ストックホルム Stockholm-2


ヴァーサ博物館― 眠る本物の威容

寒冷の地にあるスエーデンという国が、いくつかの幸運な条件に恵まれた上に莫大な費用と多くの時間をかけてヴァーサを保存してくれたのは本当に幸せなことだと、この船を見るとつくづくそう思う。

 

しかもわれわれが、いやぼくが初めてこの船にまみえたこの日、ヴァーサはもうすっかり落ち着いた状態で、船体の水分はエチレングライコールで置換され、水っぽくもなければかさかさの状態でもなく、鈍く光るいかにも古い木材という感じだったからなおさらだ。 


いってみればヴァーサは死んだ船だ。墓から掘り起こされたといっていい。人が乗っているわけでもなく、中に入れるわけでもない。装備もほとんどない状態で保存されている。それなのにこの船はとんでもない存在感を持っている。この旅行でわれわれはいくつかのレプリカ船や建造中の船を見てきた。それなりの威容と面白さがあったが、何といったらいいんだろう、ヴァーサが立っているところはそれとはまったく次元が違う、そう思わせる。ひとつは排水量1210 トンという大きな塊の全容を目の前で見られるという点だろう。本来船は水に浮かんで半分ぐらいは目に入らない、そういう状態でわれわれは見ているのだ。ヨットハーバーに引揚げてあるヨットを下から見ると思ったよりずっと大きい。10 トンぐらいのヨットでもそうだ。まして木造の1210トンの「どんがら」を下からも、回廊を通じて横からも上からも、真近にじっくり見ているうちに、そのマス(質量)としての巨大さがじわじわとわれわれの心の中にしみ込んでくる。今から380 年ぐらいも前に、これだけの大きなしかも精緻な建造物が存在していたことが実感として迫ってくるのだ。通りすがりの旅行者では分からないかもしれない。ぼくたちがモデラーとして特別な関心を持っているからかもしれない。それにしても、そのマスの威力には圧倒される。

 

もうひとつ、われわれは本物の昔の船を見ている。ヴィクトリーしかり、USS コンスティテューションしかり、カティサークもそうだ。ぼくはカティサークを見てはいないが、こういった船の与える感動とヴァーサのそれとはまったく違う。当然といえばそれまでだが、これらの船は明るいオープンエアーの中でいまだに生きているのだ。紆余曲折はあっても、その長い生涯が今もって続いている、そういえるだろう。それに引き換え、ヴァーサは棺の中でひっそりと眠っているように見える。テーゲルヴィーケン湾の砂の中で333 年間眠り続けたように、ヴァーサ博物館という密閉された空間の中に移されても、その静かな眠りが妨げられているようには見えない。いってみればわれわれは今、砂の中に眠っているヴァーサにいつでも自由に会える機会に恵まれているといえるだろう。

 

スエーデンという国がこの博物館全体をほの暗い雰囲気に保っている大きな理由は、保存状態の保護という条件はあるにしても、おそらくこの船の長年の静かな眠りを妨げることなく、400 年も前の国の誇りを多くの人々に見てもらいたいという配慮に違いない。同時にスエーデンの人たちは、生まれて間もない赤子を亡くした母親のように、航海に出る暇もなく海中に沈んだこの船に、夭折した赤子に対するような愛情と 哀悼の意を持っているのだろう。だからぼくは明るい電光の中で、さあこれがわが国の誇るヴァーサですよ、ということをしなかった意味がよく分かるし、そう いう国に敬意を表する。

 

さまざまな発掘品が展示され、船の装飾彫刻が復元されている。
さまざまな発掘品が展示され、船の装飾彫刻が復元されている。

 

最初の日にここを訪れた時、われわれはヴァーサの歴史を映画で見ている。それによるとこの船が建造された大きな理由のひとつは、バルト海対岸で行われている戦闘に対する兵員輸送だったようだ。同時に1620 年代にスエーデンは4 年間で15 隻もの戦闘艦を失ったという。あとで判明したようにバラストの積載場所が少なくて、それでなくとも不安定なガレオンタイプのヴァーサに兵員輸送よりも戦闘を主眼に大砲の積み増しを国王が命じたのが沈没の原因といわれている。確かに24 ポンド砲とはいえこの船が64 門艦(24 ポント砲48 門、3 ポンド砲8 門、1 ポンド砲2 門、臼砲6 門)というのは信じられないが、沈没について関係者が誰も譴責されなかったのがこのことを物語っている。一番の責任者はグスタフ・アドルフ王自身だったのだろう。

それもあってかこの博物館では出来る限り当時のヴァーサの様子を探ろうと努力している。さまざまな発掘品が展示され、船の装飾彫刻が復元されて新たな部品 と区別されている。同時に殉職した乗組員の骸骨から当時の様子を復元した経過も展示してある。そのうちの1 人、操舵員だったと思われるフィリプについての説明は、「フィリプは30 歳ぐらい、小柄できゃしゃな体格だった。彼は舵のところで発見され、操舵員だったことはほぼ間違いない。発見されたあごの断片からすると、彼の歯はしっく りと合わない。低い襟のジャケットを着てガラス製のボタンで留めていた。帽子(キャップ)はヴァーサ乗組員が被っている典型的なものだが、実際に彼がそれ を身につけていたかどうかは確かではない」。ということだ。こういうのを見たり読んだりするとなんとなく17 世紀を身近に感じる。


8月19 日スエーデン到着日にヴァーサ博物館へ行ったのは1時間半ほどだった。そのうち25 分は映画を見ていたから、じっくり船を見たのは1 時間にも満たない。ほとんど暗がりといってもいいような室内だから、ストロボを焚いたら目の前しか写真に写らない。撮るならどこかに身を寄せて固定し、ストロボなしで時間をかけるしかない。ヴァーサの雰囲気を堪能するにはとても1 時間では無理だ。というわけで、最終日の8 月21 日午前、ぼくたち6 人はどうでも再びヴァーサを見たいと博物館を訪れた。この時間は自由行動だったから遠路はるばるヴァイキングシップを見に行った人もいたらしい。

  西欧の博物館は見学者に配慮することが多い。ヴァーサ博物館もその例に漏れず19 日に古賀さんが交渉して再入場できるチケットをもらってくれた。失くさないで下さいよ、といわれて大切に持っていた券が生きた。この日はタダ、ゆっくり2 時間をかけて回った。こういうときには連れがいないほうがいい。それぞれ‘専門家’でもあるし、みんなも心得たもので、誰も一緒に回ろうとはいわない。

この博物館は7 層に分かれている。正面の玄関から入るとそこが4階で、ヴァーサが置かれている中央吹き抜けを巡る一番大きな階だ。映画の上映ホールも、ヴァーサの歴史展示も、引揚げの様子もここにある。高さからいうとヴァーサの砲列甲板に相当する。狭い3階に下り、2階から更に下がるとそこには目の前にヴァーサのキールが見える。暗くてよく見えないものの、何とかキールの巨大な継ぎ目も認められる。クレーンもない時代にどうやってこれだけに大きな材木を扱ったんだろう。船体の脆弱な部分はがっしりした鉄枠で今は支えているが、建造時に固定するまでの船体をどうして支えたのか想像も出来ない。

 

4階にはヴァーサのカットモデルが展示してある。なるほどこれを見るといかにバラスとの量が少なかったか分かる。オーロップデッキの荷物があるとはいえ、これでは不安定だろうなあと納得がゆく。そのわきにヴァーサの沈没するときの有様を再現した模型があるが、いくらも傾いているようには見えないのに下層砲列甲板の砲門から浸水している様子が見える。解説書にあるように未知の領域への実験艦だったということもうなずける。彼女の浸水はどうも基本的構造に問題があったようだ。

 

ヴァーサの艤装は3本のメインマストとトップまでで、それに新しいロープでバックステーとラットリンを張ってある。やはり見ものは船体とその装飾彫刻で、 昔の引き揚げ作業で上部構造はかなり損傷を受けたというが、よくぞここまで修復したと感心する。5階、6階と上からこれらを眺めるとその装飾はいかにも 17 世紀のガレオンにふさわしい。近代船はもちろんヴィクトリー級の船でもこれではおかしいだろう。言い出したらきりがないが、いくつかの写真を見ていただき たい。それでも、やはりヴァーサを実感したいのであれば、直接彼女と対面するほかに道はない。それほどこの船は存在感があり、しかも特殊な雰囲気を持って いるのだ。

ヴァーサのカットモデル
ヴァーサのカットモデル
ヴァーサの沈没するときの有様を再現した模型
ヴァーサの沈没するときの有様を再現した模型

十分見たと思いながら、それでも幾分名残を惜しんで外へ出ると曇り空ながら目も覚めるような緑に包まれる。博物館の上には3本のマストが立っていて、トップスルヤードトトガンスルヤードを模している。メインマストの上には旗も見える。確かめなかったが、52.5 メートルのメインマストの高さを表しているんだろう。広場の向かいはもう海でたくさんの小型船が係留いるが、オランダと違ってどの船もリーボードを持っていないのがスウェーデンであることを思い出させる。

 

余談だが、ここの4階にあるスーベニアショップはちょっと面白い。土屋さんたちは相変わらず図面一辺倒で、何かないかと血眼?の状態だった。坪井さんは模 型を買いたかったらしいのだが値段の割りにはねぇと、あの専門家の目で見たらどんな模型でも満足できないだろうなとこっちはちょっとおかしかった。ぼくは このショップのキーホルダーが気に入った。なんせ正式のダブルブロック、それもちゃんとした堅木のキーホルダーなんてそうめったにお目にかかれるものでは ない。40 クローネ(600 円)は安いとはいえないが、そのほかにもいろいろ面白いものがあってついつい6個も買ってしまった。まあ、見るだけでも価値がある。

 

(福田正彦)