セイル・アムス 2005 ツアー プロローグ


プロローグ:すてきな仲間

この欲張つたツアーの主な日的は3つある。最初は2本マストの帆船サクセス号での2日間のクルージング(バタビア号見学も) 、それにもちろん北海運河の土手でのSAIL AMS帆船パレードの見学、最後はストツクホルムでのヴァーサ号の見学である。幸いにというべきか、一部の人には疲れることにということだろうが、いくつかのおまけがついた。

アムステルダム海事博物館ではレプリカのアムステルダ号での砲撃演習、デルフトでの海事博物館とデルフト造船所博物館で建造中のDEDELFT号の見学。 ここではお客も少ないらしく案内のおじさんが喜んで詳しい説明をした上に端材を持っていかないかねといつてくれたり思いもかけぬ収種だった。ストツクホル ムは住宅街にある5人も入れば満杯の模型店ESKADER FARTGS MODELLERをびっくりさせ、偶然買物にきた現地のモデラーとも交歓できたし、塩澤さんが買い付けルートも確保した。

  船キチには付き合いきれないとい3人の奥さん方には添乗員の福田明広さん(正彦さんではない)が気を利かしてノーベリ賞の式典が行われる市庁舎、王様の宮 殿や買物案内までセットしてくれた。男どものおまけの極めつけはアイスバーと称する氷の世界でのドリンだが、なぜ極めつけかは読んでのお楽しみ。

こうして 18人の旅が始まった。 


“すてきな仲間”に恵まれ、18 人と添乗員として奮闘してくれた福田明広さんを入れた19 人のある意味では珍妙な旅の始まり。
“すてきな仲間”に恵まれ、18 人と添乗員として奮闘してくれた福田明広さんを入れた19 人のある意味では珍妙な旅の始まり。

日焼けした北ヨーロッパ人特有の金髪碧眼、赤い顔をした船長のヴィーベがコックピットに背を向け、サロンの入り口でこういった。
「皆さん、本船にようこそ。クルーのイーブリンとコック、犬の何とか(と名前をいったが覚えられない)は後ほどご紹介します。」
サロンから一段と低くなったダイニングに続く廊下の両舷に設けられた2人用のキャビンは、みんな同じ造りだからどれでもどうぞというわけで、皆は船室に向かった。とたんに、「ウッオー!!」
と大声が上がって船がびりびりと振動した。廊下よりも更に低くなったキャビンに誰か転がり込んだのだ。あれだけの大声を上げられるのは青木さんか梅田さんに違いない。


そもそも今度の旅は副会長の田中さんの発案だ。セイル・アムステルダム2005 という帆船パレードを見ようよ、ついでに帆船をチャーターして乗らないかという次第だった。その当の田中さんがやむをえない事情のために参加できなくて残念無念の思いだったろうが、参加した会員は12 名、おなじみの青木、安藤、上野、梅田、栗田、肴倉、塩谷、関口、土屋、坪井、三田村の諸氏と私である。
肴倉さんは青森からの参加だが、ずーっと昔ぼくのバミューダスループをみて、「福田さんの船はあったかいねぇャ」といくぶんかの津軽訛りで評してくれたことがある。うまい下手は別として造り手の気持ちが伝わるような船を造りたいと願っているぼくには最高の賛辞だった。ご本人はとうに忘れているだろうがぼくは忘れない。だから肴倉さんの参加はうれしかった。
その他は肴倉さんと同じ青森から参加の大柳昌造さん(「おおやぎ」ではなくて「おおやなぎ」なんだそうな)、おっとりした性格で船造りも20 年に近いとか。それと三田村さん紹介の伊藤康雄さん、デジカメを装着した三脚を半開きにしたまま人込みを縫って歩けるつわ者である。特別参加の塩澤さんは伊東屋としての目でみんなを見る、つまり顧客行動の観察と海外事情の視察を併せて見るという半面を持っていることを後で知った。粋な装いの紳士であることはご承知の通り。


なんといっても一行に華を添えたのは3 人の夫人方で、旅に出てまで事務局長だった安藤さんの夫人裕子さんは、誰やらから伝染して悪性に成長した風邪に悩まされたまま、後半はいくらか回復したものの大変お気の毒だった。タクシー移動のとき、「私に一言も掛けないでさっさと行ってしまうんですから・・」と言いながらも夫君と離れているのを見ることはまずない。いろいろ大変でしょとぼくにおっしゃるように、見るところはちゃんと見ているベテランの主婦だ。目下の悩みごとは“食事が終わってすぐ船に掛かることもないでしょうにねェ”ということだけのようですよ、安藤さん。
沈着冷静で船が沈んでもムービーを離さないような塩谷さんとは全く反対な性格にみえる夫人の朝子さんは、くりくりした目で面白いものは何事も見逃さない。事実、明るいきわめて積極的な人で、北海運河の“自然のにおい”のする土手で、伴走船の楽隊に合わせて一人で踊り出す行動派でもある。一面、生ハムに当たったよ、と蒼い顔をしてへたっている土屋さんを親身になって世話をするやさしさもある。それでも、朝子さんは「最終決定するのはいつもおとうさん・・」とおっしゃる。平和な家庭なんだろう。
栗田夫人の敦子さんはすらりとした端正な美人さんだが、カメラを向けられると
「わたし眼鏡をとったほうがいいかしら・・」
とおんな心を見せるし、男どもの会話にも積極的に参加しようという気配りも併せ持つ。夫君のタバコには悩まされているらしく、ぼくが喘息もちなので歩きながらタバコを吸っているやつを見ると後ろからいって蹴飛ばしてやりたいと思うんですよと言うと
「けとばして!」
と叫んで夫君を慌てさせたりする茶目っ気もある。蹴飛ばすのはわけないが、後が怖いからぼくは自重している。


10 日間も寝食を共にすれば、まして帆船のような小さな空間に2 日間とはいえ一緒であればどうしても地がでる。具体的なことは分からないにしても、それぞれが一国一城の主かあるいはそれに近い環境にいることが分かるほどみんな個性が強い。それぞれの主張があるし行動もそうだ。何しろ「じいさん」揃いだから(もちろん若い人もいるけれども)頑固でもある。それだけにお互いいやなこともあるだろう、気になることもあるだろう、時にはけんかになりそうにもなるかもしれないが、そこは大人で、取っ組み合いのけんかにはならない。まあ、それほどの元気はない。
一方で、何しろその気になればいくらでも話をする時間があるのだから、いろいろ話をするうちに生活のスタイルこそ違っても、基本的な考え方に意気投合する仲間を発見することもある。ぼくはそれで何人かのいい仲間に恵まれた。
こういういいところ悪いところ一切合財を含めて、ぼくは今度の旅で“すてきな仲間”に恵まれたと思う。18 人と、添乗員として奮闘してくれた福田明広さんを入れた19 人の、ある意味では珍妙な旅が始まる。
そう、この話は田中さんをもっと悔しがらせるのに役立つじゃないの、と言った人がいた。うーん、必ずしもそれを否定はできないかなあ。だからぼくはまじめに書くのだ。ただ、自由時間などではどうしても小数の行動になって、いささか個人的な色彩が多くなることを予めお断りしておく。

(福田正彦)