BC2500 エジフト
1/35 スクラッチビルト
岩倉義昌 Yoshimasa IWAKURA
紀元前2500年頃、エジプトは平底船によるナイル河の航海の外に、木材や香料を求めて地中海や紅海方面まで交易に行き来していた。模型は第5王朝サフラー王の墳墓に描かれていた船を模したもので、船首の絵は聖眼ウジャトと云われハヤブサの頭を持つ神を表し、船尾は生命を表す古代語ヒエログラフです。この船は釘を使わず縄で組み立てるため組立が難しかったが、背景のパネルも凝ったので、パネル制作費が船より高くなった。
1492年 スペイン
1/50 マンチェア社
木村 護 Mamoru KIMURA
コロンブスが黄金の国ジパングを目指した第一次航海の旗艦。この航海で新大陸を発見することになった。サンタマリアは正確な資料が残っていないためにヨーロッパで造られた復元船(レプリカ)もそれぞれ異なった型をしている。この模型はキットの図面を基本として草野和郎氏の著書等を参考にして製作した。船尾や側面の装飾は細木と真鍮板を使用し、見張り台や手すりはクルミ材で作り直した。製作途中、会の研修会に参加したが、工作精度の問題や根気不足もあり仕上がりはまだまだと感じている。
1620年 イギリス
1/60 アマティー社
上野宣孝 Noritaka UENO
英国の清教徒が国教会の圧迫から逃れるためにプリマスからアメリカ東岸の植民地へ渡っった際に乗船したガレオン船。180トンの小型船に101人の清教徒と25人の乗組員が3千海里を66日かけて航海した。この船は翌年英国に戻り3年後に廃船になった。キットの図面は寸法の記入が少なくて全体のバランスをとるのに苦労した。
1661 ブランデンブルグ
1/47 ユーロモデル社
浅田 信
ピラウプリンパウテの造船所で造られた全長125フィート、900トンの戦列艦で、250人の乗組員で多くの航海を行った。当時ブランデンブルグはフランスと戦争しており1692年のフランス戦艦3との戦いで艦長が戦死し、捕捉された後、火災で沈没した。高齢(89歳)になると体力も気力も衰えて、帆船模型づくりも楽ではない。
1670 フランス
1/80 アマティー社
新井芳文 Yoshifumi ARAI
陸上では重くて扱いにくい臼砲を載せ、機動力を持たせようというアイデアによりフランスで生まれた異色の軍艦。全長の1/3もあるバウスプリットは先端の直径が2ミリと細い上、ロープの応力を受ける。ちょっとの衝撃で折ってしまったため、試行錯誤の結果、芯に1.5φのピアノ線を入れ桜材でサンドイッチにすることで解決した。やり直しは新しく作るより大変なことを痛感した。
1670 フランス
1/80 アマティー社
高橋 宏 Hiroshi TAKAHASHI
強力な臼砲を載せたボム(爆弾)ケッチという種類の船。搭載された2門の臼砲は、90kgの炸裂砲弾を放物線を描いて発射することができ、陸上の要塞等の攻撃に使われた。船体側面の甲板から上(ブルワーク)の曲線がキット図面では判断に苦慮し、この再現に苦労した。リギングはやや太めのものにして重量感を出した。図面はリギングの詳細を省略しているため、ビレイピンを増設し、作り直しになった。
1670 イギリス
1/78 アマティー社
渋谷 篤 Atsushi SHIBUYA
砲98門の三層砲甲板第一級戦列艦。当時は建造前に模型を作り、国王と海軍省の承認を受けることになっていて、その模型がロンドンの科学博物館に展示保存されている。ビクトリーとともに英国を代表する華麗な戦列艦と言われている。図面と金属製の装飾部品のみ購入し、他はスクラッチビルトである。以前作ったものを今回帆走状態にするにあたり、リギングをすべて作り直した。また帆自体も本物のように細長い布を貼り合わせて作った。考えれば考えるほど仕事が多くなってきた。