エンクハウゼン Enkhuizen -美しい小さな港


握手するような形で右手(左手ではない)を出してちょっと左に傾けると、かなりオランダの国に似る。手の左側は北海、右側が陸続きのドイツで手首から下が ベルギーになる。親指と人差し指の間の広い面積が北海に続く海域で、昔それをゾイデル海といった。親指の内側の付け根のこところにあるのがアムステルダム である。やがて親指と人差し指の先端を結ぶように堤防が築かれ、内側は内海となってそれを現在ではアイセル湖といっている。親指の中間の関節内側がちょっ とした半島になっていて、そこから斜め右下にもう一つ堤防がある。その中堤防の内側をマルケル湖というのだと地図には載っているが、あまりその名を聞かな い。アムステルダム港に入るには更にもう一つの堤防を超えなければならないが、これらはみな水位の関係だろう。

その親指内側の半島の突端、アイセル湖側 (中堤防の外側)に小さな港町があって、それをエンクハウゼンという。そこから堤防に沿って人差し指の方へ下がってゆくと、最後に中堤防の水門をくぐって レリスタットという町にたどり着く。そこからさらにアムステルダム港まで行くのが今回の帆船による航海だ。だから先ず、われわれはエンクハウゼンに行かな ければならない。


アムステルダム中央駅ホーム
アムステルダム中央駅ホーム

団体の旅先で、各駅停車の列車に乗るのは珍しい。昨夕、空港まで出迎えてくれた現地ガイドの足立さんを先頭に、ゾロゾロと中央駅に向かった一行は10 分ほどでホームに立った。8番線aホームで、8時36 分発エンクハウゼン行きと表示が出ている。「ストップトレイン」と読めるのは各駅停車のことに違いない。黄色を基調に窓の部分を濃紺に色分けしてある列車 はほとんどが2階建てで、ニワトリや煙の類であるわれわれは何もいわれなくともみな2階席へ行く。

ベルも放送もなく、ピーッと懐かしい車掌さんの笛の音で静かに発車した列車は1時間ちょっとでエンクハウゼンに到着するが、都会を出外れるとすぐに田園風景が広がり、水路に仕切られた牧場で牛や馬がのんきに草を食むばかり、人影すら まるで見えない。「今日は日曜日ですからね、特に午前中は子供でも家にじっとしているように躾けられています。オランダの田舎はまだまだ保守的なんです よ。」と、時にホッホッと笑い声を入れながら足立さんが解説する。40年もアムステルダムに住むという足立さんは、それでも少しも日本語の乱れを見せないし、休息日の午前中からソレ船に乗るのだと鼻息ばかり荒くてちっとも躾けられていないわれわれにも寛容な笑顔を見せる。慣れているんだろう。

 

ホールンというやや大きな町を過ぎるとやがてヨットをたくさん係留した水面が見えてくる。列車がエンクハウゼンに到着したのは9 時45 分だった。文字どおり終点で、これから先は線路がない。無事に揃っている証拠にということで全員の写真を撮ったが、期待にかき立てられて、みんなニコニコ しているからおかしい。

とりあえず2日分の荷物を船に置きましょうということで、出迎えに来たキャプテンのヴィーベについてサクセス号に向かう。紹介のとき足立さんは彼の名を「ヴィッツェ」 といったように聞こえたが、もらったウエルカムカードには「Wiebe, Eebline + Atreiae」と署名してあるのでヴィーベと呼ぶことにする。また足立さんは彼の称号を「スキッパー」といった。われわれの感覚ではいわゆる「艇長」と 聞こえるので、サクセス号では適当なのかもしれないが、敬意を表してキャプテンということにしようと衆議一決した。だから、以降キャプテンにするが、ス キッパーは必ずしも小艇の船長を指すばかりでななさそうなのだ。

その証拠に、アムステルダムの海事博物館のレプリカ船「アムステルダム号」で子供を訓練し ていたおじさんは、船長に「アイ・アイ・スキッパー」と言えと指導していたから、かなりの大船でもキャプテンとはいわなくて、それは習慣的なものかもしれ ない。

エンクハウゼンに到着
エンクハウゼンに到着

どんよりと曇った空なのに、赤や黄色の派手な防寒服を着たクルーを乗せて続々とヨットがアイセル湖に出てゆく。港の突端にある埠頭に係留しているわがサク セス号は2 本マストのスクーナーで、白い船体には茶と黄色の線が入り、キャビンの外面はベージュ色に塗装されてとてもスマートに見える。オランダの船の例にもれず、 彼女も大きなリーボードを備えているのが特徴的だ。埠頭から平行に踏み板を渡ってサクセス号に乗り込み荷物を預ける。キャビンに転がり込んで誰やらが大声 を上げたのはそのとき起こった事件だ。まあ怪我がなくて幸いだった。

 

午後3時には船に戻るという約束で、われわれは 軽装のまま町に向かう。いかにもオランダの田舎町という風情がわれわれを魅了する。レンガ作りの建物も、曲がりくねった道路も、日常使用されている跳ね橋 も、さりげない風景であるだけによけい嬉しい。パンフレットによるとここは1355 年に町としての権利を認められている。16 世紀から17 世紀にかけてニシン漁業と東及び西インド会社の貿易で栄えたという。綺麗に手入れされた城門のような塔の上には「1540 年」と金色で書かれていて、16 世紀半ばからの建物であることを示している。その上にある女性像の持っている盾には3匹のニシンが描かれていて、これがこの町の紋章だという。だからぼく は3匹のニシンがあるシンブル(指貫)を買った。外国に行くたびにかみさんの秘かなコレクションに協力することにしているからだ。と思っていたのに、家に帰っ てから開けてみたら3匹のニシンはヨットの模様に化けていた。買うときにとっ違えたに相違ない。じじいになるというのはこういうことだ。

女性像の持っている盾には3匹のニシンが描かれていている(左) 跳ね橋は日常使われている(上)レンガ造りの建物(下)
女性像の持っている盾には3匹のニシンが描かれていている(左) 跳ね橋は日常使われている(上)レンガ造りの建物(下)

 

堤防沿いのベージュ色の塀に開いた何ということのない入り口をくぐると、その奥が屋内博物館で中はかなり広い。東インド会社の交易、その船の模型や豪華なダイニングの食器類の展示も面白かったが、ぼくが興味をそそられたのはオランダという国の文字通り国造りの過程だ。いくつかの小さな島を堤防で結び、その中の水を掻い出して土地にする延々とした工事の有様が資料で展示してある。これを見るだけでもオランダ人がいかに我慢強くたくましい民族か分かる。

地下室には小型船舶の本物が多数展示。
地下室には小型船舶の本物が多数展示。

地下室には小型船舶の本物が多数展示してあるが、どれもよく手入れが行き届いていて帆も綺麗だ。こんな小さな船でもオランダ仕様でずんぐりと丸く、オール を備えた数人乗りと思われるものもリーボードを着けている。オランダの海がそのような形式を要求するのかもしれないが、伝統というのはおそろしく頑固だ。 1 時間ほどでわれわれは屋外博物館に移動した。この屋内、屋外というのは正式な名称で、特にそれ以外の名前がないというのも面白い。屋内博物館の前にある 「カンパニーズハーフェン」というのは東インド会社のころの社有港なんだろうか、それを回り込むと屋外博物館の船溜まりに出る。小型船が係留され今にも出 航しそうに乗組員が整備しているが彼らはボランティアでこれも展示物なのだ。

ニシンの燻製小屋は三角屋根のレンガ造りで、てっぺんにはずらりと四角い煙突が並んでいる。実際に小屋の中で燻蒸しているが小屋の天井に吊るしたニシンの 下の床におがくずを撒いて燻しているだけというまことに素朴なやり方だ。屋外の片隅にはドラム缶に火を入れて魚を燻しているし、となりの浅鍋では魚の切身を揚げている。痩身で白い口髭のおじいさんが見物人にそれを配っているが食べてみると案外においしい。

「これ、なんの魚?」
「コッドフィッシュ(タラ)だよ」
「あなたは漁師さん?」
「そう。それとセイルメーカーさ」
という。縫帆手という意味か文字どおり帆を作っているのか判然としないが、日焼けした青い目が自分の職業を誇らしげに告げている。

ニシンの燻製小屋の中。おがくずを撒いて燻している。
ニシンの燻製小屋の中。おがくずを撒いて燻している。


突然遠くから楽隊の音がして昔の服装をした一団がブカブカ・ドンドンと土手道をやってきた。今日は日曜日だからボランティアの活動も盛んなのかもしれな い。やがてこちらのグループと合同してタラのおじいさんも、魚網を編んでいる人も見物人と一緒になって演奏を楽しんでいる。
上野さんや栗田さん夫妻が最後までタラのフライにご執心だったが、一同は街中に引き返し、ボトルシップ博物館にちょっと寄る。個人経営の小さな家で、経営 者自身が制作した作品を展示しているのだが、どうしてその数はばかにならない。一人の製作だから傾向はかなり同じになるものの、船と同時に情景描写という かジオラマ的要素が強いようだ。

やがて遅い昼食。白いタイル張りの清潔な感じの店で、ガラス張りのケースにはいろいろな魚が並んでいる。なんと読むのだろうかVISHANDEL THEO SCHILDER & Zn.という店だ。ここだったらどうしてもニシンだよね、ということで生ニシンを注文する。ロールパンにニシンと玉ねぎが挟んであって、それにサラダとフ ライドポテトが添えてある。生はどうもね、という向きには燻製のニシンがあってそれはそれでおいしいという評判だった。このあたりのニシン漁期はいつごろ だろうか。日本なら4 月から5 月にかけてだが、調べてみると漁期は5,6 月ごろで、8 月の今なら塩漬けで保存したものを塩抜きしてあるという。食べると決してまずくはないが生という概念が日本とはちと違うという感じだ。上野さんはうまいう まいと食欲旺盛だったが、彼は何でもうまいというからその評価はあまりあてにならない。飲み物は別料金で、微ガス入りのミネラルウォーターは1 ユーロ、感覚からは150 円というところで決して安くはない。

街中を自由に散策していざ船に戻ろうかというときに、泣きそうだった空がとうとう我慢し切れなくて驟雨となった。慌てて郵便局の軒先を借りたりしたが、集 合場所の木の下には添乗員の福田さんがいて、先に帰ってください私は皆さんを見届けますからと半袖のまま雨に濡れてけなげなことをいう。それなら私もとは だれも言わないでみんな船に急ぐ。
いや、添乗員というのは大変だ。

(福田正彦)