第27回帆船模型展-5/5

Photo Gallery of the 27th Annual Exhibition 2002

一般参加(ザ・ロープ会員以外の方)の作品の帆船


27-47 ハーフムーン

Half Moon

 

1609年 オランダ

1/50 コーレル社
牧野忠孜 Tadashi  MAKINO

 

イギリスの探検家ヘンリー・ハドソンが探検調査に使用したガレオン船。帆船模型を始めて3度目の作品。この模型は伊東屋の帆船模型教室で製作したもので、苦労した外板貼りの出来栄えや三日月型の板の処理、ステイのサービング等々、知らなかった実践の構造の一部を具現化でき満足している。しかし、その後実船の構造を知れば知るほど帆船模型の奥の深さに驚くとともに次作にそれをどう表現していくか、意欲をそそられる。



27-48 ヴァーサ

Wasa

 

1628年 スウェーデン

1/75 コーレル社
塩谷敏夫 Toshio SHIOYA

 

処女航海に出帆した直後、湾内で突風に見舞われ、あっという間に沈没してしまった悲劇の戦列艦。60歳の定年に記念品として頂いたキット。船体はなんとか自己流で出来たところで、運良く帆船教室に入ることができ、ハーフムーンで勉強した後再開し、やっと完成した。この船の一番の魅力である船尾の装飾は難しく、半円形の屋根や金属の彫刻類を削って船体に合わせるのに非常に手間がかかった。

 



27-49 ソブリン・オブ・ザ・シーズ

Sovereign of the Seas

 

1637年 イギリス

1/75 マンチュア社
及川保 Tamotsu OIKAWA

 

チャールズⅠ世の命に依り建造された戦列艦で『海の帝王』という名を持つ。大きさと砲100門の攻撃力は当時のあらゆる船のを凌ぎ、金箔が貼られて黄金色に輝く姿から『黄金の悪魔』と恐れた。ザ・ロープの帆船模型展を何度か拝見し、その中でこの船をぜひ作りたいと思い挑戦することにした。船体作りには自信があるつもりだったが、外板材とパテとの色の違いが後になって目立つようになり反省点。またロープ貼りのバランスが難しく苦労した。



27-50 フリースランド

Friesland

 

1663年 オランダ

1/75 マモリ社
赤道達也 Tatsuya AKAMICHI

 

オランダの80門戦列艦。この船の姉妹艦プリンスウィレムの復元船は長崎県のハウステンボスに係留されている。この船は帆船模型を始めて3隻目。船尾の金具が船体に合わず修正に苦労した。また砲門の列を揃えるのにも苦労した。船台は自分で陶土を練り、整形し、友人に窯で焼いてもらったもの。



27-51 ミスティーク

Mistique

 

1750年 フランス

1/50 コーレル社
幡野章 Akira HATANO

 

マルセイユで建造されたポーラッカ船で貨物船(交易船)として使われた。私掠船から身を守るためスピードを追求して設計され、また18門のキャノン砲を装備していた。模型は船体船尾上部の丸みづけに時間がかかった。また大砲の滑車がキットになく自作したが、細かいうえに数が多く(112個)、操作ロープの取り付けがごちゃごちゃして思ったより苦労した。



27-52 ヴィクトリー

Victory

 

1765年 イギリス

1/78 パナルト社
砂澤正昭 Masaaki SUNAZAWA

 

 リタイア記念に息子が贈ってくれたキット。1年を目標に製作開始したが、1日12時間の作業で半年で完成。予定を大幅に短縮したのは良かったが、その後揺れ戻しがきて、次作のヴァーサは外板貼りの途中でストップ。作業台でほこりをかぶっている。キットのリギング図面は全て無視。実船にできる限り忠実にと心がけた。いかがでしょうか・・・。



27-53 ハリファックス

Halifax

 

1768年 イギリス

1/54 マモリ社
古濱邦夫 Kunio FURUHAMA

 

 最初は郵便船として建造されたが、1768年に英国海軍がこれを購入、独立戦争直後の緊迫した時期にアメリカ沿岸での任務に就いた。帆船模型を始めて2隻目につきまだ十分な知識がなく苦労した。講習会にて「2隻目にしては少し難しい船』と云われたとおりで、もう少しシンプルな船にしておけばよかったと思っている。



27-54 ハンター

Hunter

 

1797年 イギリス

1/72 マモリ社
星野元典 Motonori HOSHINO

 

 1999年の第6回伊東屋帆船教室に参加して初めて製作した船。先生のご指導と同級生の激励にもかかわらず、完成はかなり遅れた。とりわけ苦労したのはヤードとブームの整形で、左手で材料を回しながら金鋸の破片とヤスリでしごき過ぎ、やや細身になってしまった。余程の不器用でない限りあきらめなければ ”カタチ”になるという見本です。



27-55 ビーグル

Beagle

 

1820年 イギリス

1/64 マモリ社
湯川隆夫 Takao YUKAWA

 

科学者チャールズ・ダーウィンの「ビーグル号航海記」で有名。伊東屋帆船模型教室に参加して2回目の製作であるが、さすがに『ホビーの王様』と云われるだけあって、作れば作るほど奥行きの深さを感じる。そしてまた、それを乗り越えた喜びで一度はまり込んだら抜けられない面白さがあり、日々が楽しくなった。



27-56 トルネーズ

Toulonnais

 

1823年 フランス

1/75 コーレル社
彦澤正明 Masaaki HIKOSAWA

 

 フランスのツーロンで進水し、そのあまmスペインとの海戦に参加し、全長46.5㍍と当時のスクーナーとしては小型ながら帆船としての美しさには定評があった。この美しさに魅せられて製作を開始したが、図面が不正確でシュラウドのチャンネルへの取り付けがわからず苦労した。ボートを自作、ガンポート(砲門)は片舷斉射の状態にしたりと工夫してみたが、工夫の割には満足感の得られない作品となった。



27-57 カティーサーク

Cutty Sark

 

1869年 イギリス

1/80 イマイ社
安西兼夫 Kaneo ANZAI

 

 シナ茶をイギリスまで運ぶことを目的に作られたティークリッパー。初めて帆船模型に挑戦して1年半、基本も勉強しないで我流で作ってきた。ロープ張りはどこを通していくか、図面を見てもわからず困った。しかし完成させることを目標に楽しく作った。船底の銅板張りに瞬間接着剤を使用したが、その接着剤の使い方に大変苦労した。



27-58 カティーサーク

Cutty Sark

 

1869年 イギリス

1/60 イマイ社

栗田正樹 Masaki KURITA

 

帆船時代最後の黄金時代を飾った海の駿馬であった。1953年以降、グリニッジのドライドッグに現存する唯一のクリッパーとして永久保存されている。初めての取り組み作品。父親*の作品を参考に、マストとヤードの取り付け金具等を自作、船底を銅板貼りにする等、グレードアップを図った。積み荷の茶箱は一つひとつ作成し、レイ・アウトに悩んだ。週末の作業で、結局1年1ヶ月を要した。

*製作者は元当会会長のご子息



特別出品 故竹内久氏「思い出の作品」

昭和50年10月のザ・ロープ創設メンバーの一人であり、以来昨年まで幹事として会の運営に神領された竹内久氏は昨年7月2日に永眠された。竹内氏と云えば、正確な船体工作と繊細なリギングで知られるとともに、火で焼いた銅板を使う船底の銅板貼り、簡単で正確なゴートの製作作法、同じく正確な工作を可能にする工作用船台、そしてすっきりしたセールの作り方等々、氏が開発された工作技法は数限りない。また、絶えず帆船模型の普及ということを念頭に活動されていた。氏のご逝去は我が国の帆船模型分野にとっての極めて大きな損失である。この展示会ではご遺族のご了解を得て、氏の代表的作品を展示させていただくこととした。


27-59 スピネル

 

1809年 イギリス

1/48 スクラッチビルト
竹内久 Hisashi TAKEUCHI

 

平成12年の春、約2ヶ月の入院中にベッドの上でフリーハンドにて縮図を描き、退院後、その図面に基づき作ったのが『スピネル』。同船は1809年に進水した英国海軍のトプスルスクーナーで哨戒、沿岸警備等いろいろな任務に使われた。ただし、スピネルが実在したという記録はない。すなわち設計は竹内氏のオリジナル、架空の船であるが、図面とあまり違わない姿で当時実在したとしてもおかしくないという、当時の船の基本原則を守った設計となっている。

氏はさらにスピネルをベースにして「宝石クラス」を設計した。そのネームシップが「ルビーⅡ」。こちらは線図や一般配置図、帆装図等が10枚一組となったもので、それを見ればスクラッチビルトで作れるようになっており、全国の同好の方々に配布されていた。「宝石クラス」とは誕生石に因んだ名前の12隻の姉妹艦で構成されることになっていた。しかし残念ながら、これら12隻の建造は全国の友人に委ねられることになってしまった。

27-60 ブルボン王朝の74門艦

 

1780年 フランス

1/72 スクラッチビルト
竹内久 Hisashi TAKEUCHI

 

ザ・ロープ創立間もない昭和51年頃、西洋帆船研究科の山形欣也氏のお宅でJ.プードリオの大著「74門艦」を拝見したのが製作のきっかけとのこと。構想2年の後、制作に着手。13年の歳月をかけて完成した竹内氏の代表的大作。この船の制作過程では船底の銅板貼りの研究用に別の小型艦を作ったり、艦尾の手摺りの工作や大砲の鋳造、縮尺のあったロープの確保等に難渋し、何年も中断したことも合った。そして最大の難関は2千ページに及ぶフランス語の解読。結局、リギングはお手上げで後に同書の英語版を購入し完成に至ったという。