ブリストル Bristol


SSグレート・ブリテンの建造と変遷

1843年の日本は天保14年の徳川時代で、天璋院篤姫は7才にして島津本家の養女になる前、公武合体で政略結婚させられる皇女和宮は生まれる3年前であ る。当時、これだけの船を造れるのは世界一の先端技術を持つイギリスだけであった。この船を建造したグレート・ウエスタン汽船会社はこの巨大な客船を造る ために、ブリストルのこの地に新たなドック(グレート・ウエスタン・ドック)を建造した。ドック周囲の造船所建物は艤装品製作工場のほかに巨大なエンジン 組立工場を建てたが、現在、エンジン工場は残っていない。

全体の設計は卓越したデザイナーのブリュネル(Isambard Kingdom Brunel)が担当、構造設計はグッピーとパターソンで、強度チェックをブリュネルが行った。船体外板の鉄板リベット打ちは2列リベット工法を採用して 船底浸水防止策に配慮するなど新工法を採り入れた。推進のスクリューは当初2枚羽根で帆走時は水中抵抗を減らすためスクリューを船内に引き揚げていた。こ れは蒸気エンジンに対する信頼性がまだ低かった時代の名残りである。

進水から2年後の1843年の進水式、数千人の見物者1845年、ブリストルからニューヨークへ向う15日間の処女航海に就き、ニューヨークでは大 歓迎を受けた。乗客は252人、乗組員は130人であった。この航海は大西洋を横断した世界初の蒸気船であり、世界初のスクリュー船、世界初の鉄船になっ た。その後、蒸気エンジンの信頼性向上とともにスクリューは4枚羽根に、続いて現在の6枚羽根になる。

 

しかし、良いことは続かないのが世の習いで第2回目 の航海から悪天候や故障が続き、1846年には座礁事故を起こしてサルベージに莫大な費用がかかり船会社のグレート・ウエスタン汽船会社は破産した。以降 はあちらこちらに売却され、移民船になったり、倉庫代わりになったりして放置される。この船は天才と言われたブリュネルの才能で建造されたものではある が、鉄の船も、蒸気機関も、スクリュープロペラも既に存在していた技術で、彼が優れていたのはこれらの新技術を組み合わせて実用化したことにある。この船 は当時として新技術の集大成ではあったが、あまりにも大きく、運航システムや操船技術が不充分なため座礁したと言われている。1950年代に入り、この船 の歴史的価値と重要性が認識されて、1970年からは多くの基金と協力に支えられ、誕生のドックで修復されて公開になった。

 

ドックの底から海面を通して船体がゆらめいて見える
ドックの底から海面を通して船体がゆらめいて見える

ミュージアムの内容

ミュージアムの開館は夏冬で時間がずれるが11月から3月までは9時から午後5時までで、休日は年末だけ。入場料は£8.95で、チケットは一年間有効、何度でも再入場が出来る。入場して順路に従い、先ずエレベーターでドックの底を歩く。見上げるときらきらと輝く海面を通して船体の喫水から上がゆらめいて見える。まるで海底散歩の浦島太郎の境地になる。そう、喫水の部分に強化ガラスの天井があり、その上に海水を引き込み、「グレート・ブリテン」が海面に浮いている状態に見せている。心憎いディスプレイの出来映えに、思わずウン。

 

船尾に行くと大きな6枚羽根のスクリューと舵があり、動くかなと触ったがビクともしなかった。地上に出てミュージアムの建物に入ると大きな実物のヤード、2枚羽根スクリューの船内引き揚げメカニズムの展示、このミュージアム最大の見物になるエンジンの模型、帆船模型などが並ぶ。続いて「グレート・ブリテン」への乗船はミュージアムの螺旋階段を3階まで上り、左写真の左舷通路を渡りブルワークを越えて屋外デッキに至る。屋外デッキには煙突、艦橋(ブリッジ)、階下への階段室とスカイライト(明かり取り窓)しかなくて広々としている。このデッキを船首から船尾に向かうと途中に船体を横断する太い線が引いてあり、「これよりファーストクラス以外立ち入り禁止」の表示がある。この船は上から下まで前半分と後半分をクラス分けして格差をつけている。つまり、前半分は上の階から下までセカンドクラス、フォース(4等)クラス。後半分は上の階からファーストクラス、サード(3等)クラスになっている。

トライアングル蒸気エンジン

「グレート・ブリテン」最大の見物は実際に稼働している巨大な蒸気エンジンで、船底から屋外デッキまでの4階分をぶち抜いて設置されている。このエンジン の設計もブリュネルとグッピーが担当した。エンジンの斜め支柱が「おむすび」の様に三角形になっていることからトライアングルエンジンと呼ばれる。エンジ ンの大きな籠状ドラムがむき出しで回転している近くに立つと「うわぉーん、うわぉーん」と唸りながら目に前で回転しているのに圧倒される。この重さ7トン の大きなドラムの回転は早くもなく遅くもない毎分18回転、ドラム回転に合わせて動く4個の大きなチエーンの動きが目で追える速さで廻っている。いつまで 見ていても飽きない動きで、10分は勿論、エンジンマニアなら1時間でも見惚れる動きである。

少女が持つレバーがエンジンアクセル
少女が持つレバーがエンジンアクセル

チエーンの下方を覗くと船底付近で、スクリュープロペラの回転軸に取り付けている籠形ギアを2.95倍に増速してスクリュー軸を毎分53回転で廻し ている。このエンジン出力は1000馬力(745KW)で船足は12ノット(時速22km)に達したと記録されている。少し戻ってドラムを回転させるメカ ニズムは石炭ボイラーで発生した圧力5pd/sqエンジンのカット説明図の蒸気が直径2.2m(88inch)のピストンシリンダー4器を往復運動させ、 ピストンのクランク軸でドラムを回転する方法になっている。シリンダー1器当たり250馬力の大口径ピストンは物理的に高速運動が難しく、ゆっくり動くの でドラムの回転数ではスクリューの回転数が低いため、上記のような増速機構になった。また、シリンダーから排出した蒸気は冷却されて温水に戻り、再びボイ ラーで加熱する。今日の火力発電ボイラーと同じ仕組みである。ボイラー燃料の石炭はエンジンの両側に1200トンを蓄えて、ボイラーマンが交代勤務で24箇所の焚き口に投炭していた。現在はボイラー大ドラム前の少女が持つレバーがエンジンアクセル停止のため、エンジンは電気モーターで稼働させているが、すごい見せ物でただただ驚くばかりである。その臨場感には太平洋を横断している錯覚におちいる。

 

ミュージアムはこのエンジンを実際に動かして見せる事がエンジンの自重340トンに、160年前の老化した船体から判断して可能かどうか、専門家による検討を重ね、数年間におよぶボランティア活動・募金およびロールスロイスの技術支援によって成功させた。鉄板のあちこちに穴が開いているのに動かすのは偉業である。世紀の遺産と 言われるこの巨大船が第2回目の航海から座礁など運航トラブルに見舞われた原因は次の通りと考えられている。全長98mの船に搭載された新技術は素晴らし いものばかりであったが、いずれも造船技術に特化したもので、運航システムとのバランスが不充分であった。まだ帆船の操船術を残した時代に世界で最初の巨大船を操るには無理があったが、後世の船の発達には大きく貢献した。

屋外デッキの煙突.煙突の奥の渡り橋が操船指令を行うブリッジ
屋外デッキの煙突.煙突の奥の渡り橋が操船指令を行うブリッジ

この船の操船は船長、航海士が屋外デッキの中央、煙突の前にあるブリッジ(bridge)に立って、前を見るにしても船首のバウスプリットは60m程先にある。現代の船ではコントロール室は船首にあって、呼称はブリッジ(艦橋)である。「橋」ではなく「室」なのにブリッジと呼ぶのは「グレートブリテン」が「橋」上で操船指示をしたことに由来する。 舵取りは船尾デッキにある舵輪を2人掛かりで動かした。これまたブリッジからの距離は60m後ろである。船のスピードコントロールは写真の少女が持つレ バーの動きでピストンシリンダーに入る蒸気量を調整する方法で、操作員は4箇所のレバー前に一人ずつ配置された。ここは騒音のあるエンジンルーム内なので、指示がレバー操作員によく届くように頭上に銅製のラッパ状伝声管を設置して連絡していた。通信手段未発達の時代にはこれしかなかったが、指示から反応が出るまでにはタイムラグがあり、どだい迅速な対応は困難であった。

 

現在、ミュージアムでは技術スタッフを置いて質問に対応する外に、ファーストクラスのダイニングサロンでいろいろなイベントを開催している。その時は左の若きブリュネル(生き残り?)が案内役を務め、 いろいろのサービスをしている。船を降りてからはグッズショップで記念品を求め、歩き疲れてお腹がグーと鳴る頃にはカフェバー(Cafe Bar)での軽食と休憩が待っている。楽しいミュージアムで、持ち帰ったチケットは1年間有効。期限切れ前にまた訪れたくなった。

(安藤 雅浩)