ハリファックス/ルーネンバーグ Halifax/Lunenburg

 

 


今回の写真はぼくの撮ったハーフサイズのカラースラ イドをスキャンして大きくしてあるので、残念ながらどうしてもピントが甘いが、この写真だけは金森さんに無理を言って探していただいた当時の紙の写真をス キャンしているのでかなり鮮明だ。
今回の写真はぼくの撮ったハーフサイズのカラースラ イドをスキャンして大きくしてあるので、残念ながらどうしてもピントが甘いが、この写真だけは金森さんに無理を言って探していただいた当時の紙の写真をス キャンしているのでかなり鮮明だ。
今から22年ほど前、1990年の9月、横浜帆船模型同好会の仲間何人かとカナダを訪問した。ぼくが60歳の時だ。カナダといっても主たる目的はブルーノーズのクルーと交歓会をしようということで、ついでのことならカナダ各地を見ようと結構贅沢な旅行になった。
参加者は亡くなった武川伸治さん、金森弘一さん、鈴木雄助さん、志村嘉則さん、金丸信次郎さん、亡くなった平戸重男さんとぼくで、後は奥方たちと金森さん のお知り合いの方で、添乗員の丸山忠彦さんを加えて総勢17人。丸山さんがカナダ側と事前に打ち合わせをしてブルーノーズの日程に合わせたので、極めてスムーズに事が運んだ。一番年寄りでもあり言い出しっぺでもあり、また姪御さんがカナダにいらしてコンタクトして頂いたとかで武川さんがカナダ側に対しては団長ということになっている。
旅行の図の通り、われわれはトロントからナイアガラの滝、ハリファックス、ルーネンバーグ、カルガリー、レイク・ルイーズ、バンフ、バンクーバー、 ビクトリアと11日間にわたってかなりいい旅をすることができた上に、特にレイク・ルイーズでは「シャトー・レイク・ルイーズ」というぜいたく極まりない ホテルでカナディアンロッキーを堪能したが、それはこれとは別の話しだ。

ハリファックスでの歓迎

ハリファックスの市庁舎を案内してもらう
ハリファックスの市庁舎を案内してもらう

9月21日、ハリファックス空港からバスで街に入ると橋の上から港が見える。第二次世界大戦当時この港から英国や、後にはソ連向けの護送船団が出発した由緒あるところで、ダグラス・リーマンなどが小説の題材に取上げているので少なくともわれわれの仲間はよく知っているところだが、今はひっそりと静まりかえってる。やがて市庁舎が格調ある姿を見せ、われわれはその中に入った。市長室に続くたぶんレセプションルームだろう、広い立派な部屋で市長さんに迎えられた。
市長さんの歓迎の辞を聞いている最中、市長って英語でなんといえばいいんだろうと考えた。挨拶がよく解らないせいもある。英語の苦手だったぼくが中学校時 代の英語で唯一覚えていたのがジョセフ・ジャコブス(英語では多分こう発音するのだろう)の「ディック・ウイッティングトンと猫」の話だ。いいご主人に恵まれながら、コックに苛められて逃げ出そうとしたディックが聞いた鐘の音「ターン・アゲイン・ウイッティングトン/スライス・ロード・メア・オブ・ロンド ン」あれだ。中学時代、英語は敵性語だと禁止されている中で我が中学は敵を知らずしてどうして勝てようかと英語の授業をしていた。立派なもんだが、そうだそうだ、その教えに従って、「イッツ・ナイス・トゥ・ミート・ロード・メア・オブ・ハリファックス」と言えばいいんだと納得はしたものの、話を終わっていきなりぼくのところに握手をしに来た市長に、情けないことながらへどもどしてナイス・トゥ・ミート・ユウがやっとという、せっかくの思い出しがが台無しというありさまだった。

市長室を見てから、市長さんはわれわれを市議会場に案内してくれた。自ら着けていた代々の市長の象徴である金の頸飾を武川さんにかけ、議長席に着いて写真 を取ったらどうだという。その後レセプションルームでワインをご馳走になったのだが、恰幅のいい女性の収入役さんの話ではここでワインを飲んだのは初めて ということだったから、われわれは破格の待遇を得たことになる。観光客は赤毛のアンで有名なプリンスエドワード島までは来るが、ここまではなかなか来ない と嘆いていた市長さんだけに、われわれの目的が嬉しかったのだろう。
ハリファックス市は日本の函館市と姉妹都市の関係にあり、市長の娘さんが函館に留学し、その友人の日本人がハリファックスにいてレセプションにも参加して いた。そんな関係もあってこの市長さんは日本贔屓であったようだ。われわれには州の象徴であるブルーノーズの真鍮製のレプリカが贈られた。それは武川さん のところにあると思うが、それを型取りして石膏像を作り金属塗装してみんなに配ってくれたのがたぶん平戸さんで、それを黒檀の台座(カティ・サークのプラ ンキングに使った残り)に乗せてわが家に飾ってあるのがこの写真だ。

 


玄関口で写真を撮ってから、われわれはハリファックス城塞に向う。山の上にあって湾を一望のもとに見渡せるこの城塞はかなり大規模で、英国軍の侵入を撃退するために作られながら実際の戦いはなかったという歴史のあるところだから大きな大砲が今でも残されている。この砲は大きな割にはどう見ても先込め砲でいったいどうやって弾を込めたんだろう。海に面したこの城塞は海上の艦船に信号を送るのも役割の一つだったようで今でも立派な信号所が残り、信号索の索止めは帆船と同じだ。ぼくの写真は21年前には立派に髪の毛があったという証拠として残してある。練兵場はものすごく広く1個大隊ぐらいなら十分展開できるだろう。
ノバ・スコシア州の自動車のナンバープレートには中央にブルーノーズのイラスト描かれていて彼女が州民にいかに愛されているのかがわかる。一度ハリファックスに戻り、町のマーケットを見学したとき目についたのがこの氷河水(ミネラルウォーターはぼくの専門なので)だ。カナダは法律で英語とフランス語を併記しなければならないことになっていて、これにもやはり併記されているのがわかる。

ハリファックス城塞は山の上にあり湾を一望のもとに見渡せる
ハリファックス城塞は山の上にあり湾を一望のもとに見渡せる

ブルーノーズは大西洋を走った

その後われわれは一路ルーネンバーグに向かい、その港でブルーノーズと顔を合わせることになる。港にはノバ・スコシア州観光局の職員でブルーノーズの運行 責任者であるピーター・ブラウンさんが出迎えてくれ、ブルーノーズはそこに静かに係留されていた。われわれが集まると船を見に来ている一般客を尻 目に、何はともあれ乗船してほしいということになった。周りの人たちは何で?と思っただろう。
船長さんはわれわれを歓迎してくれ、普段乗客には行動を制限するのだが、皆さんは「専門家」だから(われわれの「専門家」は7人だったが)どこへ行っても どこを見ても構わないと言ってくれた。ルーネンバーグに留学している日本人の女性で数学専攻と確か聞いたが、もう長年ここにいるので英語は十分でもどうも 日本語の方が怪しいというお嬢さんが通訳してくれた。

ブルーノーズは港に静かに係留されていた
ブルーノーズは港に静かに係留されていた

早速船内の見学が始まりどういう手を使ったのか英語は全くダメという鈴木雄介さんが機関長を捕まえてエンジンルームに入ったきり出てこないという 不思議なことも起こった。ぼくも早速一等航海士と仲良くなり部屋を見せようかと甲板下にある彼の私室を見せてもらった。船の通例で狭い部屋ながらなかなか 快適に過ごしているようで、彼は快男児のチョッサーだ。甲板はダグラスファー張りだそうで、これはカナダに無数に生えている松の一種だが、柔らかくて ニューヨークでのアメリカ建国200年祭のときは乗客が多かったので張替えたそうな。
船の周囲は見物の人たちが一杯で、なんだろうと思ったらドーリー(平底船)の競技があるという。少し遅くなるがそれが終わったら出航するから、とチョッ サーが言う。ええっ、出航? われわれはクルーとの交歓が目的だと思っていたが、ブルーノーズで航海してくれるというではないか。思いがけぬ成り行きにみ んな欣喜雀躍。

ドーリー競技の監視船兼見 物船を横目にして、本船はエンジンをかけ港外に出ると総帆を挙げた。あいにく当日は風がなくてエンジンを止めて の帆走は叶わなかったが、2時間ばかり大西洋(太平洋ではありませんぞ!)を満喫したのだ。士官室を見学し、救命ブイで写真を撮り、舵輪まで握らせてもらった。
やがて港へ向かうとチョッサーは一心に双眼鏡を使って航路を見極め舵手に静かに進路を伝える、そのやり取りが何とも格好いい。そのうちダウンホー ルを引くからみんな中央にいてくれと指示が出た。スクーナーの大きな帆を降ろすにはそれなりの人手がいる、何人かのクルーがダウンホールを握って猛烈な勢 いで船首に向かって走る。志村さんが「あの女の子のケツのでっかいこと!」とかなり現実的な感想を漏らすほどの勢いだった。クルーには2人女性がいて志村 さんの目を引いたのはマギーだ。(これは後に「おれは彼女の掌がタコですごいことになっているは知っているけど、でかいケツなんて言っていないよ」と志村 さんから抗議を受けた。彼の名誉のためにここに付け加えるが、ぼくは確かに聞いたように思うんだけどなぁ…と思ったのだが、本当は別の人だったと判明し た。志村さん、ごめんなさい)。

桟橋に向かう途中、右舷側に見えるのが造船所で、この船もここで建造されたのだとか。バウンティ号の叛乱で使われた船も確かここでの建造だ。帆の始末をしているうちに本船は桟橋に着岸、そこに新聞社が待ち構えていた。ハリファクス・ヘラルド紙の記者ミッチェル・ドイルさんが降り立ったばかりのわれわれを写真に撮り、武川さんを捕まえていろいろ聞いている。その記事を後で送ってもらったのを志村さんに無理を言ってコピーしていただいたのがこ の写真だ。いくらか誤解もあるようだが、現地での珍しいイベントだったことがうかがえる。

 

港のすぐ近くのレストランで、クルーとわれわれとの交歓会が始まった。武川さんが挨拶を述べ、というより用意した原稿を読んだのだが失礼ながらま た見事な発音で、たまたま隣に座ったマギー(あの〝マギー〟だ)に「わかる?」と聞いたら大丈夫と言っていたから意味は通じたようだ。それから大騒ぎに なっ た。何せ若い連中相手だ、何人かは模型の写真など持ち込んで見せる、ぼくも近代ヨット"バハン"の製作過程の写真を持ってきたがいつのまにか回覧され、若 い士官にこれはだれが作ったの!といわれて、ぼくだ、ぼくだと立ち上がって応じるという始末。鈴木さんは機関長と離れがたくてという風情だった。一 方奥方も活躍し、いつ用意したのかペギーは武川夫人から折り紙の手ほどきを受けるなど和気あいあいのひと時だった。

 


大西洋に面してぽつんと灯台が岩盤の上に屹立し、白い三角屋根の建物と建物とうまく調和している
大西洋に面してぽつんと灯台が岩盤の上に屹立し、白い三角屋根の建物と建物とうまく調和している

名残を惜しみながら、ピーター・ブラウンさんと通訳さんに見送られ、ルーネンバーグの町中を少し見て回る。出会った犬は盲導犬にも役に立つラブラドル・リ トリーバ-だが、何せラブラドル半島がすぐ北にあるという地域なのでこの犬が多いのもうなずける。

われわれはそれからペギー岬に向った。これはブラウンさんが手紙の中で行ってみるといいよと言ってくれた場所で、当地の名所でもある。群像の彫刻と国土林野省の州立記念公園という看板を過ぎると大西洋に面してぽつんと灯台が岩盤の上に屹立し、白い三角屋根の建物とうまく調和している。

9月という温暖な季節でも寂寥感漂うところだから、冬季の厳しい季節ではこの辺りは大変だろうなと思わせる。でもこの時期、恋人たちには絶好の環境で、異 国のおじさんおばさんでは全く絵にならない。土産物屋ではここの絵ハガキとエッチングを買ったが、絵葉書の中にベージュ色一色の何も映ってい ない1枚がある。誤植?と思ってよくよく説明を見たら「濃霧のペギーズ・コウブ」とあって、やられた!と感嘆しきり、連中だったらグッド・ジョーク!というところ。この辺りは小さな漁村で森閑としていながら何とも風情があって写真の対象としてはなかなかのところだ。

ブルーノーズのモノクロ写真は頂戴したお土産に入っていたもので、交歓会で船長、機関長のサインをもらったもの。もうかなり見えにくくなっているがその時隣に座っていたペギーにもサインしてよと頼んだ。私はただのクルーだけといいのとペギーは可愛いことを言う。ぼくはクルーではなくペギーのサインがほしいんだといってサインしてもらった。それが薄くなったのがちょっと残念。


最後に「Order of the Good Time」に触れておく。ちょっと大げさに"日々是好日"をもじって「好日騎士団」と訳したが、いわばノバ・スコシア州の気の利いた宣伝といっていい。それでもなかなかどうして上手いやり方で、その説明書の最後のところに騎士団から4つのお願いとして、いい日を送ってほしい、われわれを懐かしく思い出してほしい、われわれのことを上手く宣伝してほしい、とある。ぼくはこれまでこの3つは何とか果たしていると自負しているが、最後のお願い「もう一度 帰ってきてほしい」はいまだに果たしていない。いつの日か、生ある間にこの素晴らしい場所を再訪してその約束を果たしたいものだと心から思う。

(福田正彦)

ザ・ロープ行事予定