ヴァーネミュンデ(Warnemünde)/ロストク(Rostock)

 

 福田 正彦


第7日(2013年8月9日)

 

 

いよいよ最後の寄港地ドイツ本国のヴァーネミュンデに今日は着く。ここでの行動は多くて一体どうすればいいのかみんなで寄り寄り話し合う。ロストクへ行きたいがフェリーでは時間がかかるから、エンジンルームの見学をどうしようとか女性陣はエンジンなんかに興味はないから別行動にしようとか様々だ。

 

地図を見ると分かるがロストクは電車で20分程のこの地方の都会で、正式にはここも「ロストク・ヴァーネミュンデ」というらしい。海事博物館もあり有名な教会もあって是非とも行きたいところだ。

 

午前9時には最後のマスト登りがあった。手ぐすね引いて一番に登ると言っていた西谷ひさこさんといつの間にか登った佐藤道子さんが参加したが、晴天ながら少し風もあって朝は肌寒いぐらい。11時には港に入り岸壁に着岸する。

 

さすがにハンザセイルの前日とあって港には様々な船が集まっていて大賑わいだ。帆船ばかりでなく見物客を乗せて日を合わせて寄港しているのだろう。10万トンクラスの大型客船も2隻着岸している。商船ばかりでなく沿岸にはドイツ海軍のフリゲート艦か駆逐艦クラスのステルス型の軍艦までいる。セイルアムス2005のパレードでもオランダの軍艦が通ったからセイルパレードに敬意を表しているのかもしれない。



 荻原さんがコピーしてくれた参加船の名簿を見ると船名と長さ、船籍国、それとバースが指定されている。その記号がどこかは分からないが少なくとも本船はその指定場所に接岸したに違いない。この港はかなり広い。昼食を終えると午後1時にわが男性陣はトロピカルバーに集合した。話し合いの結果、女性陣はドイツに在住経験のある高橋さんを頼ってみんなでロストクへ行くという。ただ栗田敦子さんは夫君と一緒に男性陣に加わった。これからエンジンルームを見るのだ。


ヒッピー風の機関長ではなくて案内してくれたのは左写真のいかつい二等機関士で40℃にもなる機関室で4時間交代勤務をするのだとか。狭いから気を付けるようにと注意してからエンジンルームに入る。なるほど狭い。メインエンジンは12気筒60°Ⅴ型2列配置の1360馬力、緊急用のモーターも備えているとか。1分間1600回転で200~250回転まで落とせるらしい。スクリューは油圧でピッチを変える。発電機は700kwh2基で24時間運転する。バウスラスターは1基だが可変ピッチだ。このエンジンで11~13ノットまで出せる。

 

興味深いのは飲用水で、逆浸透膜(RO膜)による海水淡水化装置を備えていることだ。造水能力は50トン/日で200トンの飲用水タンクがある。大都会では1日1人当たりおおよそ240リットル水道水を使う。船は事情が違うにしても客船としてかなり余裕を見ているようだ。最も沿岸航海では港に入った時に給水管から受水する方が安いらしく大西洋横断のようなときにRO膜を使うらしい。この膜は高価だ。更にぼくの気になるのは排水の方で、これも説明によると浄化して海中に放出している。活性汚泥法を使っているというのだが、密閉された船内で活性汚泥を使うにはかなり酸素がいる。残念ながらその詳しい説明は聞けなかった。ただ、汚泥は港で揚げているということがわかっただけだ。もちろんこういった説明が分かるのは栗田さんの通訳を介してだが、夫人の敦子さんが私は分からないから日本語で言ってよ、と言ってくれたおかげだ。敦子さんはロストクでお茶を飲んだ時も現地の老婦人と話をしていたし、駐在経験もあるから英語は堪能なはずだがこうして英語分からんちんのぼくたちへのそれとない配慮があるのが助かる。


 

30分ほどで見学を終えていよいよロストクへ。栗田さんがみんなの1日乗車券を買ってくれる。慣れたものだ。Sバーンという郊外電車は2階建てでぼくたちはだれいうともなく2階に行く。煙と鶏の仲間だ。ヴァーネミュンデからちょうど20分でハウプトバーンホフ駅に着いて乗換え。地下で路面電車に乗ってすぐに海事博物館に着く。こじんまりした博物館でさすがに入口にU-ボートがあったが模型の展示はあんまり見るべきものはない。

 

ここを出て地図を見ながらみんなで街中を歩く。丸い筒状の公衆トイレがあって、60セント払えば入れる。「フライ」と表示があるから今日はタダらしいぜと物知り顔で言ったら、なに「空いている」ことだろうよと切り返された。半可通はよくない、恥ずかしい。ピンク色の派手な市庁舎を見ながら広場の小さな市場を覗いたらかぼちゃの名札に「Hokkaido」とある。古いハンザ都市での北海道産だ。いや世間は狭い。

 

そうこうするうちにお目当ての聖マリエン教会に着く。豪華なステンドグラスを眺め、空襲もひどくいろいろ困難も多かったろうにドイツ人の古いものに固執する心情はわれわれに測りがたいものがあると感心もする。傍らにホロコースト関連の写真展示があって、これもその惨状もだが堂々とわが非を展ずる心意気に感じてつい見とれる。

 

そのために気が付くと一緒に見とれていた西谷さんと2人きりになって誰も見えない。もう出て行ったんだろうと2人で追っかけたがどこにも影がない。散々探してしょうがない元に戻ろうかと教会に近づくとばったりみんなと出会った。教会の名物の古時計を見ていたという。せっかくここまで来たのだから私がご案内しますと栗田敦子さんがちょっと分かり難い時計まで案内してくれた。まことに奇妙な時計で、もちろんメカで動いているのだろうがああだろう、こうだろうと諸説をそれぞれが述べるが結局誰も理解していないらしい。どういう頭がこんなものを考えるんだろうとそっちの方に感心する。

 

更にこの古いハンザ都市に残る監視塔まで行く間にわが女性陣がみんなで喫茶店の屋外でお茶を飲んでいるのに出会った。ドイツに経験のある高橋さんが世話をしたのだろうがすっかり街に溶け込んでいる様子、わが女性陣はいやはやどこへ行っても優雅なものだ。監視塔はハンザ都市時代に市の城壁の一部を成していたもので、現在は10個あった塔の4つしか残っていないと塔の責任者がいう。すぐ脇にはその城壁の一部が残されていているが煉瓦作りの頑丈なものだ。堀岡さんたちとも合流して近くの店で一休み。かわいい男の子がトコトコやってきてにっこり笑う。思わず父親の許しを得て写真をとるが、8月でもかなり厚着だ。この辺りは朝晩がきっと寒いのだろう。

 

 

海岸に出てフェリーで帰ろうよとウロウロするが何せ人が多い。船もいろいろあってどれがヴァーネミュンデ行きか判りかねる。西谷さんと栗田さんが奮闘してどうやらもう時間切れで出ないらしいと分かった。仕方ない電車で帰ろうかと路面電車の方へ歩くと、なんとばったり女性陣と出会う。この街は狭い。結局全員で帰途に就いたのだがここでぼくは大失敗をやらかした。

 

ハウプトバーンホフ駅で郊外電車に乗り換えたのだが、1日歩き通しのぼくは前に痛めた右ひざがかなり痛くなって階段が辛い。エレベーターでホームのある3階まで行ったが、みんなは2階で降りる。何で降りるんだろうと思っているうちに3階に着くと太ったおじさんがいて「ナッハ・ヴァーネミュンデ?」と聞くと「ヤー、ヤー、ゼクス!」とニコニコして言う。6番線に行くとなるほどヴァーネミュンデと表示があって行き止まりのホームになっている。しかし、待てど暮らせどみんな来ない。おかしいなと下へ行ってウロウロすると西谷ひさこさんが「フクダさーん!」と呼んでいる。これはいかん、ホームを間違えたかと足を引きずって駆け上がったが時すでに遅し、うちのかみさんが車内で手を振りながら列車が遠ざかってゆく。

 

ここでぼくは俄然一人旅モードに切り替わった。栗田さんは時刻表を見て一番早い電車のホームを確認していたのだ。ぼくは人任せで聞いても聴いていなかった。早速時刻表を見ると15分後に電車が2番線から出るとある。6番線は45分後だった。あのおじさんも嘘をついたわけではない。もっとも時刻表には2番線とあったが実際に来たのは1番線だった。同じホームだから問題はなかったが、まあそういうことはよくある。

 

帰りの電車からは木材を山と積んだ貨物車が延々と続いているのが見える。またこの電車には子供用の席も用意されている。窓際にあってなるほど子供が喜びそうだが、人口密度が日本とは全く違うとはいっても次代の子供たちを大事に育てようという点はやっぱりちょっと違う。身体に合わせてちゃんと座らせようという考え方はぼくたちにもなければなあと考えさせられる。そうかと思うと海上から見えた原子力発電所が電車からは間近に見える。2基ある発電所の1基から真っ白い蒸気が立ち上っているのが手に取るようだ。原発削減に動いたドイツがこれからどう動くのか、国情が違うとはいえ高濃度廃棄物処理と併せてどうなるのかこれも注目しなければなあと余計なことを考える。

 

(左上)可愛い坊やでやっと歩けるぐらいだ。(右上)ハンザ都市時代の監視塔で城壁の外側から見たところ。
(左上)可愛い坊やでやっと歩けるぐらいだ。(右上)ハンザ都市時代の監視塔で城壁の外側から見たところ。

 

ヴァーネミュンデの駅に着いたとき、なんといっても感激したのは思いもかけず女性陣に迎えられたことだ。心配をお掛けしてまことに申し訳ない、わが女性陣は優しい。

 

この日の夜10時、帆船ペキンのケープ・ホーン航海の映画が上映された。物語ではない。実際にカメラマンが実写したものをDVDに落としたのだろう。年代は定かではないがこの帆船は現在ニューヨークのピア16に係留されていて中を見ることができる。ぼくも1995年の10月にこの船を見ている。保存状態はあまりよくないが4墻バーク型のかなり大きな鉄船でもちろんエンジンはないから戦前の船だろう。そういった時代に、よくも撮影したものだとただただ感じ入る。

 

見るとケープホーン近海は荒れに荒れた海で、ヒールした舷側から大量の海水が甲板に流れ込んで流れてゆくさまが、おそらくシュラウドから撮ったのだろう、はっきりわかる。当然フィルムのカメラでそれもかなり大きな映写機だったに違いない。撮る方も命がけだ。この映画の中で穏やかなときに水夫のシュラウド登りが撮影されている。熟練の水夫に頼んだのだろう。前に書いたようにたった1人で文字通り「ましらのように」登るさまは見事というしかない。

 

ついでにいうと、以前元海王丸の船長荒川博さんが提供して下さったギュンター・シュルツ画伯のペン画「セイリング・ラウンド・ケープホーン」(ザ・ロープの例会で上映されたことがある)は、この時のペキンかもしれない。少なくともこの絵は4墻バークを描いているのだ。