アナポリス Annapolis

 

 


中学生の頃、ぼくは海軍士官になって潜水艦に乗りたかった。戦時特例のために中学3年で受験した海軍兵学校の1週間近くも続いた試験は最終日で落第し、夢 ははかなくも泡と消えた。とうに軍艦のいなくなったわが海軍の兵学校に入った友人が「米国はアナポリス、俺たちゃ穴ホリス」と毎日の防空壕掘りを嘆いていた が、そのアナポリスの米国海軍兵学校を50年後に訪問しようとは、神様だってご存じなかったに違いない。

ワシントンDCの東、車で1時間ちょっとのアナポリスは風光明媚でおよそ軍の施設という感じがしない。濃い緑に囲まれた広い道路を過ぎるとチェサビーク湾の青い海面が広がって、兵学校のゲートで迎えてくれた水兵さんに海軍だなぁと思うぐらいだ。中山さんが事前に連絡をしていたので、博物館にはロバート・サ ムロールさんとジョン・ハドック さんが待ち受けてくれ、その上思いもかけず日本の海上自衛隊からの連絡士官永井澄生3等海佐も同席された。先方が気を利かせて、通訳を兼ねて招待したもの らしい。頂いた名刺には「リエゾーン・オフィサー」とあった。


海軍兵学校の博物館

長身温厚なサムロールさんはここの模型部門の長で、どちらかというと現代軍艦が専門らしい。ハドックさんは帆船が専門で、駆逐艦の艦長が似合うような鋭さを秘めた人だが、「何せワシントンの交通事情はいいワインと違って年を経てもちっとも良くならないから遠回りでもベルトウエイを使え」と、ホテルを出てからの道順を事細かに手紙で指示してくれた外見に似ず親切な人である。その手紙を見たとき、ぼくはよく分からなかった。「ヴィンテージワインと違っ て・・」と書いてあったのだ。歳をとるごとに良くなることはないというジョークだと気が付くのにちょっと時間がかかった。情けない。

帆船が専門のハドックさん
帆船が専門のハドックさん
ソブリン・オブザシー
ソブリン・オブザシー

初対面の挨拶もそこそこに、まあとにかく見てほしいと館内を案内してもらったが、お世辞でなくここの収集は素晴らしい。帆船模型の展示品の中心はロジャーシップモデル コレクションの108隻で、1650年~ 1850年のいわゆるドックヤードモデルである。中にはケースも当時のままで、あるモデルではケースの底に進水用のレールが組み込まれていて最近になってそれに気付いたとか。ハドックさんはそれを引っぱり出して写真に撮れと勧めてくれる。このあといくつかの海事博物館を見たが、ここが一番だねというのがわれわれ一同の感想だ。この博物館は年中無休で無料だから、機会があったら是非ご覧なることをお勧めする。

 

そのうち、永井海尉がそっとぼくに耳打ちする。
「フトック・シュラウドって何ですか?」
われわれの会話の中に出てきたのだが、さすがに永井さんでも帆船の用語は分からなかったらしい。
「マストのバックステーにラットラインを張ったいわゆるシュラウドから、トップへ登るためのシュラウドで、トップの固定もするんですが・・」なんて面倒な話はしない。
「ここの所を言うんですよ」とそっと耳打ちして、目の前の模型のトップの下を指す。ははあと納得して、永井さんはまあ大丈夫と思ったのだろう、所用があるのでと途中で退席した。

 

一通り見終わって、一般の人は入れないワークショップの中へと招じ入れてくれた。周囲にいた見学者は、何だ、あいつらはという顔をするのでちょっといい気 分だ。製作過程の写真を見せながら中山さんの通訳を通して話すのだが、絵があればすぐに分かる連中だから、片言でも何とかなる。麻糸はもうなかなか手に入 らなくてね、これは昔買ったのだが大事に使っている、と大きな糸巻きまで見せてくれた。

 


最近見つかったという進水用レールを見せるハドックさん
最近見つかったという進水用レールを見せるハドックさん

倉庫で発見した文書

やがて、倉庫を見せてあげようということになった。天井も高くかなり広い倉庫にはいろいろのものがぎっしり詰まっており、現在整理中というのだが、こういうことになると人一倍鼻の利く渡邊さんが梯子の上にあがって銀製の薩摩藩の軍船を見つけた。傍らに漆塗りの箱に入った筆書きの文書があるという。許しをもらって拡げてみると、何と昭和35年、つまり1960年11月28日付で横須賀水交会がここ米国海軍兵学校に宛てた文書ではないか。

達筆で書かれた全文をここに紹介はできないが、この文書によると、終戦時に当時のソ連が記念艦三笠の解体破壊を主張したけれども、アメリカとイギリスが反 対したために上部構造物だけの撤去で済んだ。その後悲惨な状態で放置されていたが、1958年(昭和33年)に三笠保存会ができて復元工事が始まり、募金運動にアメリカ海軍から多大の協力を頂いた。工事は1961年(昭和36年)に完成の予定である。ついては感謝の意を表するために、元海軍大尉谷上泰造が 製作した軍艦三笠と咸臨丸の模型とを横須賀米海軍基地司令官を経て米国海軍兵学校に寄贈する、というのだ。

日本海海戦の旗艦である三笠を、当時のソ連が破壊したいというのはあり得ることだが、それがアメリカやイギリスの好意的な反対で阻止できたとは知らなかった。奇しくも35年後に帆船模型を趣味とするわれわれの目に触れたのも何かの縁だ。サムロールさんたちにこの文書の大意を説明して三笠や咸臨丸の模型がある筈だが、と聞いてみたが分からないという。日本字の読めない彼らは 傍らにあった薩摩の軍船の説明文だと思っていたらしい。
渡辺さんが無理を言ってその文書をコピーしてもらったから、今ぼくの手元にそれがある。英訳して送り、模型を探してもらおうと渡辺さんがいっていたのだが、どうなったのだろう。それにしてもアナポリスで幻の三笠に会おうとは、世の中何があるか分からない。

倉庫にあった銀製の薩摩藩の軍船
倉庫にあった銀製の薩摩藩の軍船

アナポリス海軍兵学校海事博物館内のワークショップの倉庫で発見した文書。銀製の薩摩の軍船のそばにあった漆塗りの箱に入っていたもので、本文書にある三笠と咸臨丸の模型はその近くには無かった。この文書は筆書きで、同館でコピーしていただいたものをタイプした。なお、本文中の漢字は旧本字が使われている
アナポリス海軍兵学校海事博物館内のワークショップの倉庫で発見した文書。銀製の薩摩の軍船のそばにあった漆塗りの箱に入っていたもので、本文書にある三笠と咸臨丸の模型はその近くには無かった。この文書は筆書きで、同館でコピーしていただいたものをタイプした。なお、本文中の漢字は旧本字が使われている

アナポリスでの昼食

歴史は人間の物語ー人間の衝動や夢の物語だと言ったのはバーサ・サンフォード・ダッジ女史だが、ぼくたちにとっても人間の物語として歴史を読むのは楽しい。まして外国を旅するならばその歴史を知らなければと常々いわれながら、ついそのままになっていたものが、最近になってサムエル・モリソンの「アメリカの歴史」を手に入れた。だが文庫本の各々500ページを超える5巻を読むのは大仕事で、まだ2巻目の半分ほどを読んだに過ぎないけれども、このアナポリスが建国前後のアメリカにとって極めて重要な都市であったことが理解できる。そのころはワシントンDCなんぞ影も形もなかったのだ。
私掠船から発達したアメリカ海軍がやがて世界に君臨するまでの歴史がこのアナポリス海軍兵学校に凝縮されているような気がする。それは勿論この博物館の展示に如実に現れているのだけれども、もう一つ、昼食にサムロールさん達と近くの街へ出たときにも、僅かに感ずることができた。時間がなかったから、アナポリスの街を見学することはかなわなかったが、兵学校の営門を出て少し歩いた街がいかにも古い。アンティークの店あり、食器店あり、洋装店ありなのは当然だが、その各々がいかにも風雪を感じられるおっとりとした、ヨーロッパのような雰囲気なのだ。
やがて入ったレストランも、どこにでもありそうな古風な店ながら、木造の高い天井、くすんだ太い梁、ぎしぎしという木の椅子。サムロールさんのなじみの店らしく、愛想のいいおばちゃんに席を用意してほしいと頼んでいる。一行7人がテーブルを囲むと、ハドックさんがここの名物はねとメニューを見ながら、強制するわけではないがと目で知らせて、クラブケーキだという。中山さんの説明(通訳)ではどうやら蟹の卵焼きのようなものらしい。
チェサビーク湾は有名な漁場だから、蟹が捕れるのかどうかは別として海産物はきっとおいしいに違いない。ぼくは一も二もなくそれを頼んだ。土地の人が旨いと言えばほぼ間違いない。果たして出てきたのはイングリシュマフィンを二まわり大きくしたような蟹の、まあ卵焼きというか、オムレツというか、何せむやみとおいしい。おかげでそれ以外に一体何を頼んだかさっぱり記憶にない。

海軍兵学校船舶模型協会の名誉訪問者証
海軍兵学校船舶模型協会の名誉訪問者証

歴史探訪を終えて博物館に戻ると、恭しくぼくたちに大きな封筒が渡された。兵学校の案内やら書籍の案内、展示模型の説明等が入った大部の資料だが、ぼくたちが驚いたのはその中にカラー印刷の「名誉訪問者証」が入っていたことだ。枠の中の上に海軍兵学校船舶模型協会(Naval Academy Ship Model Society)とあり、その下の楕円形の枠に薄墨のシップ型帆船があり、その真ん中に縦の楕円でNASMSの頭文字がデザインされている。その上に、色を変えて名誉訪問者(Honared Guest)とあり、何とその下には大きなイタリックでミスター・マサヒコ・フクダと書いてあるではないか。両側には1995年10月と日付まで入っている。

ハドックさんはニコニコして、コンピューターで初めて打ち出してみたのだが、上手くいったという。これは一枚の紙ではない。船の模型を趣味とする日米の仲間の確たる親善の証ではなかろうか。だからこれはぼくの宝物で、今も額に入れて机の横に掛けてある。そしてもう一つ、兵学校のバッジを頂いた。金色の小さなものだが、上にU.S.とあり、左右にNAVAL ACADEMYとある。それはいいのだがその下にSCIENTIAとあるのが分からない。
帰国後、いろいろ調べたが分からない。どうやらラテン語らしいと見当をつけて、ぼくの友達でラテン語を知っている人に聞いてみて初めて分かった。オックスフォードのラテン語基礎辞典によると、シエンティアとは「知識、学、インテリジェンス、科学的手腕、専門、芸術理論」という意味があると。
ここでぼくは始めて納得がいった。アメリカの海軍兵学校で目標としているのは、戦を教えるばかりではなくその基本として叩き込むのは、学問でありインテリジェンスである。だからネイヴァル「アカデミー」なのだろう。日本でもそうだったのだと、ぼくは信じたい。

(福田正彦)