エンクハウゼン Enkhuizen その2


せかされる思いで埠頭に戻ると、思わずサクセス号を通り過ぎて慌てて引き返す。それほどこの埠頭には同じような船がたくさん係留されているのだ。坪井さん がニヤニヤしておれも通り過ぎて、いくら行ってもいないもんだからというから、ぼくばかりではないとちょっと安心。それにしても8 月だというのに冷たい雨に遭って、ダイニングで振舞われた熱いコーヒーと大ぶりのクッキーが嬉しいとは、やはり北ヨーロッパだ。アムステルダムでまたお会 いしましょうと足立さんが立ち去って、一同ダイニングに集まったのを見計らってキャプテンのヴィーベがあらためてクルーを紹介する。

ガールフレンドと紹介されたイーブリンはスイス人、小柄で内向的な感じだ。決して無愛想ではないが余計な口を利かないし、黙々と役目を果たすタイプでひっ詰めにした髪と日に焼けた細い鼻が印象的だ。

犬は黒のラブラドール・リトリーバーでウエルカムカードにある「+Atreiae」がその名だとすれば、アトライアというんだろうか。船客に慣れているんだろう、ワンとも鳴かない。時にはどでんとダイニングの床に座り込んでいるものだから、思わず踏んづけてゴメン、ゴメンとなってもあわてるだけで怒ったり もしない。元来ぼくは四つ足の湿った鼻に弱いからついクッキーの残りをやるのだが、やんわりとイーブリンにたしなめられる。際限なく太るのを心配するんだ ろう。


サクセス号での航海-アイセル湖の帆走

この3 人がクルー、実質的にはダブルハンドでサクセス号が運営されている。コックは若い男の子で、みんなの記憶によれば教会のコックをしているのを臨時に頼んで きたという。船の食事だから本格的な料理ではないがクッキーやパイ、それとサンドイッチなど最後までコックに徹していて、アムステルダムに到着してさよな ら、と上陸したわれわれを追いかけてきて盆に載せたオードブルを焼き立てだと食べさせてくれた好青年だった。君はいいコックだねぇといったら、ほんとに嬉 しそうな顔をしたのが忘れられない。出航前にキャプテンからサクセス号の歴史について話があった。もともとは100 年前の1904 年ごろに建造された材木や石を運ぶ一般貨物船だったのだが、他の鋼船と衝突して浅瀬に沈没したという。座礁ではなくて「サンク」といっていたから沈んだの だ。オーナーが引き上げて客船に改造し、1995 年にエンジンなども強化して現在の快適な船になったという。聞きはしなかったがこの船はヴィーベたちの持ち船ではないらしい。それでも彼は「この船はたっ た1 回しか沈んでいないので安全です」といってみんなを笑わせる。添乗員の福田さんが通訳し、必要な部分を栗田さんが補足する。彼は海外駐在の経験があり英語 は堪能でわれわれは大いに助かった。

サクセス号のバウスプリット
サクセス号のバウスプリット
船内ダイニング
船内ダイニング

ところで、サクセス号の写真を見てなんだかおかしいと思った方がいらっしゃるだろう。そう、彼女のバウスプリットは先端を引き上げることができ、通常の航海ではジブを巻いて上に向けたまま運行する。甲板の方から見ると写真の通りで、このあたりの船はみなそうなっている。これは全長を短くする効果があり、後 でそれがものをいうことになる。

 

15 時40 分、サクセス号は母港エンクハウゼンを出航した。とりあえず船の内部をご紹介しよう。上の写真にあるように最後部の舵輪はスポークの先端がまた輪になって いて操作がしやすい。その後ろにエンジンとスラスターの操作盤と通信機器が備わって、キャプテンは舵を取りながら舶用電話で港の状況や閘門の時間を調整しているらしい。ここがコックピットで、その下が露天でU字形のサロンになっている。テーブルも固定されていて、普通のヨットならコックピットに相当する所だ。

 

一段低くなって中のサロンに入ると両舷にテーブルを備えた長いすが固定されていて、ここはテレビもあるし( だれも見はしなかったが) 船尾側には生ビールの注ぎ口や洋酒棚、天井にはグラス類が吊るされている。ここが悪童どもの真夜中の集会場になった。さらに下がってダイニングがあり、同 じような作りだが船客のほぼ全員が集まれる。


ダイニングの船尾側扉を開けると右写真のように廊下があって両舷に6個ずつのキャビンが並んでいる。2人部屋だから24人が定員というわけだ。転がり込んだ人がいるようにキャビンはさらに低くなっていて、2段ベッドとトイレ、それに小さいけれどもシャワー室があってびっくりした。昨夜と同じ上野さんがぼくのルームメイトだから、年寄りの特権を行使してあんたは若いんだから上だと決め付ける。彼は62歳、ぼくよりも13も若いので特権の行使に遠慮は要らない。

ダイニング船尾側の廊下
ダイニング船尾側の廊下

これだけの装備をもつのは船がかなりの容量があるからだろう。おそらくエンジンはサロンの下に発電機などの補機類と一緒に収容されているはずだ。貯水槽と 燃料タンクはかなり大きくないと賄えないだろうし、シャワーのお湯はどうやって加熱しているのか。後から思えばよく聞いておくんだったと後悔するが、その ときは思いつきもしなかったのが残念。ただ、喫水はそれほど深くないから、オランダ船がずんぐりむっくりしている理由が何となく分かった。航海の最初はも ちろん機走で、コックピットで難なくエンジンが始動する。がらがらガチャンとかなりすさまじい音がして埠頭を離れるが、多分スラスターを備えているに違い ないと睨んでキャプテンに聞く。
「サクセス号はスラスターを持っているの?」
「あるよ、2つスラスターがあるんだ」
バウに2つ着けるバカはいないから、バウスラスターとスターンスラスターがあるんだろう。ほんとかいなという感じだが、あとで閘門や運河での操船を見ると この手の船でもなるほど2つのスラスターがいるんだと分かるような気がする。オランダ人に小型船を操船させたら抜群の腕前を発揮するのだ。


なにやら下が騒がしい。あとで聞いたら塩谷朝子さんがいとも憤慨の態でこういう。
「どうやったって開かないのよ。叩いたって誰もいないしどうなることかと思ったわよ。」
どうやらセッチンヅメにあったらしい。扉も故障していたんだろうが、どだいオランダの扉はかなりがっちりしていて、そのくせ取っ手が小さい。それでなくともか弱い(多分)日本の女性が扱いにくいのも当然だ。みんな同情を寄せながらもにやにやする。

 

やがて、キャプテ ンが帆走に移るから6人ばかり手伝ってほしいといってきた。皆さんは専門家だから普通のツアーなら機走で行くのだが特に展帆する、ただし危険だから私のい うとおりにやって操帆してくれという。もちろんしり込みするやつは誰もいない。模型は専門だが、本物の船はよく知らないとはだれもいわないのがおかしい。 折から一時止んでいた雨がまた降り始め、体感温度は10℃ちょっとという感じ。冬物の肌着に長袖シャツ、サマーセーターを着込んでウインドブレーカーを着 け、さらに船備え付けの黄色い雨合羽をかぶってもまだ寒い。8月だというのに、だ。キャプテンはメンスルとフォースルを揚げるという。ところがなんとハリ ヤードの巻上げ機は電動ではなくて歯車式の手動だ。真っ先にクランクに取り付いたのが坪井さんで懸命に巻き上げるが、とても一人の手には負えない。交代で 取り掛かり遂にはキャプテンまで手伝う有様。160㎡ もあるというメンスルが風を受けるとブームが暴れる。これを調整するためのロープはトリプルブロックを通してあっても相当の力で引かなければならない。

みんなたちまち身体が暖まるが、ぼくはずるをしてダウンホールを固定する役を買って出た上野さんにくっ付いてロープの尻尾を握っているだけ。それでも両方 の帆が揚がり、進路が安定してエンジンが切られるといかにも帆走という雰囲気になった。低く厚い雲と緑色ながら白く濁っている海を切り分けて、風はあまり 強くないから僅かにヒールした状態で進むと船体に当たる水の音ばかり。みんなはほっとしてニコニコと船尾に集まった。出航前の写真だが、雨具を着た一同を 見てほしい。これが活躍したメンバーの一部だ。

メンスルのブームの調整
メンスルのブームの調整
雨合羽の一同
雨合羽の一同

午後5時を回ったころ、ご苦労さんでしたとチーズなどのスナックと飲み物が出る。船はほとんど東やや南よりに進路をとっている。コンパスを見ると97度ぐ らいだ。中堤防はかなり南下がりに築かれているが、浅瀬があるらしく緑色の小旗をつけたブイが点々と航路を示していてサクセス号はそのブイに沿って進んで いる。風は安定しているが、風下舷に立っていてつい油断をしているうちに水が押し寄せ、革靴に水が入ってグシュグシュいう。いや参ったがどうしようもな く、我慢して自然に乾かした。しかしおかしなことに塩を吹かない。アイセル湖の水をちょっと飲んでみるんだったと後悔したが、きっとほとんど淡水なんだろ う。しかしタラやニシンが取れるというから塩水かもしれない。誰かなめてみた人はいないだろうか。

ところで、ぼくは不思議なことに気が付いた。サクセス号は2檣スクーナーだから、今揚がっている帆はステイスルとフォースルではないのか。後檣の帆は畳んだままだから、本来これがメンスルではなかろうか。そこで早速キャプテンに聞いてみた。
「前の帆はステイスルではないの?」
「英語ではそういうこともあるけれども、われわれはフォースルというんだ。」
「それなら前のマストはフォアマストじゃないんだね。」
「そう(ノーと彼はいった)。前がメインマストで後がミズンマストさ。」
ふーん、という感じでどうも納得できない。しかし、よく考えて見ると前の帆もブームがあった。ステイスルになんでブームがあるんだろう。ぼくは後で船首に 確かめにいった。確かにマストはないけれども、操作装置にブームが付いている。われわれがステイスルと思ったのは彼らにしてみると目に見えないフォアマス トに付いているブームを持つ90㎡のフォアセイルなんだと納得する。その操作装置はバウスプリットの操作も兼ねているような感じがする。

 

サロンに何人か集まって変な議論をしている。われわれは何となくキャビンを行き来しているけれども、何でマストの柱が船室にないんだろう、本来帆船ならマ ストの根っこはキールに達しているから当然船室内に柱がなければならない。それなのになぜサクセス号にはそれがないんだ、という次第だった。右写真を見て いただきたい。どこにもないことが分かるだろう。大体ミズンマストの位置すら船内にいたのでは分からないではないかというわけで、土屋さんが外へ飛び出 す。「おーい、大体この辺だぜ!」と窓を叩いて示した位置が写真のサロンから降りてダイニングに移る隔壁だ。

ミズンマストのある船内位置
ミズンマストのある船内位置

サクセス号のミズンマストは、メインマストもそうだけれども、鉄のフレームにがっちり固定されていて、船室内の容積を確保すると同時に前方又は後方に倒れ るようになっていて、それでなくとも少ないクルーの手間を省きマストの手入れをし易いようにしているんだろう。その可倒部分はかなりがっちり作ってはある けれども、外航船だったらこの作りではどうかなあ、という感じがしないでもない。
そんな議論をワアワアやっているうちに、何のきっかけだったか腕相撲をやろうぜということになった。今回のメンバーは肴倉さんが最年長で昭和3年、その次 がぼくかと思ったらなんと坪井さんの方が上だった。たとえ19日といえども上は上だ。その坪井さん相手に手を握ったらとたんにこれはダメだとわかった。長 年の経験で、構えれば大体相手の強さがわかる。果たしてイチコロで、彼がダテに髪の毛が多いのではないことを思い知らされる。そんなら、と土屋さんにも挑 まれたがやはり相手にならず、息子どもに大学生のころまでは屁理屈と腕相撲ならいつでも来いと威張っていた面影は今いずこ、という仕儀になった。こっちは 若いですからねぇ、と土屋さんに慰められてますます落ち込む。

閘門に入り高速道路下を通過した
閘門に入り高速道路下を通過した
満杯のバタビアハーフェン
満杯のバタビアハーフェン

そうこうするうちに、船は対岸に近づき進路を変えることになった。これまで東南東、つまり右舷前方から風を受けていたのに、南南西に進路を変えるから左舷 斜め前から風を受けることになるのだ。すばやく変針する必要があるらしく、キャプテンはイーブリンに命じて右舷のリーボードを下ろさせた。素早くエンジン をかけ、面舵にすると同時にバウスラスターを回して左舷側の水を蹴ったに違いない。あっという間にサクセス号は頭を回して195度近くに定針した。われわ れはブームの固定を手伝っただけで、ほとんどはイーブリンの仕事だった。リーボードをこういうふうにも使うのかと感心したが、舵に比べてもかなりの面積が あるから実に有効で、ダブルハンドならではの手法かもしれない。

 

中堤防の上は高速道路で、はるか彼方の海の中を走るように見えた自動車群も、ぐっと近づい て遠くに堤防が見える。キャプテンは10名ほどの手伝いを要請してきて、帆を降ろすという。帆はダウンホールを手繰るだけであっという間に降りるが、畳ん だ帆の隙間に風が入ってともすれば帆を広げようとする。たいした風でもないのに、その力は相当なものだ。この辺が模型とは違うよね、と模型の専門家たちは 改めて実体験を楽しむ。ブームへの固縛は上野さんが大活躍でこうやるんだと手本を示す。ディンギーでの経験があるということだが、キャプテンの方法がより 効率的だという向きもある。まあ、それはやむを得ないだろう。


船舶電話で連絡していたキャプテンがどうも港が随分と混んでいて係留できそうもない、セイルアムスの伴走船が港溜りに一杯だというのだ。やがてレリースタットの閘門が見えてきた。当然といえばそうなのだが、信号が灯って高速道路の自動車が停止する。その後でやおら、という感じで橋が上がると信号が青に変わってわがサクセス号は静かに閘門に入る。後ろの門が閉まるころにはもう高速道路の交通は回復していて、その点はえらく慣れたものだ。
こうして午後7時10分にわれわれはマルケル湖に入ったことになる。すぐ左岸にバタビア号が見えてあれだ、あれだ、とみんなが見つめるうちにその先のバタビアハーフェンには一杯にマストが林立しているのが望まれる。こりゃ一杯だねぇ、と納得しているうちに船はもっと進んでなんだか寂しい桟橋に接岸した。今日はここで夜を過ごすのだ。
7時40分は夏の北ヨーロッパではまだ明るい。それでもキャプテンは明朝タクシーを呼んでバタビア号まで運ぶから、今日はここでゆっくりしてくれという。ゆっくりもくそも、こんな辺鄙なところでは外へ行きようがないではないかとみんな心の中で思ったのだろう。清涼飲料水は冷蔵庫にあるし、生ビールはコックか私にいってもらえればいつでもぐからということで、早速に宴会が始まった。

バーベキューの宴会
バーベキューの宴会

ダイニングとサロンにろうそくが点され夜の雰囲気をかもし出す。やがて露天サロンに天幕が張られてコックの青年心づくしのオードブルが並び、電熱式のバー ベキューセットで肉やソーセージを焼く。いいにおいがあたりに立ち込めた。直径4センチはあろうというソーセージは大変な美味だったが、なにせ電熱では時間がかかって仕方がない。それでもアルコールが回るにつれて、操帆だのマストだのと例によってわいわいと賑やかなことになった。ぼくはいい気持ちで10時 半にはベッドに入った、のだが・・・
もう明け方に近いと思うのに、厚い扉を通してなにやらにぎやかな声が聞こえる。まだ宴会の続きかと夢うつつで何となく聞いたまま、再び眠りに落ちたがどう やら一晩中宴会が続いたらしい。犯人、いや主催者はどうも梅田さんと青木さんらしく、そういえば成田から重い鞄を提げていた梅田さんはそっとチャックを開 けて「ウイスキー・・」と片目をつぶっていたっけ、こんな機会を逃すような人ではないのだ。どうやら被害にあったのは添乗員の福田さん、なんだろうと責任 感から見に行って網に掛かったらしい。あと、よく分からないが何人かが被害をこうむったという。もっとも網を張っていた方も掛かったほうもあんまり加害意 識も被害意識もないようで、翌朝は話ばかりがにぎやかだった。

(福田正彦)