アムステルダム Amsterdam


この欲張つたツアーの主な日的は3つある。最初は2本マストの帆船サクセス号での2日間のクルージング(バタビア号見学も) 、それにもちろん北海運河の土手でのSAIL AMS帆船パレードの見学、最後はストツクホルムでのヴァーサ号の見学である。幸いにというべきか、一部の人には疲れることにということだろうが、いくつ かのおまけがついた。

アムステルダム海事博物館ではレプリカのアムステルダ号での砲撃演習、デルフトでの海事博物館とデルフト造船所博物館で建造中のDEDELFT号の見学。 ここではお客も少ないらしく案内のおじさんが喜んで詳しい説明をした上に端材を持っていかないかねといつてくれたり思いもかけぬ収種だった。ストツクホル ムは住宅街にある5人も入れば満杯の模型店ESKADER FARTGS MODELLERをびっくりさせ、偶然買物にきた現地のモデラーとも交歓できたし、塩澤さんが買い付けルートも確保した。

船キチには付き合いきれないとい3人の奥さん方には添乗員の福田明広さん(正彦さんではない)が気を利かしてノーベリ賞の式典が行われる市庁舎、王様の宮 殿や買物案内までセットしてくれた。男どものおまけの極めつけはアイスバーと称する氷の世界でのドリンだが、なぜ極めつけかは読んでのお楽しみ。

こうして18人の旅が始まった。


レプリカのアムステルダム号。甲板に登ると、ボランティアのクルーが見物人に混じって当時の有様を再現している。
レプリカのアムステルダム号。甲板に登ると、ボランティアのクルーが見物人に混じって当時の有様を再現している。

アムステルダムの海事博物館― アットホームな博物館

フライドエッグス、カリ8 18 カリのベーコン、新鮮野菜に果物とヨーグルトという朝食のあと、オプションで20 ユーロの見学ツアーがあるというのを断って、上野さんと2 人で海事博物館へ出向くことにした。アムステルダムの海事博物館は正式には「オランダ・アムステルダム海洋博物館Nederland Scheepvaaratmuseum Amsterdam」というらしい。ぼくは1995 年に一度行っているが再度見る価値があると思ったからで、行ってみるとそれは正解だった。
午前9 時半、ホテルを出てゆっくり港沿いを歩いて行ける距離だが、10 時前だというのに大変な混雑ぶりだ。パレードに参加した帆船のクルーたち、特に海軍の練習生たちが引率されて訪れている。ロシアのクルゼンシュテルンの乗組員だろう、まだあどけないといった感じの水兵さんと、どう見ても13 歳か14 歳としか思えない、たぶん士官候補生かあるいは海軍兵学校の生徒か、黒いジャケットに半長靴、変形ベレーのような帽子をかぶっているのが水兵さんと共に30 人あまり、年配の女性が通訳らしくまとめて切符を買っているが、何人いるかも把握していないらしくて、なんともまだるっこしい。シニア料金の7 ユーロを払って入場するのに30 分あまりもかかった。

館内を回りながら、その水兵さんにきみたちはロシアの船から来たの?と聞くがどうも英語が通じない。聞いたのはロシア人特有の色白の太った子で、もじもじと尻込みしてみんなの間にもぐり込んでしまう。ところがその中にハリー・ポッターのような丸眼鏡をかけたな可愛い男の子がいて、てきぱきとその通りだという。聡明そうな子でロシアの水兵さんもいいのがいる。

同じような少年の水兵さんを見ると、こちらはどうやらインド海軍らしい。船の名前を聞いたが、あのインド人特有のはねるような英語でさっぱり分からない。そうかそうかと分かったふりをして、後で調べたらINS タランギニと分かった。それでもインド海軍の少年たちはなかなか活発で、大変興味のあるパレードだったという意味のことを口々にいう。概してインド人はよくしゃべる。

 

館内の展示には模型も多いが、圧巻はオランダ王室のロイヤルバージの現物だ。1818 年ごろのものらしく、ロッテルダムの海軍造船所で建造されたという。華麗な船で船首尾の彫刻が見事で金箔にかなりの費用がかかったと書いてある。模型の船尾彫刻も見事だ。

オランダ王室のロイヤルバージの現物。1818 年ごろのもの、華麗な船で船首尾の彫刻が見事。
オランダ王室のロイヤルバージの現物。1818 年ごろのもの、華麗な船で船首尾の彫刻が見事。

館内の見学を終えてレプリカ船を見に行こうぜ、と外へ出ると男声合唱の声が聞こえる。係留しているレプリカ船アムステルダム号の向かい側に、お揃いのダブルのブレザーに身を固めたおじさんたちが歌っているのだ。どうやらずぶの素人らしくて、歌そのものはちっともうまくはないが、しかつめらしい顔のいい年をした白髪、髭面のおじさんたちがいかにも一生懸命という風情で歌っているから思わず引き止められた。好きでやっている団体だろうが、その風景がアムステルダム号といい対照でもある。


アムステルダム号の甲板に登ると、ボランティアのクルーが見物人に混じって当時の有様を再現しているのだが、ちょうど今日は少年の訓練をしているようで、どう見ても5歳か6歳の少年が3人、女性のクルーを交えてボースンの前に立っている。ロープを引いて1列に並ばせ、オランダ語だから何をいっているんだか分からないが(まあ、英語だって分からないだろうが)、どうやら船長の命令に対してはちゃんと“アイ、アイ、クリッパー”と答えろ、といったらしい。
練習だ、さあ、いってごらん、とボースン。
「アイ、アイ、クリッパー」
と少年のか細い声が返る。
「何だ、そりゃあ!そんなことじゃ聞こえんぞ!」
といったんだろう、それに加えてボースンは
「アイ、アイ、クリッパー!」
と天を向いてほえて見せた。今度は
「アイ、アイ、クリッパー!」
と3 人が精一杯の声で答える。いやー、ぼくは中学時代の配属将校の教練を思い出したがもちろんあんな暗さはなく底抜けに明るい。
当の船長は恰幅のいい人で三角帽をかぶってコーターデッキに立っているが、熱心に見学しているぼくを見ていたんだろう、傍に来て「11 時半から砲撃訓練をするから、見ていったらどうだね。」と英語でいう。そういえば甲板には小さな大砲が1門用意されていて、船長は12 ポンド砲だという。スモールガンだがということだったが、火門の部分は鉛の板で覆われて、水の入るのを防いでいる。


予定が大分遅れたが、12 時にはその砲撃訓練があった。事前にボースンがそっと砲門の中に赤く塗った小さな箱をセットしたが、どうやらそれが発煙と大砲の音を出す仕掛けらしい。やがて、今度は少年たちを抜きにして大人のクルーが12 ポンド砲を操作する。型どおり火薬と弾丸をつめ、押し出して点火するが、砲音と共に薄い煙が出るものの、もちろん大砲自体は駐退しない。何しろ海面はパレードに参加した船が一杯で、本物の砲弾を発射しようものなら沈没する船も出るというものだ。それでもなかなか勇壮で大勢の見物客からは盛大な拍手が起こった。最後にクルーと少年を集めて船長から訓示があって訓練終了。こうやって海洋国オランダの伝統が子供たちに伝承されてゆくといえば大げさだが、何気ない遊びの中にも海洋国としての顔を見せるのはやはりオランダだからなのだろう。


そういえばこの旅に出発する前、栗田さんから資料がみんなに配られた。日本とオランダ、スウェーデンの諸元を比較した詳しい表で、国土面積は日本がオランダの8 倍以上もあるのに、内水面積はオランダが2.5 倍もある。国土で特徴的なのは陸地の国境線が日本ではまったくないのにヨーロッパ諸国は数百キロから千キロ以上もある。おまけに海岸線の距離は、内水面を除いてあるのだろうが、日本のほうがオランダの66 倍もあるのにわが国は海洋国とはいいがたい。


今度の旅でぼくはいかにもオランダが海洋国だと感じたのだが、その理由は単に船の量が多いとかいうことではなくて、上の数字が物語るようにヨーロッパの中で育った歴史とそれが自然にもたらした海への近親感というものがまったく違うからだと思うのだ。例えば、パレードの歓迎船でも、後で乗ったカナルクルーズでも、小さな船によちよち歩きの幼児までもがライフジャケットを着けて平気で乗っているのを目にした。親も注意はしているんだろうが、まったく危ないという感じは見えない。10 年前にオランダを訪れ、エダムという町のクリークで5 歳ぐらいの男の子が1 人、平気でゴムボートをよたよた漕いでいるのを見て驚いたことがある。海洋国というのはそういう感覚をいうのだ。

 

アムステルダム散策― 蚤の市とレンブラントハウスなど

パレードのおまけ、という感じで午後からは有名な蚤の市を見て歩いた。上野さんは張り切ってえーと方角はこちらと地図を頼りに案内してくれるのだ が、お任せでたどり着いた蚤の市ではどうやら目指すものが違うようだ。それじゃあ2 時にあそこで会おうと約束して1 人で回る。


ぼ くの目当ては工具類で、10 年前に格安のドライバーを買って今でも重宝に使っているという経験がそうさせる。ところが市はかなり様変わりしていて派手な着物が主流なのと、なにやら古 道具とか写真類、あるいはペンダントのようなものが圧倒的に多い。驚いたことにポルノのCD が盛大に出ている。1 枚2 ユーロというから高くはないが20 枚で30ユーロだからお得だよ、というのには思わず笑ってしまった。いいじいさんがポルノでもあるまいと買いはしなかったが、ちょっと惜しかった気がしな いでもない。折角だからとあちこち探しているうちに工具屋が1 軒ちんまりとあった。そこで買ったのはたくさんの種類のねじとボックスが付属しているフレキシブルワイヤー付のドライバーで、電池を入れれば先を照らすこ ともできるし、電動ドライバーに接続もできる。それと木工用の錐で、幅が12 ミリから25 ミリまで5 本が入っている。これはもちろん電動ドライバーに使うものでこの両方で7.2 ユーロ、その時の感覚でいえば1,080 円ぐらい、これは安かった。

 

午 後2 時、予定通り上野さんと合流して行った先がレンブラントハウスだ。もちろんレンブラントは絵画で有名だが、エッチングの大家でもあることをここで初めて 知った。ぼくはペン画に興味がある。友人の海洋画家からG ペンと証券用インクを買って、スケッチブックに平行線を書いてそれがグレーに見えるようになるまで練習しろといわれているのだ。どうして、どうして、思う ようには行かないが、それでもペンで書くというのはこんな感じかと思っていたから、レンブラントのエッチングには大変興味を引かれた。絵画の鑑賞という面 からは邪道かもしれないが、大家の筆使い、いやペン使いはよく見ると正確なんてものじゃないことが分かる。線の間隔とカーブが絵にどんな影響を与えるの か、余白が光をどう表現するのかと見ていったら、こりゃとてもじゃないがぼくなんかがペン画を志すのはもってのほかかも知れないと思えてきた。ついつい絵 に見とれて階下に降りたら上野さんが1人ぽつんと椅子にかけて待っていて気の毒なことをした。まあそれやこれやを、目下ペンで線を書くことをサボっている 理由としているのだ。

アムステルダムの町は水が多いので楽しい。ついでに、ということで1時間のカナルクルーズを楽しんだ。運河はもう船で一杯、どうやってかなり大きいクルー ズ船を動かすのか眺めると、小太りの女船長は一杯にスラスターを使って混雑する運河で巧みに船を操る。それでなくともパレードの見物船で混んでいるのに、 ぶつけることもなく運行する腕はたいしたものだ。その代わりエンジンとスラスターの音はかなりやかましい。切り替えのときなどガラガラ・ガッチャンとすさ まじい音がするが、それが当然のように顔色も変えない。たった1度、橋脚をがりがりと擦ったが、わずかにニヤリとしただけだった。


船内の説明ではアムステルダムの町並みで特徴のあるのは前面の壁の天辺にビームが突き出していることだそうな。そこに滑車をつけて荷物を上に揚げる。こう することで階段の面積を減らすことができるという。そういわれてみるとどの家にもビームがあって、心なしか前面の壁が手前に傾いているように思える。東イ ンド会社時代の荷揚げ技術が伝統として残っているのだろうか。

アムステルダム最後の夜だが、今日は自由行動が建前だからみんなと一緒に食事することはない。ルームメートとの行動で、たまにはホテルのダイニングルームで豪華に夕食をしようぜということに一致した。スーツこそ着ないが服のしわを伸ばして乗り込んだのは今泊まっているクラウンプラザホテルのレストランでDorrius という。1890 の創業と麗々しく書いてあるが、ろうそくの光の中でいかにも重厚な感じだ。こってりしたジャガイモのスープ、メインは白身魚のシュリンプロールで見た目よりもずっと味が濃い。ボリュームもある。デザートにカシスのアイスクリームを頼むが、ぼくはカシスにも目がないのだ。これにビールと白ワインを入れて1 人42.1 ユーロざっと6300 円というところで、高いとはいえないが安くはない。これでウエイトレスの愛想がよければいうことはなかったが、そうは行かないのが世の中というものだろう。
明日はスウェーデンに向かう。本物のヴァーサに会える。ちと食べ過ぎのおなかを抱えてベッドに入ったのは午後9時半だった。

(福田正彦)