1.福山城

現地集合、現地解散という旅は珍しいのだが、今回はそれを利用して早立ちで福山城を見ることにした。新横浜駅まで歩いて5分というわが家の地の利を生かして朝6時の始発という新幹線ひかり493号に乗り込む。ひかり号でありながら広島行きでおまけに福山に停まるという、願ってもない列車だ。

旅は楽しい。列車に乗って遠くへ行くということが心を躍らせる。かみさん手作りのサンドイッチを食べながら、何回も見ている景色でありながら飽きることはない。2冊も用意した文庫本をほとんど読むことなく9

時34分には福山駅に着いた。その目の前に福山城があるのだ。



 

解説によるとこの城は元和8年(1622年)に完成したという。「元和?」ぼくにはこの言葉が懐かしい。中学時代、さんざん叩き込まれた校歌には「…文華 の光見え初めし、元和偃武(げんなえんぶ)の古を…」と謳われている。長い戦乱の世を終えて徳川幕府が平和を築いたその年代だから、比較的新しい城ではある。

それでも平山城という、山城と平城の中間というだけあって、少しばかり坂と石段を登らなければならない。さほどの苦労もなく上がった 広場は折しも菊の花の展覧会の最中で華やかな彩を添えていたが、その彼方に天守閣がそびえている。空襲で焼失した後に復元された天守だそうで、往時の重み はないけれどもなかなかのものではある。

往時は三重に濠を巡らしたかなり大きな城郭だったらしいが、お濠は埋め立てられてそこに駅ができている。つい駅のすぐそばにお城があると思うのだが、もちろん駅や街の方が後なのだ。それでも福山というこじんまりした都市の中でこの城の周辺はかなりな面積を占めている。

南に面した天守閣を登ると街が一望でき、かなたには瀬戸内海が光っている。周りが平らなせいもあってこれだけの高さでもぐるりを見渡せるから十分に城の役割を果たしたのだろう。


その天守閣の北側から下を眺めていると、何やら由緒ありげな一角があって、テニスコートを過ぎた右手に数寄屋風の門をくぐる人が見える。ちょっと行ってみようよ、とかみさんと城の裏手に回る。入るな、と書いてはないので恐る恐るのぞいてみた。それが福寿会館だった。

典型的な数寄屋風の建物と庭の彼方にいかにも「洋館」という建物もある。後で調べてみたら海産物で財を成した安倍和助という人が昭和の初期に建てたものらしい。江戸時代に五千石蔵という城米の貯蔵施設のあったところだそうで、この建物もすでにかなり老朽化して修理を行うのだろう、作業服を着た人が何人か庇の状況を写真に撮っていた。それでもこの庭は立派なもので、母屋や茶室を含めて市民の会合などに使われていて折から呉服展の準備が進んでいるようだった。

まだ時間があるからと、城の前を半周して内藤家の長屋門を見に行く。その道を辿るともうすっかり銀杏が黄葉していてスケッチをしている人もいる。この辺りはむかし堀のあったところでその堀のすぐ外に内藤家の武家屋敷があった。今はその長屋門だけが残っているが、裃をつけた武士たちが行き来したその門を覗くと、小さな土手の上に野良猫が日向ぼっこで、じろりとこちらを睨んでいる。今は猫が主人公らしい。

緑に囲まれたこのあたり一帯はこの街の文化施設が集中していて、武道館、人権平和資料館、ふくやま文学館、ふくやま美術館それに県立歴史博物館がある。小高い城の西側から下を覗くとすぐ下がふくやま美術館でお城と庭続きという感じだ。朝のことでもあるから通る人もほとんどなく空気もすがすがしい。危なっかしい石を埋め込んだ階段をそろそろと下って美術館の裏庭に出る。鄙には稀なといっては大変失礼ながら、瀟洒なこの美術館をなんとか見たかったが、もう時間がない。ぼくたちは駅に急ぐ。そこで一行と合流し、バスに乗っていよいよ本格的な旅が始まった。

お城と庭続きという感じのふくやま美術館
お城と庭続きという感じのふくやま美術館
福寿会館
福寿会館
内藤家の長屋門
内藤家の長屋門