エイマイデン Ijmuiden

SAIL Amsterdam 2005のパレード…にぎやかな出迎え



もう一度、右手を握手するように前に出してちょっと左に傾けてほしい。親指の内側の付け根にあるのがアムステルダムだと最初に書いたが、そのアムステルダムから親指を横断して左側の北海まで延びている運河を北海運河という。北海とオランダの内海を結ぶ大きな運河で幅が約300m、長さが30kmだ。10万トンクラスのタンカーも通れるというから海外からオランダ内陸へ貨物を運ぶのにいかに有効かわかる。

 

近くにある有名なキール運河はドイツの戦艦も通れたが、長さこそ98km と長いけれども幅は102mで北海運河がいかに広いか分かる。概してヨーロッパでは運河による水運が発達しているといわれるが、実際に運河を見るとオランダ人というのは地面を掘るのが何とすきなんだろうと感心させられる。何もオランダ人に限らないにしても、比較的平坦な地形がそうさせていることは間違いない。

 

その北海運河の北海側の入り口がアイマウデンという町で、世界各国からの帆船がそこに集結する。北海とアムステルダムの水位が違うから大きな閘門があって そこから運河に入るのだ。もちろんわれわれは見ることはできないが、あとで安藤さんがその写真の載っている新聞をどこからか見つけてきた。あんたは記事に するんだろうからこれをあげるよ、とさすが事務局長で大きな写真が1 面に出ているのを頂いた。見るとDe Telegraaf という新聞でStralende Start!という大見出しのもとに、ロシアのKruzenshtern が手前一杯に写り、後ろには3檣シップと多くの小型船が見える。

 

 

そういう次第で、帆船パレードはこの運河を通ることになって、大きな港で遥か彼方から船を見るのと違ってすぐ傍で見るという特権がある。今日はその運河の土手に出かけようというのだ。


出発前、添乗員の福田さんはパレードに参加する船のリストを配ってくれた。朝早くにプレスセンターへ行って手に入れてきたという。残念ながらどの順番で 入ってくるのかは分かりませんということだったが、大変なご苦労をかけた。

 

このリストによるとTall Ships とある大型船は21 隻で、最大はロシアの4檣バーク‘Kruzenshtern’、ウクライナの‘Khersones’がこれに続き、イタリアの‘Amerigo Vespucci’ がいる、ドイツの‘Alexander von Humbolt’ がいる、ポルトガルの‘Sagres Ⅱ’、ノルウェーの‘Statsraad Lehmkuhl’もいる。地元オランダの大型帆船は4隻で最大はフルリッグドシップの‘Stad Amsterdam’ だ。一方、小型帆船は35 隻が登録されていて、最大でもフランスのトップスル・スクーナー‘Bel Espoire Ⅱ’ で長さは38.5m に過ぎない。大型は最小でも50m ほどだから、このあたりが区分けになっているのだろう。

 

さすがに地元のオランダが多く10 隻を数える。参加国も多く、フランス、ベルギー、ドイツ、トルコ、英国、米国、アイルランド等々多彩だ。同時に船種もいろいろで、スループあり、ケッチあ り、トップスルスクーナー、ガフケッチ、カッター、ラガー、ガフヨールとまあよくも揃ったものだと感心する。

もっとも、帰国してから添乗員の福田さんに教わったウエブサイトを見ると参加予定の船はもっと多彩だ。このサイトはhttp://www.sail.nl/english/ships/tallships/で 今でも見ることができる。それによるとTall Ships(この場合は大型ではなくて帆船という意味らしい)が57隻(そのうち43 隻が写真入でみられる)、Modern Ships が5 隻、Navy Ships が4 隻、合計で66 隻だ。軍艦が参加するとは知らなかったが現にぼくたちはHr. Ms. De Ruyter を見ている。

 

資料によると彼女は防空・指揮フリゲート艦で144m の長さがある。その外トルコの軍艦も参加することになっている。ついでに、この資料で帆船の参加国を見ると、最大が地元オランダで14 隻、次いで英国の9 隻(グレートブリテン7、ユナイテッドキングダム2 と分かれて登録されているのがちょっとおかしい)、フランスの8 隻、ロシアの3 隻で、2 隻はポーランドとベルギー、あとは1 隻ずつで、ドイツ、イタリア、アイルランド、ポルトガル、スペイン、ノルウェー、トルコ、ブルガリア、リトアニア、インド、インドネシア、オマーンとなっ ている。

 

ただ、国籍を記載されていない船が他に7 隻あり、この数字は確たるものではない。セイルアムステルダム2000 には日本から大阪市の3 檣スクーナー「あこがれ」が参加して会員の東さんが写真担当で乗り組んでいらしたが、今回は参加がなくてちょっと寂しい。

 

前置きが長くなった。8 月17 日水曜日午前9 時、みんな揃ってバスで出発。運河の土手に向かうのだが・・・

「今日は大変混雑すると思います。運河の閘門近くまで行けるといいんですが、どこまで行ける か分かりません。まあ、できるだけのことはしてもらいますが」

と足立さんは今になって情けないことをいう。

 

われらがバスはすでに街中を通り抜けて田舎道 を走っているが、程なく車の数も増えて運河に近づいたのかと思うまもなく係りの人にストップさせられる。乗用車が何台か近くの駐車場に回される一方で、運 転手さんはなにやら係りの人と交渉している。日本からはるばる来ているんだ何とかしてくれよ、てなことをいったに違いない。となって通過すること回あま り、OK 2 さすがにもうこの辺にしようということになって運河沿いの駐車場に入る。ここは室内スキー場のあるところで、駐車場も広い。12 時には出発しますから、それまで土手で見学してくださいといわれたのは9 時45 分だった。

 


セイル・アムステルダム2005のパレード ----- にぎやかな出迎え

運河の土手に上ると、いやー、いるいる、ずらりと見物人が大勢すでにパイプ椅子からビーチパラソルまで用意して一面に陣取っている。ぼくはオーランドでス ペースシャトルの打ち上げを見に行ったことがあるが、あのときに劣らない人出だ。もっとも運河の土手は長いから立錐の余地なしというほどではない。

 

ところ がこの土手、写真でも分かるように機械で鋤いたあとが生々しい。普段は人なんぞいないだろうからどうやら牛や羊の放牧に使われていて、彼らか彼女らか知ら ないけれども、自然の欲求に従って有機物を振りまいているらしい。見物が多いとあってあわててこれらを鋤きこんだというところか、かなりの臭いがする。 もっともその土手に薄い敷物でぺったりすわり込んでいる若い女の子たちもいるから、オランダ人はこの手の臭いには鈍感なのかもしれない。

 

見渡す限り出迎えの船だろう、大きな船あり、観光船あり、帆船あり、異型の船ありで運河は一杯、みんな西を目指して走ってゆく。こんなに行って大丈夫なん だろうかと心配になるぐらいだ。やがて、どうやら出迎え船が満杯になったらしい、何の合図があったわけでもないのだが出迎えの船が一斉にぐるりと向きを変 えて東を向いて停滞する。

 

このあたりは壮観で、運河の幅一杯に大型、小型の船がそれぞれ回頭するのは相当の腕前がなければできない。300 メートルという運河の幅があってのことだろうが、イヤー慣れたもんだと感心する。ところがそれからが長かった。何しろ11 時には閘門を通ってパレードの船が入ってくるというのだが、待てど暮らせどそんな気配はない。

 

遥か左側、つまり西には閘門らしいものが見えそうだし、なん となく大型帆船のマストらしい動きもあるが、11 時40 分になってもちっとも様子が変わらない。そのうちプロペラ機が飛んできて煙を吐いて歓迎の文字を見せる。空中に描かれた文字は“Enjoy the Experience(この体験を楽しもう)”と読める。

まあ、楽しんではいるけれども、どだいわれらが日本男子はこらえ性がない。まだかまだかといらいらしている様子が顕著だが、ヨーロッパ人はのんきなものだ。添乗員の福田さんは困ったらしい。そうだろう、12 時には出発しますなんていった手前もあるが、何しろメインイベントが始まりもしないうちにバスを出すわけにはいかない。みんなと相談してまあパレードが始まってから出発時間を決めましょうということになった。


目の前の運河にはもうびっしりといっていいほど船が満杯で、そのうちの大型観光船の甲板では楽隊が演奏を始めている。一斉にこちらを向いてなにやら行進曲 風のにぎやかな曲を奏でる。すぐ目の前だから楽隊のおじさんたちの表情も見え、ひどく楽しそうだ。5年に1 度のお祭りとあって浮かれ騒ぐのも分からないではないが、どうもこっちの感じとは違う。

 

ところが、ところが、われらの仲間にもひどく楽隊に共感する人がい たのだ。塩谷朝子さんは持ち前のおおらかな性格そのままに、おじさんたちの楽の音に合わせて土手の上で踊り出した、というよりその雰囲気に誘われて自然に 身体が動いた、といったほうがいいかもしれない。両手を拡げ、なんだかよく分からないがスカーフのようなものをひらひらさせておじさんたちの演奏に合わせ る。そうなると楽隊のおじさんもいっそう熱が入るというもので、つかの間の交歓にみんなニコニコしている。

 

運河の土手の見物人。パイプ椅子からビーチパラソルまで用意して一面に陣取っている。
運河の土手の見物人。パイプ椅子からビーチパラソルまで用意して一面に陣取っている。

そうこうするうちに、どうやら船が動き出したらしい。遥か西のほうに動きがあるらしくみんな閘門のほうを向いてなんとなく騒がしい。そのうち向こうのほう から高いマストが見えてきた。近づくと白い船体にフォアとメインのアッパーとロウアーのトガンスルを張った3 檣シップだ。他の帆はいくらか緩めてあるが、生憎と風は東ちょっと北という感じですべて裏帆を打っているが、初めての参加船にみんな感嘆の声を漏らす。

 

と ころが何とこの船には大型の伴奏船が付き添って、乗客のサービスの心算なんだろうが手前にぴったり張り付いているものだから、乗っている人はよくても運河 の土手で見学しているわれわれにはマストと伴奏船しか見えない。それでなくとも乾舷の低い帆船だからそれはないよとみんな憤慨するが、どうすることもでき ない。


続いて白い船体のトップスルスクーナーが見えるが、これは小型船だから伴奏船の食欲をそそらないらしく、われわれのほうからよく見え、船体には TOLKIEN と船名が読める。大型の3 檣バークは堅く帆を巻いているが、甲板は大勢の人だかりでどうやらかなり多くの招待客を乗せているようだ。参加船に乗るのも悪くはないが、いろいろな船にお目にかかるには土手にいるにしくはない。そのうち現れた黒い船体のブリガンチンのフォアメインヤードの中ほどには、黒いT シャツのクルーが馬乗りになって腕組みしてこちらを見ている。ありゃあよく見えるだろうな、とみんなでいうがフットロープも無しに跨るには相当の年季も要るんだろう。

 

やがて姿を見せたのは赤い船体に黄色の帯を描いてある3檣シップですべての帆をグーズネック風に少し緩め、ジブとステースルを一杯に張っている。シーアもきれいな船でひどくスマートだ。やや北寄りの東風だから絞った横帆は裏帆にならず、ジブもステースルも風をはらんでいるのでいかにも帆船といった風だ。風をよく見た巧みな展帆だとぼくは感心する。資料で見るとたぶんウクライナのKHERSONESだと思う。それなら109.4メートルもある大型船だ。この船も後甲板は人で満杯。 


赤い船体に黄色の帯を描いてあるウクライナのKHERSONES。ジブもステースルも風をはらんでいるのでいかにも帆船といった風だ。
赤い船体に黄色の帯を描いてあるウクライナのKHERSONES。ジブもステースルも風をはらんでいるのでいかにも帆船といった風だ。

続々と参加の帆船が通り過ぎてゆく中、驚いたのは軍艦の登場だった。予備知識は何もなかったからいきなり現代の防空・指揮フリゲート艦、それも最新式のも のにはびっくりさせられる。いくつもの優雅な帆船の間を通ると戦闘艦というものは大変な威圧感がる。この軍艦は前述のようにオランダ海軍のHr.Ms. De Ruyterで、ザ・7プロビンセスの指揮官だったRuyter提督の名前をつけたのだろうか。そうこうするうちに、ロシアの有名な帆船Kruzenshternが現れた。黒い船体の白い帯がだんだん模様になっているのが特徴で、4檣バークの大型船だ。この船はみんなおなじみだから、ああクルゼンシュテルンがきたぜ、と拍手を送らんばかりに歓迎する。

 

そんな喧騒の中、運河に住む十数羽の白鳥たちはわれ関せずで、ゆうゆうと辺りを眺めているがそれでもみんな東を向いているからおかしい。イタリアのアメリゴベスップチが来ないかなあ、いう人もいてなんとなく名残惜しい気もする中、なにやら土手の下が騒がしくなった。われらの仲間が数人固まっているが、何だと思ったら土屋さんがどうやらハムに当たったとかで青い顔をしている。塩谷朝子さんが何くれとなく世話を焼いているが、うまい具合に近くに救護所があって係りの人から錠剤をもらっているらしい。まあ、大事にならずによかった。パレードはまだ続いているが、これからの予定もあり出発しましょうということになってバスの出たのが13時24分、大幅に予定を過ぎていた。

 

そもそも今日の予定はフリーで、みんなそれぞれにパレードを楽しむことになっていたのだ。もっともそれは建前で、ばらばらに行くわけにもいかないから臨時 にバスを仕立てて見に行ったことになっている。だから今日のバス代はそれぞれが10ユーロずつ別途に支払っているのだ。これからセイルアムステルダム 2005 のセレモニー会場へ向かって、そこでまあ、解散ということになる。


ロシアの有名な帆船Kruzenshtern 。黒い船体の白い帯がだんだん模様になっているのが特徴。
ロシアの有名な帆船Kruzenshtern 。黒い船体の白い帯がだんだん模様になっているのが特徴。

 

セレモニーというのは参加船の終着点であるアムステルダム港でみんな揃って登檣礼をやっ たりすることらしい。参加船のお披露目だろうか。そういった次第で、バスは港の北側まで行ってそこでみんな降りる。あとはセレモニーを見てもよし、海事博 物館へ行く人もあり、ロッテルダムの美術館にどうしても行きたいという人もありで、それぞれの行動になる。どうしても美術館を見に行きたいんだと、朝のバ スの中で肴倉さんはあとで別行動をしますからと、ご丁寧にみんなに挨拶されていたのには恐縮した。


ぼくは上野さんと人でセレモニーを見に行った。広場は港を挟んだ駅の反対側で、目の前に参加帆船が集合するはずだがまだあまり集まっていない。売店も出ていてそれぞれに遅い昼食を摂ることになったが1軒の小屋にベルギー・ワッフルと書いてあるではないか。昔パリの国際見本市で四角いワッフルにクリームを延ばし、その上にイチゴを一杯に乗せたやつで味を占めて以来、ぼくはワッフルに目がない。東京の国際見本市でスウェーデン製のワッフル焼きの器械を買ったほどだ。あまり大きくないなと思ってプレーンとブルーベリー・ソースの2つを買ったが、いやボリュームのあること、見た目よりよっぽど腹にこたえた。

 

考えてみればパリのワッフルからもう40 年経っているから胃袋も老化したのだろう。残すのは申し訳ないから無理々々食べたけれども当分ワッフルは願い下げという態になった。あなたは年のことをちっとも自覚していないと常々かみさんにいわれるのはこんなところか。

 

港にはウクライナのケールソンズが優美な姿を見せていたが、いつセレモニーが始まるか見当もつかない。足は痛くなるし疲れはするしで、上野さんと相談してフェリーで駅まで戻ることにする。おまけに道を間違えてそれでなくとも痛い足を引きずって船着場までいったのだが、ほんとにフェリーは来るんだろうか。港は船が一杯で、しかも後から後から参加船と伴走船が右手から入ってきて目の前を横切る。フェリーはそこをよぎって対岸の駅へ行くのだがその流れを横断できるんだろうか。あたりは人が一杯で、たとえ船が来ても乗れるかどうかすらも分からない。

 

ところが、ぼくはオランダ人の操船手腕を見誤っていたのだ。やがてフェリーが接岸すると、さしもの人数が全部中に入れた。普段は車の入るところにぎっしり人が入るのだからそういうことになる。しかもフェリーはためらいもせずに船の流れを悠々と横断して対岸の駅の裏に着けた。フェリーもそうだが、見物の船も参加船もその操船術は見事というほかはない。その往復するフェリーのブルワークにぴったり陣取って、何しろ無料だから何往復もしてセレモニーの様子をカメラに収めた豪傑がいる。それが伊藤さんで、いゃあ、うまくいきましたぜ、とちょっと鼻が上を向いていた。

いやいや、それにしてもくたびれた。とりあえず宿に戻って一休み。なにしろ同室だから、若い上野さんはこれから街に出て夕食にしようではないか、しかもこってりしたステーキが食べたいという。ステーキねぇ、ぼくはとてもそんな気分ではなかったが、何とか妥協してあるイタリア料理のレストランに入った。あるじはいかにもイタリア人という感じの黒髪で細身の人だったが、注文をとりにきたのは金髪で大柄な可愛い女の子だった。上野さんが骨付きのラムの塊り300 グラム、ぼくはトマトスープとピッア・マグラリータを注文してそっと聞いてみた。


「あなたはイタリア人?」
「いいえ、イタリア人は髪も黒いし、眼も茶色でしょ」

そういう。そしてそっと、
「アイム、ポーリッシュ」とささやいて、そのあとぽつんと
「ポーランド」と親切に言い添えた。


そうかポーランド人か、はるばるオランダに働きに来ているのか。あの国はちょっと哀しい歴史を背負っているとぼくは思っているのだが、このいかにも心優しい女の子はぼくのイメージするポーランド人にふさわしい。だからぼくはついサンペレグリノを余分に注文してしまった。


事実、後の勘定でシェアをするから計算して、と頼んだら一生懸命に計算してくれて領収書に鉛筆書きでそれぞれの料理と値段を記入してくれた。翌日行ったホテルのレストランは美味しかったが、そのウエイトレスはシェアの計算を頼んでも、つんと上を向いて、「イット、ダズント!」と、にべもなかったから、せっかくの美人が台無しだった。もっとも外国ではこれが当たり前なのかもしれない。

 

(福田正彦)

ベルギー・ワッフル。見た目よりボリュームがあり腹にこたえた。
ベルギー・ワッフル。見た目よりボリュームがあり腹にこたえた。