プリマス Plimoth


3月28日(月)快晴、外気は寒く風は冷たい。今日はプリマス、ニューベッドフォードおよびフェアヘブンを見てミスティックのホテルに至る盛り沢山な行程のため、予定を早めて8時30分、ボストンのホテルを専用バスで出発した。

 

バスは大型車なので11名はゆったりとした快適なバス旅行になった。アメリカのフリーウエーには2人以上乗っている車のみが走れる「カップル・ライン」があり、随時このレーンを走ったので、ほぼ予定通りのスケジュールになった。


メイフラワー2世号  Mayflower Ⅱ

プリマスはボストンの南東約40kmのケープ・コッド湾口にある落ちついた町で、バスで約1時間弱の走行。1620年、イギリスでの宗教上の迫害を逃れた102人のピルグリム・ファーザーズ(清教徒)がメイフラワー号に乗りこの地に上陸した。清教徒は上陸後、 寒さのために過半数の人が亡くなった。この地域一帯はアメリカ発祥の地プリマスプランテーションを中心にしてメイフラワーⅡ世号と共にアメリカのホームタ ウン(America's Hometown)と言われている。

メイフラワーⅡ世(Mayflower Ⅱ)
メイフラワーⅡ世(Mayflower Ⅱ)

現在、レプリカ船であるメイフラワーⅡ世号を埠頭に停泊させて、ミュージアムとして公開している。この帆船は1956年9月、第二次大戦時の英米友情のシ ンボルとしてイギリスのブリザム造船所で建造された。当時の工法で当時と同様の材料が使われている。色彩とデザインは当時の絵画を基にしている。ブラウン カラーの船体にダーク・レッドの帯状の外板を部分的に有し、17世紀の商船の装飾を施している。船尾中央に取り付けられた飾りの花はその名の通りイングリッシュ・メイフラワー(5月の花)である。レプ リカ船は1957年4月20日イギリスのプリマスを出発し、往時のメイフラワーよりやや南の大西洋のルートを単独で航海し、54日後の6月13日にアメリカのプリマスに到着した。長さ32m、巾7.6m、排水量236トン、3本マスト6帆の船である。

 

当時の服装で説明するスタッフ身長より短いベッド
当時の服装で説明するスタッフ身長より短いベッド

ミュージアム内には、ロープに結び目(ノット)を取り付け、船の速度を測るためのチップ・ログや「4時間当直」内でボードにペグを取り付けて船の速度と方向を記録するための「トラバース・ボード」および緯度や南北の位置を測定する「クロス・スタッフ」など当時利用された航海用器具などを手に取り観察するこ とができ、興味深かった。船内には当時の水夫の服装を身にまとったスタッフ2名が説明していた。船室内には大砲、巻揚機のウインドラスとキャプスタン、煉瓦製のオーブン等の装置が置かれている。この船内で102人の移住者が2ヵ月近く生活するにはとても狭く感じられた。船長用ベッドの長さもかなり短かく腰を曲げて座るような姿勢で睡眠をとっていた。

プリマスロック(Plimouth Rock)
プリマスロック(Plimouth Rock)

メイフラワーⅡ世号南側の少し離れた海岸にはイギリスから最初にたどり着いた地点の記念として「プリマスロック」が保存されている。花崗岩の表面に「1620」と彫られており、一見すると変哲もない小さな岩であるが、プリマス移住者の上陸地点としてアメリカ史上重要なシンボルとなっている。このプリマスロック(Plimouth Rock) 小岩の上には神殿の様な囲いが作られている。上陸地点について当時の記録はないが、1741年になり94歳のトーマス・ファウンスが父親の話として事実を確認している。何回か移転をしたことにより少しづつ小さくなり、現在では元々のロックの上部が約3分の1残り、重さは9.1トンである。

 

プリマス・プランテーション Plimouth Plantation

メイフラワーⅡ世号から南約5kmに「プリマス・プランテーション」がある。これはピルグリム・ファーザーズが上陸した当時のプリマスを再現したテーマパークである。入場料はメイフラワーⅡ世号を含めて29.5ドル/人。ここでは多くのスタッフが現実に生活をしていて、まさに「リビング・ミュージアム」である。

 

スタッフは6ヶ月の間、種々の訓練を受けて選ばれた人達とのことである。時代背景は移住後7年を経過した1627年を想定している。このパークは当時プリマス周辺に住んでいた先住民のワンパノアーグ族の居住区と砦に囲まれたイギリス村とに分かれている。それぞれが伝統衣装を身に着けて当時の文化、技術、生活習慣などを再現している。もちろん電気、水道、ガスなどはない。さらに彼らは当時の古い英語を話しているというが、残念ながら理解できなかった。

 

パークの面積は当時の1/3程度になっているがかなり広い。ワンパノアーグ居住区では白人系と思われる先住民の姿をした若い男性が、カヌーの内部を木材で燃やしながら刳りぬいて作る当時の製作方法を実演していた。同じくインディアン姿の若い女性が屋外のかなり寒い中で鍋を焚火にかけて肉の煮込みを作っていた。また、円形の独特のテント小屋内部では中央の焚火を囲み、酋長然とした中年のスタッフが地元高校生くらいの若者たちに囲まれて生活などの話をしており、その中でわれわれもしばらく話を聞いた。

先住民ワンパノアーグ族のカヌー造り、料理作り、酋長然の話(Wampanoag People's daily life)
先住民ワンパノアーグ族のカヌー造り、料理作り、酋長然の話(Wampanoag People's daily life)

なお、ワンパノアーグ族はプリマスで開墾を始めたピルグリム・ファ-ザーズたちに理解を示した建国の陰の功労者であるといわれている。他方のイギリス村は丸太を並べた塀で囲まれて砦になっている。砦の入口近くに2層の櫓が作られており、1階はお祈りの場と集会所を兼ね、2階には四方に大砲が置かれて、望楼になっている。アメリカで最初の通りであるライデン通り沿いには移住者の家族が住む10軒前後の小住宅が並んで建てられており、その内部は薄暗くベッド、暖炉を兼ねた調理場、テーブルなどが置かれている。もちろんランプはあるが、基本は日の出と共に起き、日没とともに寝るという生活だったであろう。砦内には他に小さな畑や畜産場、鍛冶屋などもあり、まさに自給自足の生活が行われている。井戸がないので水は近くにある川から取っていたようだ。屋外で若い男性が当時の方法で器用に手斧を使い4.5m長の太い柱状の角材を製作していた。

 

このパーク内には別の場所にクラフトセンターがあり、そこでは家具や食器をはじめとしたもろもろの道具が当時の方法で製作され公開されている。昼食はクラフトセンターで軽食をとる。17世紀初頭の古きアメリカ植民地にタイムトリップして、当時の生活を肌で実感するひと時を過ごすことができた。

(松原 滿)

ピルグリム砦入口の2階楼と住居および住居内部(Fort Gate and House of the English Village)
ピルグリム砦入口の2階楼と住居および住居内部(Fort Gate and House of the English Village)

ザ・ロープ行事予定