッパ製帆船模型キットを見たのは大阪在勤中で万博の年、1970年の事だ。大丸デパートの模型売り場だった。東京に戻って一人シコシナ"船造り"をやっていた私に「ザ・ロープ」設立の話が転がり込んできたのが1975年のことだ。
こうして時を追って見ると、アメリカの仲間たちも同じ頃、同じ思いでか"造船"に励み、同好を募り今日があるのかと思うと、洋の東西に関係なく「結局、俺たち同じ仲間だな・・・」。モデラー気質が見えて面白く、ひとり笑いがこみあげてくる。
今回の訪問で、多くの友人ができた。コロラドのロバーツさんからは、より広い交信をとのメッセージと一緒に、全米の帆船模型クラブのリストが送られてき た。SMAただ一人の日本人メンバー小森田さんからは、来年5月に開かれる全米の模型展への参加を勧める話もきている。「ザ・ロープ」の記念すべき年に、 実り多い訪問だったと喜んでいる。
(ザ・ロープニュースNo.4)
アメリカの帆船模型グループは、やはり、歴史の古い東海岸が中心と問いたが、御存じのようにこの趣味は、蒐集するにしても、造るにしても、いたって個人的色合いが遠い。従って会それぞれの集まりも小さく、また生まれたり、消えたりと、その実態はよくつかめないのが実情だ。
船舶模型雑誌として世界最大を自称する「モデルシップ・ビルダー」誌のリストには、全米で30余りのクラブがあるが、とてもそんな数とは思えない。古さと伝 統では、1865年、南北戦争直後に設立された名門「シップ・モデラーズ・ギルド・イン・ニューヨーク」が、30人の会員ながら、いまも活発な活動を続け ている。それよりも古い歴史を持つ帆船模型クラブがメリーランド州にあると聞くが、詳細はつかめていない。バージニア州ニューボートで、5年に一度帆船模 型の展示と併行してオークションが開かれると問いたが、その主催団体も運営の詳細も分からない。目下照会中だ。
今回の「西部模型展示会」を主催したシップ・モテラーズ・アソシエーション(SMA)は、ロス・アンゼルス近郊のモテラーを中心に、アメリカ西海岸で活動するグループで、会員数は122人。数の上では、アメリカ最大の船舶模型クラブだ。
会長のビル・ラッセルさんは63才、もとノースロップのエレクトロニクス・エンジニア、いまは州立カルフォルニア大学教授。会員の平均年齢は、私たちの会
「ザ・ロープ」と期せずして同じで、60才だとか。すでに仕事の第一線を退いた人が多く、会員構成は私たちの「ザ・ロープ」とさして変わらない。また、若いメンバーが少ないという悩みも共通で、「若者集めの、何か良いアイディアは・・・」思わずふたりで同時に口をついて出た言葉に苦笑しあった。
驚いたというか、感心したというか、SMAには会則がないのだ。所詮、遊びの集まりだから、堅苦しい縛りはなしで、気楽にやろう、必要なのは会員相互の 連帯責任だけ。こんな哲学で会をまとめ、見事、この18年の荒波を乗り切ってきた。この精神を ”ステアレイジ(舵給)・コミティー”、帆船乗りの仲間意識
とでも訳したら良いのだろうか、と自称し、会の何ものにも変え難い誇りにしている。私たちの会が、その名前を会貝相互の心と心をっなぐ”ザ・ロープ”と称 し、その主旨のままの運営の結果として迎えられた20年と、一脈通じるものが有る。
SMA の入会申込書を見せてもらった。 会員の入会動機をみると、単に模型造りだけでなく、そのコレクション、写真撮影、海事史研究と、船の事なら何でもという幅の広さに驚いた。一方、会の活動 として全国の模型店、工具店、材料店から古本屋、海事資料閲覧方法までも積極的に紹介斡旋をしている。ちょっとパーツを貰いに行くのに10マイルも車を走 らせるという国だ。情報の紹介、斡旋が会員の大きなメリットになっている。
もう一つの特徴は彼らの言う ”Deep and Narrow” という傾向だろう。毎年の展覧会のために必ず一隻は造ることを条件にしている会(ケンタッキーのマリーン・モデラーズ)もないわけではないが、一般的に は、じっくりと取り組み、一隻仕上げるのに数年かける。模型造りと並行して、その船の歴史的背景を調べ上げ、完成時にはいっぱしの海事史研究家になっていた、と言うケースも珍しくないようだ。
帆船があってこそ建国、発展を遂げる事の出来た国アメリカである。だから豊富な資料が、沢山残されているし、Naval Architect(海軍省技術部)、Nautical Research Guild(海事調査会)などの協力も得られる。また、各地の海事博物館には、忠実に再現されたレプリカ船があり、乗船して往時を偲ぶと同時に実船の研究
もできる恵まれた環境もある。すでに会員の模型に関する著書が9冊も発行されていることからも、この会と会員たちのの生半可でない所が分かろうというもの だ。
(ザ・ロープニュースNo.5)
SMA (Ship Modeler's Association)の 中で最も活動的で、強い団結を誇るグループ、メイフラワーのことを書いておきたい。このグループは、1990年に生まれた。SMAが結成されて14年目を 迎え、会の発展と共に会員数も多くなった。ただ模型造りが楽しい、面白いの時代は過ぎ、仲間の技術向上が討議されるようになった。そんな時、古い会員のビ ル・ウイックさんから、製作経験の浅い会員が、一緒に同じ模型を造ることで、製作テクニックを学びあう機会をつくろう、そのために、毎週末、自分の家を解 放するが、との提案があった。この提案は早速実行に移された。造る船は合議の結果、圧倒的多数で“メイフラワー”と決まった。
メイフラワーは、1620年、英国国教会の迫害を逃れた清教徒を乗せて大西洋をわたり、現在のマサチューセッツ州プリマスに新植民地を開き、その後のアメ リカ独立の滞神的支えを造った歴史的船である。17世紀英国の典型的ガレオン船で、この船のレプリカがプリマス港に係留されているので、実物を参考にでき
る。ヨーロッパ、アメリカ(日本でも)で、この船のいろいろなキットが発売されており、ポピュラーで造りやすく、帆船模型の初歩を学ぶには最もふさわしい 船だと判断したからだ。
ビルの指導で始まった集団製作は、個人でシコシコ造っているより能率的だし、励みになることも分かった。模型が完成した後もこの仲間は”メイフラワー・グループ“の名を残し、毎月一度、誰かの家に集まり、集団製作を続けている。気の合った仲間が10 数人も集って、一緒に作業できるスペースが個人の家にあるという住宅事情、毎回、5ドル程度の会費を徴収し、互いの負担を最小限にするなどの気配りが長続 きさせている理由でもある。
この グループが、いま目標にして励んでいるのか「ハンズ・メソッド」によるスクラッチ・ビルドのブランク・オン・フレーム・モデル(私たちが言うオリジナルのドックヤード・モデル)だ。今回の展示会場に、そのデモンストレーションとして、いくつかが製作過程を過って並べられていた。 初心者用模型から出発して、たった4年間で、帆船模型の究極とも言うべき、スクラッチのフレーム模型に挑戦するほどに成長したとは、帆船模型を知るだけに、驚きとしか言いようがない。今回の展示会を見ても、アメリカ人は手先が不器用だなんて誰が言い出したのだろう。日本人の独善的思い上がりでしかない事を実感させられた。
ラッセル会長が今年3月のSMA会報に寄稿しているが「メイフラワー・セミナーに出席して以来、ブランク・オン・フレームを造る事で頭が一杯になってし
まった。それでいて次に私が造ったのは、マモリのラットルスネーク。その仕上がりには十分満足してはいるが、もはやキットへの興味を失ってしまった。困ったことには、私はまだ3本も手つかずのキットを持っているのだ・・・。」彼の感慨には私も同感だ。そして帆船模型造りの究極、ブランク・オン・フレーム への夢は果てしなく広がるのだが・・・。
なお、SMAには、この他にタスク・フォースと呼ぶベテラン・グループもある。
ところで、「スクラッチ(Scratch)」という言葉だが、アメリカの老婦人と話していると「近頃の若い主婦は困ったものだ。インスタント食品はかり 使ってスクラッチ・クッキングをしなくなった」とよく嘆かれる。スクラッチ・クックとは、原材料から手をかけて作る料理を言うのだが、同じ意味で、キット ではなく、図面からおこす模型、私たちの言うオリジナルのことを言う。ところで、この”オリジナル”だが、私たちが、英語の正しい表現を知らずに自称して しまった言葉で ”ザ・ロープ特製英語”である。外国では通用しない言葉だということをこの機会に言っておきたい。
(ザ・ロープニュースNo.6)
帆船摸型の主流は、キット・メーカーの数からしても、歴史と風土からしても、当然ヨーロッパと考えていた。が、これはどうも問遠いだったらしい。去年の「西部帆船模型展示会」に出席して知ったのだが、モデラーの数も、活動の規模も、実はアメリカが中心に動いているのだそうだ。
今は、すっかり店頭から姿を消してしまったアメリカ製キットだが、良いものが沢山健在であることも分かった。困ったのは、縮尺表示の違いで、1/4と表示 してあるのは、1フィートを1/4インチに縮尺したという意味。私たち流に換算すると、1/48スケールということになる。計算機片手に少々頭をひねらね ばならない面倒さがある。
メリーランドにある "The Laughing Whale(笑う鯨)" 社は、初心者向きとはいえ、ユニークなキットを発売している。1898年、史上初の単独世界周航を果たしたスローカムの「スプレー号」(1977年、高橋 義邦さんの訳で草思社から「スプレー号世界周航記」として出版。また、竹内さんが、この本の図面をもとにスローカムの人形が乗った1/50スクラッチ・ビ ルドを第3回展に出品している)や、漁船、ヨットなど24種類と3種の洋上模型がある。展示会場の片隅にブースを設け、いかにも塩っ気の濃そうな、それで いて気の良さそうな初老のオーナー夫婦が、訪れる客にキットの一つ一つをていねいに説明しているのが印象的だった。少々大まかな嫌いがないではないが、そ れが味になっているキットだ。
ソリッドを主に造っていた懐かしいモデル・シップウェイ社が、いまは模型全般を扱うモデル・イクスポ社の国内キット販売部門として健在だった。チェサピー ク・ベイのかき漁船「スキップ・ジャック」のキットを買った。56ページの歴史と製作図解の小冊子がついて45ドlk昔プラモデルを造った事があるし、昨
年の「舵」誌で乗船記を読んでいる。何かの機会に乗りに行きたいと考えている船で、まずは、模型を造ってからというわけだ(この船は、ザ・ロープ第18回 展に小野原さんが "ルーシーM" としてスクラッチ・ビルドを出品している)。
ザ・ ロープ・ニュースNo4.で栗田会長 が写真をつけて説明していた「ハンズ・メソッド」のブランク・オン・フレーム・モデル(私たちの言うドックヤード・モデル。通常のキットは、ブランク・オ ン・バルクヘッド・モデルと呼ぶ)のキットが売られていたのには驚き、嬉しくなった。オハイオ州のランバー・ヤード社の製品で、ハリファックス、ラットル スネークなど14種類があり、特殊なジグで板を組み合わせ接着した後、自分でフレームを切り出すキットと、組み合わせた板から正確なフレームがレーザー カットされたキットの2種がある。
このキットはマイク・レッドマンさんの店で買った。帆船模型好きが高じて、とうとうそれを商売にしてしまったとか、自分の苦労をモテラーに繰り返させない ために良いキットを提供したいという熱意をプリントして、会場で呼びかけていた男だ。私が買った キットはレーザーカットの"1/4=1”(1/48スケール)の16門スループ艦「HHS.DRUID」だ。注文を受けてから切り出すから「フレームには
何材を、ブランキングは何材にするかを決めてほしい」と質問され戸惑ってしまう。あれこれ材料見本を検討して、結局は桜材のフレーム、ブランクとデッキ は、"DEGAME"材(ツゲのような感じ、展示模型に多く使われていた)、ウェルとレールは、黒壇という組み合わせに落ち着いた。
ところでこの値段だが、日本までの船積料共で、なんと290ドル。信じられないほど安い。ところが、(6年)5月中旬には入手のはずのキットが、7月になっても届かない。”催促のファックスを打っても、あて先番号応答なし。武士の商法で倒産してしまったのか、或は、あきらめた頃ひょっこり到着するのか、ともかく、ただ待つに待った。結局、ぎりぎり7年1月の20回帆船模型展に間に合い、皆さんにお見せした通りである。
(ザ・ロープニュースNo..8)
帆船のライブ・ミュージアムとして有名なコネチカット州、ミスティック・シイーポートのアート・ギャリーが、1998年8月、10万ドルと史上最高 値のミニチュア帆船模型を売り出し話題になった。これは、ミニチュア船舶模型で世界的に著名なロイド・マッカフリーさんが作った1’=64” (1/768)全長8.89センチの ”H.M.S.プリンス” のブランク・オン・フレーム模型で、船首と船尾はツゲの滞巧な彫刻で飾られている(シ一・ヒストリー誌の1993-4年冬号、マリーン・アート・ニュース から)。この船が10万ドルなら、坪井さんのハリファックスは5万ドルの値がついて当然、との声が上がったいきさつの船でもある。
マッカフリーさんはサンフランシスコの北50キロのぺタルマに住み、SMAの会員たちとの親交もある。これは余談だが「今回、坪井さんと顔を合わせる機会がなくでホッとした」とまで言う人もあり、名人肌に有りがちな狛介な性格と、一部会員に疎まれている感じも受けた。
話 が横道にずれてしまった。今回のSMA訪問で知った事だが、そもそも欧米の船舶模型の会は、模型をアートとして求める大金持ちの趣味の会として始まってい る。そして、ここ20年ばかり、キットの発売を機に、にわかに広がった帆船模型コレクターの需要に応え、マーケットもプロ、アマを問わず作品本意で模型を 求めるようになったのだそうだ。ニューヨークの骨董品店として著名なノース・スター・ギャラリーのカタログには、作者名が明記され、作品の質によるランク が設けられている。クラスAの作品には、模型の大小などにもよるが5千から1万ドルの値がついている。
展示 会場で坪井さん のハリファックスの隣に、5200ドルの値札をつけて並べられていたプレァーさんの1/192のロイアル・キャロラインは、展示会2日目で売れてしまっ た。プレァーさんは、もとはフィリップスに勤めたエレクトロニクス・エンジニア。1990年に退職してからは、毎日4時間は模型三味の暮らしという。
サンフランシスコのクリストファー・ベルというアート・ギャラリーと専属契約を結んでいる。今回の着手ャロライゾの値段もアート・ギャラリーがつけた値段だとか。1989年に「瀬戸大橋のたもとにある博物館に大型の帆船模型を納めた。日本にもこんな優れたモデラーがいるのに、どうして私の所に・・・」と不思議がっていた。アート・ギャラリーばかりでない、船会社や博物館からの製作依頼もある。会にきた依頼は、会員に適宜振り分けているが、結構忙しいとの事、羨ましい話である。
VCRの修理店を営むトロットさん製作の ”アメリゴ・ベスプッチ(1/84、全長1.25メートル)” を1万4千ドルで貰いたいとのホノルル海事博物館からの話を断った。理由は単純、「もう千ドル出してくれたらね」。アメリカらしい至極ドライな返事が返っ てきた。ハンツインガーさんには、スペインの船会社から話があったが、のっけから値切ってきたから断った。「私はアマチュアであることを誇りにしている。
その誇りを傷つけられてまで、売る必要はない」。いかにもドイツ系らしい気骨ある話も聞かされた。アマチュアなればこそ、プロのような妥協をせず完璧を期する。私も彼の心意気に同感だ。
趣味の模型造りの収入で家を建てた。その家が、先日のロスアンゼルス大地震にびくともしなかった。さすが ”模型で建てた家” と評判になったと言う笑い話も聞いた。
「どんなに立派な作品でも、仲間内でほめあっているだけでは始まらない。売る売らないはともかく、誰にも分かり、納得できる客観的価値が示されることは、本人の励みばかりか、一般への啓蒙になる」という奥村さんの日頃の主張の通りに、アメリカの模型界は動いている。
我が家の造船所も、趣味と実益が兼ねられたらもうすこしば槌音高く励めるのだが。
(ザ・ロープニュースNo.7)