ビンツ(Binz)/リューゲン島(Rügen)

 

 福田 正彦


第6日(2013年8月8日)

 

 

ボーンホルム島はデンマーク領だが、バルト海西域をぐるっと一回りして到着するのがリューゲン島でここはもうドイツ領になる。ほとんどポーランドに近い地域だが、ここはドイツで最大の島だという。キャプテン・ホーンブロアの小説で出てくるリューゲン島の戦いはこの島の西側の湾内で、今回は残念ながらそこへは行けない。


この日の朝食では珍しく白粥が出た。多くの日本人に配慮したのかもしれないが、岩崎さんが梅干を持ち出してみんなに配っている。久しぶりのお粥も悪くない。図書室でパレードの説明があるというのでぞろぞろと集まったが、栗田さんが要所を説明してくれる。こういう時は大いに頼りになる。

 

 

 

 

10時15分からタオルワークが図書室であるという。乗船以来、朝のベッドメークが終わるといつも珍しい動物がベッドの上に鎮座していて、時にはかみさんの黒メガネなんぞを掛けてこっちを睨んでいたりする。

 

どうやって作るのか興味津々で見に行ったが、成る程とうなるほど見事な手さばきで下の写真のような動物たちが生まれる。そのチーフは人のよさそうなセーラーで、すごいすごいと声をかけると嬉しそうに笑う。気持ちのいい青年だ。


 

11時に本船はビンツの沖に錨を入れた。堀岡さん、村石さん、霞さんと一緒にテンダーで上陸する。ここは砂浜の海岸で木造の長い長い桟橋が海に突き出ていてその中ほどにテンダーが着く。その桟橋をぞろぞろと歩いてやっと街に入るのだが、海岸に無数の変な箱みたいなものが置いてある。なんだろうと近付くとこれが風よけの椅子、いってみれば個人用の「海の家」だ。ここはよほどのリゾート地に違いない。


中央が大通りで両側にびっしり土産物屋や食べ物屋が軒を連ね、折から南部ドイツの休暇が終わって北部の休暇が始まる時期だとか、押すな押すなというほどの人通りだ。さすがに大国のリゾート地で、数階建てのがっしりしたビルが並び角にはオマールエビを食べさせるというレストランまである。昼はここでしようやとみんなと一とき別れてかみさんと街を見て歩く。「琥珀の道」に当るらしくて土産物屋ではたくさん琥珀製品を売っている。昼には例のレストランでぼくたちは生ガキ、霞さんたちはエビを注文した。堀岡さんは難しい顔で料理の写真を撮っているが、なにうまいうまいと結構えびす顔だった。たまには船から離れての昼食も悪くない。


 

やがてバスは海岸沿いに木立を過ぎてヤーゼムント国立公園に着く。ここは原始の植生と固有動物の保護地であると同時に、島の石灰岩の白い崖が売り物のようだ。帰り道、われわれの近くまで寄ってきた写真の鳥は人を恐れずうらぶれたカラスかと思ったのだが、後で聞いたところではこの地の固有種の鳥らしい。あいにくの雨模様で早々にバスに戻り、交通混雑のリゾート地を通り抜けて午後5時半には本船に帰り着いた。



この日、午後7時に船長主催のカクテルパーティとディナーに招待されている。実は2日ほど前に代理店の王子さんから乗船している各グループの代表が呼ばれているのであなた方夫妻に出てほしいと頼まれていた。ぼくは英語での会話ができない。何度も国際会議に出ているから英語ができると勘違いされるが、国際会議は政府間会議でテクニカルアドバイザーのぼくはしゃべる必要がないのだ。もちろん話を聞いてアドバイスする必要はあるが、予め各国のコメントは読込んでゆくから大体どんなことを言うかはわかる。あとほとんどの発言は専門用語の羅列だから、ちょっと耳が馴れれば何とかなる。ただ、会議は現地集合・現地解散だから一人旅には慣れている。こっちが金を払うという前提なら度胸と愛嬌でどうとでもなるが、それはいわゆる会話ではない。そんな次第で辞書もタイムラグもない会話はだめだと渋ったのだが、王子さんもいろいろ考えての上だったのだろう。一番年寄りの上に夫婦で来ているぼくらが適任と断じたらしくどうでも出てほしいという。止むを得ず引受けた。

招待されていないドイツ人夫妻が飛び入りで入ってきて断ることも出来なかったと後で聞いたのだが、不愉快な目にも会いながら「ザ・ロープグループ」代表では仏頂面ではいられない。イギリス人の隣にギュウと押し込められ、
「うちのかみさんはドイツ人でね。」
「ドイツ語で話すの?」
「いやいやオレは英語しか話さないが・・」
などと言い合いながら、ピアノバーでのカクテルパーティが終わってディナーに移った。


 

35人の日本人グループ代表は国分さんという若いご夫妻で何度もこの会社の船に乗っているとか。それでも他の人と話をしないでじっとしているから、勢いこっちが何とかしなければならない。今度の隣人はドイツ人でわりに気持ちのいい人だ。何だかよく分からないがエンジニアで向かいに座っている陽気なドイツ人をあいつはおしゃべりでね、と机の下の右手の指をパクパクさせてニヤニヤする。英語は得意でないと嬉しいこといいマンフレッド・ガルマイスターと名乗った。奥さんは英語ができてクラウディア・ドナーと名乗り別姓だが Mrsとあるから夫妻に間違いなさそうだ。メールアドレスを交換しているからその内にメールをしてみようと思う。午後9時ごろ解放されてやれやれだった(写真は国分さんの提供)。


この日の夜、タレントショウと称してクルーを含めた催し物があった。ほとんど覚えていないのは乗船している日本人グループの合唱があり、歌詞カード片手に童謡らしきものを歌うものだから村石さんと二人でどうも恥ずかしいよねぇと嘆いていたからだ。「老稚園合唱団」というべきか、上手い下手の問題ではなくて心意気が全く伝わらないのだ。われわれだってスタークリッパーに乗った時にはみんなで歌を歌った。面白い、やってやろうじゃないのと声を張り上げてアピールしたのだ。しかもその後の塩谷夫人のジャマイカ人クルーとの踊りなぞは絶品で、君たちは素晴らしいダンサーを抱えているね、と他の外国人乗客から羨ましがられたものだ。とにかくみんなを楽しませようという心意気がなければ出てはいけない。写真なんか撮っていないのは当然なのだ。

 

またこの日の朝、この団体にいる女性だろうロングスカートを身に付けた人がバウスプリットのネットにいて1人海を見ていたぼくに写真を撮ってほしいとカメラを渡された。撮るのはいいが危険ですよというと、慣れているから大丈夫ということを聞かない。さすがに太いステーに掴まって立っているだけだったが、こういう手合いに道理を説いても聴かないことをぼくは経験から知っているからそれ以上は言わなかった。乗船前に自分の責任で行動するという文書に署名したのは、なんでも勝手に行動するということではない。船、特に帆船はいたるところにロープもあり、器械や装置がごろごろしていてそこを操船時以外は自由に行き来できる。何重にも重ねた分厚いロングスカートで歩けば当然そういうものに巻き込まれる危険が増す。自分の責任で行動するというのは、安全のためにできる限りリスクを避けることなのだ。

 

前回スタークリッパーでマストに登った時ぼくはスリッパを履いていて、それではだめだと言われ、急いで塩谷さんに運動靴を借りて登った。安全索とかかとのある履物が安全を確保して自分で行動する条件で、それを満たしていればたとえ90歳だろうと登ることに文句は言わない。またライフジャケットを着けるという条件を満たしていれば、初めての経験だろうとシーカヤックを漕いではいけないとは言わない。

 

あのロングスカートの女性はそういうことを理解していたのだろうか。走るロープにスカートを巻き込まれてから解ってもそれでは遅い。私は慣れているといってもそれはリスクの低減にならない。団体旅行の添乗員は、ロングスカートの危険性をそういう観点から指摘しなければ、責任を果たせないのではないかとぼくは思う。