帆船時代の英国海軍

ー海洋小説を10倍楽しく読むための雑学ー[後編]

高橋泰邦訳『海の男/ホーンブロワー・シリーズ<1>海軍士官候補生』訳者あとがきに「ホーンブロワーを読まずして帆船小説を語るなかれ、と言わせていただきたい」とある。
高橋泰邦訳『海の男/ホーンブロワー・シリーズ<1>海軍士官候補生』訳者あとがきに「ホーンブロワーを読まずして帆船小説を語るなかれ、と言わせていただきたい」とある。

帆船時代の英国海軍ー海洋小説を10倍楽しく読むための雑学ー

10.帆船時代の食事 (1) ―水兵の食卓(前編)―

人は誰でも食べなければなりません。それは帆船時代でも同様で、英国海軍でもそれが大問題でした。当時、食べ物が腐るのは微生物が関与することが分かっていません。ビタミンの知識はもちろん、設備でいえば冷蔵庫もなく、電熱はもとよりボイラーによる高圧蒸気もなく、調味料すら多くはなかったのです。が、それは当時の人たちにとって当たり前のことで、そのこと自身に不満があったわけではありません。

 

軍艦という特殊な環境での問題といえば、まず狭い艦内に多くの人がいたこと、いったん航海に出れば長い場合は数か月も海上にあってろくな補給ができなかったことが挙げられます。つまり何か月分もの食料、水、酒を詰め込み、貯蔵品の主役は砲弾に火薬、予備の帆、ロープ、円材などで、おまけに生きた牛や羊、鶏に至る生きものまで必要でした。さらに言えば帆船に絶対必要なバラストという石まで大量に積んでいたのです。

 

特に重要なのは水の問題で、当時の容器は大型の樽でした。なんといっても木製ですからすぐに水が腐るうえに、すぐに無くなるので途中の無人島などで川から水を補給するという場面が海洋小説ではよく出てきます。

 

ちょっと余談になるのですが「一合雑炊、二合粥、三合飯に四合餅」という江戸時代の言い伝えをご存じでしょうか。腹を一杯にするには米が一合しかなければ雑炊が一番、二合あれば粥でもいい、三合あれば普通のご飯にし、四合あるなら餅でもいい、という意味です。ことの内容はともかく、この例にあるように米がなければ水(と野菜)で腹を満たすということで、米飯というのは多くの水を使います。弁財船時代はわれわれの想像以上に多くの船があったようですが、ほとんど沿岸航路で水の補給は心配なかったので目立ちませんが、もし遠洋航海であればたちまち水に困っただろうと思います。

 

帆船時代の食事で大きな特徴は士官階級と水兵の差別です。現在の商船や軍艦でも士官とそれ以外の乗組員が同じ食堂で食事することはまずありません。もちろん士官といっても階級があり、一般の乗組員でもそうですからいろいろ食堂はあるようですが、帆船時代の高級士官は艦尾の大キャビンに立派な食堂があり、水兵は大砲と大砲の間に吊るした板が食卓でした。一等級戦列艦であるヴィクトリーで撮ってきた写真を下にお見せしますがその格差たるや相当なものであることがお判りでしょう。

 

高給士官の食堂(左)と水兵の食卓(右)
高給士官の食堂(左)と水兵の食卓(右)

 

これは貴族階級と一般庶民といった階級差別が軍艦にも持ち込まれていたためで、これまでいろいろ述べたように士官は貴族階級出身のものが多かったせいもあろうかと思われますが、士官と一般乗組員は指揮系統もあって画然たる区分があるのは今でも変わっていません。

 

一方前にも述べたのですが士官は食料と衣類は自前で整えなければなりませんでした。特に艦長ともなれば乗組み士官などを招待して会食をする機会も多く、一般の食料とは別に食糧を買って持ち込んでいたのです。水兵は食事も衣類も支給されたのですが、どんな食事をしていたか、以前に横浜帆船模型同好会の元会長山本さんから依頼されて「ネルソン時代の海上生活 (Sea Life in Nelson’s Time)」という本の食物関係の部分を翻訳したことがあります。それによると英国海軍の一週間の支給品は下の表のようになっています。

 

 

英国海軍の一週間の支給品

     
 ビスケット  ポンド 454 g 1 1 1 1 1 1 1 7
ビール ガロン 4.55 l 1 1 1 1 1 1 1 7
牛肉 ポンド 454 g     2       2 4
豚肉 ポンド 454 g 1       1     2
エンドウ豆 パイント 0.57 l 1/2     1/2 1/2 1/2   2
オートミール パイント 0.57 l   1/2   1/2   1/2   1 1/2
砂糖 オンス 28.3 g   2   2   2   6
バター オンス 28.3 g   2   2   2   6
チーズ オンス 28.3 g   4   4   4   12

 

これで見ると肉のあるのが日、火、木、土曜日の4日間で、この日はビスケットとビール以外にはエンドウ豆しかありません。一番種類の多い水、金曜日がビスケット 454 g、ビール 4.55 l、エンドウ豆 0.29 l、オートミール 0.29 l、砂糖 57g、バター 57g、チーズ 113gということになります。

 

もう一つ参考になるのが米国のボストンにあるUSSコンスティテューション博物館の「海軍公式食事表」で、これもお見せしましょう。

 

OFFICIAL NAVY DIET 海軍公式食事表

       日   月   火   水   木   金   土    計  
 牛肉 BEEF 1 1/4 lb 570 g          
 豚肉 PORK 1 lb 450 g          
牛脂 SUET 1/4 lb 113 g            
パン BREAD 14 oz 396 g  
小麦粉 FLOUR 1/2 lb 225 g            
えんどう豆 PEAS 1/2 pt 235 ml            
米 RICE 1/2 pt 235 ml            
チーズ CHEESE 4 oz 113 g            
バター BUTTER 2 oz 57 g              
糖蜜 MOLASSES 1/2 pt 235 ml              
酢 VINEGAR 1/2 pt 235 ml              
スピリッツ SPIRITS 1/2 pt 235 ml  

   *この表はボストンの「U.S.S. CONSTITUTION MUSEUM」にあったもの

 

コンスティテューションはホーンブロアの「砲艦ホットスパー」にも登場するほぼ同時代の大型フリゲート艦ですが、食事の内容はかなり似ています。違う点は

  • 肉の支給が米国では週6日、英国では4日、したがって精進日が米国で金曜日、英国では月、水、金曜日
  • 英国ではビスケット、米国はパンというが実態は同じ?
  • 英国では油脂はバターのみ、米国はバターと牛脂
  • 炭水化物で英国はオートミールと砂糖、米国は小麦粉と米と糖蜜
  • 英国になくて米国にあるものは酢
  • 酒は英国でビール、米国でスピリット

などですが、これらを見るとなかなか興味があります。

 

それはともかく、これらの表を見て気が付くのは食事とはいっても支給されるのは「料理」ではなくて「調理用の素材」だということです。軍艦には司厨員が乗っていますが、士官室は別として彼らは一般水兵用には原料を料理用素材にする作業をしていたということです。つまり、艦のオーロップデッキから運んできた樽を開け、塩漬けの肉を大鍋で煮る作業などがそうです。

 

水兵はガンデッキの大砲と大砲の間に細い食卓を下ろし(普段は上に釣り上げてあります)木箱を椅子として食事するのですが、その一団を食卓仲間(メスメイト)といいます。そのメスメイトのうちの2~3人がメスクック、つまり食卓仲間の料理をする係です。その名称が今でも残っているということは第6回の「エイブル・シーマン」でお話しした通りです。しかし、料理をするといっても火を使うのは帆船の場合大変限られた場所でしかできません。火事が一番怖いからですね。「ネルソン時代の海上生活」によると「下ごしらえをするためにコックを口説いた」とありますから、司厨員に火を使わせてもらったかあるいは料理してもらったのでしょう。

 

この本によると、表にある支給量は文字通り公式のもので、〝4人分で6人を”というのが現実だったようです。つまり4人分の食料を6人に割り当てたということで、その余分の2人分は主計長の懐に入ったのです。それでもさすがに主計長は気がさしたのかこの本では「水兵たちは差引かれる食糧のためにいくばくかの金をもらっていた」とあり、この金を「へそくり金」といっていました。

 

支給品の中で最も豊富だったのがビスケットです。表を見ても毎日支給されています。ビスケットといい、パンといっても実際はいわゆる「乾パン」です。これは造船所付属の王室製パン工場で焼かれ、重さが1個4オンス(約113g)で、1包みに70個入っています。実際の姿は「丸く分厚く、こんがり焼けたビスケットで、パーフォレーターで真ん中にスタンプが押してあり、そのために真ん中がかなり圧縮され周りの部分よりもかなり固かった」そうです。

 

この真ん中部分はいつでも最後に食べることころで〝リーファースの実″として知られ、多くは舷側を超えて海に捨てられたというのですが、かむに噛めないほど堅かったのでしょう。このビスケットは小麦粉とえんどう豆の粉を混ぜて作るのですが、時には「骨のクズもベースの混ぜ物だった」といいますから本来うんと固いもので、長期保存で柔らかくなるや否やかび臭くなり、ちょっと酸っぱくなり、その上にコクゾウムシが繁殖するという状態になります。

 

海洋小説でおなじみのシーンですが、堅いビスケットを机にコツコツと叩いてコクゾウムシを追い出す、そしてそのコクゾウムシ自体を鶏の餌にして卵を取るという循環が行われていたのです。もちろんこれは士官階級の話で、水兵たちにとって「大方の習慣はそれら生物を彼らの平穏に任せることであり、またそれらを見ることのできない夜間にビスケットをたべることであった」そうです。

 

ただ、メスクックの腕がいいとこのビスケットを水に浸して柔らかくし、豚の油で揚げておいしい一品を作ったり、ビスケットをマリンスパイキで叩いて粉にし、豚の油と砂糖を混ぜてケーキを作ったりしたといいます。長い航海の間、過酷な作業の生活が続く中でもやはり人は食べることに楽しみを見出す能力を発揮したのでしょう。

 


帆船時代の英国海軍ー海洋小説を10倍楽しく読むための雑学ー

11.帆船時代の食事(2)―水兵の食卓(後編)―

前回お話した「ネルソン時代の海上生活」を続けましょう。主食、といっていいのが肉です。規定では1週間で牛肉と豚肉を合わせて6ポンド、つまり2.7㎏程になります。1日の平均では390グラムになるので、かなり贅沢な支給だと一見思うのですが、どうしてどうしてそんなに英国海軍は甘くはありません。

 

実際の支給量は前回お話したように表示量の4/6つまり260グラムですが、その内容なるものは新鮮肉とは似てもいない塩漬け肉です。長期航海に耐えるように肉はすべて塩漬けにして大きな樽に入れられています。おまけに英国海軍には「古い肉を最初に食べなければならない」という大原則があります。肉がコックのところに届くまでに数年かかることもしょっちゅうで、「それを調理して食べられるようにする時はコックよりも魔法使いが必要だった」と書かれています。

 

実際に見ると「十分に乾燥されたマホガニーの木材に似た、塩漬け肉とは信じられない」ものだったといいます。水兵たちはこれらに彫刻して磨きこんだ細工物をこしらえたのです。肉の樽には伝説的な言い伝えがあって「年老いた弁髪の水兵の言うには、肉の樽に蹄鉄が入っていた、処理場で気になる吠え声やいななきが聞こえた、肉の積み込み場で黒人が行方不明になりそれ以来見つかっていない・・・」と書かれているのですが、これで見ると馬肉と犬肉(人肉は論外として)が極端に嫌われていたことがわかります。

 

まあそういうこともあったにしても、すべてそうだったとは限りません。食事は水兵にとってやはり楽しみだったようで、特に戦闘前に十分な食事を摂らせることは、まともな艦長の責務だともいえるのです。ボライソーシリーズの第19巻「最後の勝利者」で、36門搭載のフリゲート艦トラキュラントの艦長ポーラントはどうも乗組員への気配りがあまりないようで、同乗していた海軍中将ボライソーはこういうのです。

 

「掌帆長(ボースン)の組にギャレーを片付けさせて直ちに火を入れなおさせてくれ」

・・・ポーランドの表情は見てみないふりをした。疑問でいっぱいの顔つきだ。調理場など、彼の頭の一覧表で上位になかったことは明らかだ。

「きみの部下たちは、とうてい戦える状態ではない―へとへとだよ。熱い食事をたっぷりとそれにラム酒の倍量の支給をすれば連中はきみの命令に従うし、ぶどう弾の最初の一吹きぐらいでへこたれはしないだろうよ。」              (高橋泰邦訳)

 

戦闘前の熱い食事、といえばやっぱり肉が主体だろうと思います。いい状態ではないにしても十分に食べられるものであることは明らかです。そして、フリゲート艦トラキュラントがフランスとスエーデンの謀略にかかって戦闘を強いられるとき、

「あたりの空気にはまだ調理場からの脂っこい臭いが混じっており、露天甲板で立ち働く水兵たちに、前ほど緊張と疲労が見られなくなった。熱い食事をたっぷり取らせることを優先すべきだと、ポーランド艦長に指示する前とは違っている」    (高橋泰邦訳)

                                 

ということになったのです。水兵たちに「われらがディック(リチャードの愛称)」と呼ばれたリチャード・ボライソーの面目躍如といえるでしょう。

 

ところで、食物の補給というというのがどの程度のものか、軍港での補給など実際の数字はまず海洋小説には出てきません。しかし、具体的に記載された場面があります。ホーンブロアシリーズの第5巻「パナマの死闘」でのこと。スペインの占領軍に反乱を起こさせる目的で、ボライソーはフリゲート艦リディヤに武器弾薬を積み、はるばるホーン岬を回ってパナマの怪しげな反乱軍の首領スプレモと会談します。

 

リディヤの乗組員は380人で、この時船倉はほとんど空になっています。パナマからホーン岬を回って、英国までとはいわなくとも、西インド諸島かセントヘレナ島で補給できるまでの食料を補給しなければなりません。西インド諸島とはカリブ海諸島のことで、セントヘレナ島は大西洋の南寄りの中間点にある孤島で、ナポレオンの流刑地としても知られています。まあ普通でも数か月はかかるでしょう。

 

ホーンブロアは武器弾薬を渡す前に、吹っ掛けてフリゲート艦が7か月の航海に必要な多種多様な補給物資の要求をします。

 

「明日本艦の水樽を満水にしなければならない。」・・・

「去勢牛を200頭、痩せて小さいのなら250頭、豚500頭、塩を10トン、堅パン40トン、もし焼いたものが手に入らなければ同僚の小麦粉に、それを焼くオーブンと燃料の用意、レモンかオレンジ、あるいはライム4万個分のジュース――それを入れる樽はこちらから出します。砂糖を10トン、タバコ、5トン。コーヒーを1トン。この辺じゃジャガイモを栽培(つく)っていますね、そしたらジャガイモを、20トンもあればいいでしょう」  

         (高橋泰邦訳)

 

おそらく5等級か6等級のフリゲート艦の調達量がこんなにも多いことにびっくりするのですが、辺境の土地でこれだけの要求にこたえるには国中から集めなければなりません。それでも人を殺すことを屁とも思はない独裁者を意識して、命ぜられた係は必死になって調達します。

 

結局2日間で大量の牛を屠殺して樽に積み込むことに成功し、小麦粉の代わりに提供されたトウモロコシ粉を違反の種にしてラム酒と葉巻まで手に入れたホーンブロアは、この後に武器弾薬を渡して任務を終わらせ、近所にいるスペイン艦と対峙することになるのです。

 

ここで注目すべきなのは、水兵たちが当分の間新鮮な肉を手に入れたという点です。大部分は塩漬けにしたとはいえ、数日分は生の肉、また塩漬けとはいえ屠殺してから幾日も経っていない塩漬け肉は望外の美味なのです。この場面ではないのですが、調達した牛の群れを見た水兵が「うまそうな肉が来たぞー!」と叫ぶシーンがあります。氷見の港で大きな寒ブリを見て旨そうなブリだと思うのと一脈通ずるところがありそうです。

 

普通、塩漬け肉の大樽を船底から取り出して大鍋で煮て、調理できるようにする作業は司厨員の役割です。大量の塩で漬けてあるのでこの時は海水で煮たと思われます。肉を煮るときに当然脂肪分が浮いてきますが、この脂肪分が司厨員の取り分で、油で炒めるとかメスコックが料理するときに必要な油は司厨員から手に入れなければならないのです。

 

そこでいろいろな交渉が行われたようで、そのあたりがメスコックの腕でもあったのでしょう。油脂の支給品には「バター」があるのですが、本来船の環境に合うはずもなく「海上で1、2か月も経つと最悪の状態になった。やがてそれは探し出されて厳密に検査され、腐っていると宣告され、そしてシュラウドやランニングリギングの塗油用にと掌帆長にさしだされた(ネルソン時代の海上生活)」のですから、食用油としての役割はあまりなかったと思われます。

 

チーズも同様で、「夕食に時として強烈な船のチーズの割り当てを受けることがあったが、これは想像できる限りの忌まわしいがらくただった。それは海上で保存すべきでものではなかった。船倉の中に1ヶ月も置けば、恐ろしく溶け、その上、さらに悪いことに、長い、太った赤い虫を繁殖させた(同上)。」とあるのですが、当時の船にはオーロップデッキに丸い大型の大量のチーズの保管庫があって、常に水面下にあるこのデッキでは、熱帯は別として、上に言うほど悪い条件ではなかったようにも思われます。その理由はこの後で書く予定の「提督の食卓」でご説明しますので乞うご期待。

 

液体の食べ物は比較的に好評で、えんどう豆のスープは「どういうわけか昔から美味しかった」そうで、普通は熱いうちに飲んだのですが、何人かは夕方まで取っておいてグロッグとビスケットの付け合わせとして冷たくなったものを食べたといいます。一方、朝食として支給されるオートミールの粥は「バーグ―」あるいは「スキラゴリー」と呼ばれて瀕死の男でも食べられないようなものなので、多くは豚の餌となったそうです。

 

これはある顧問医官が ”胃酸過多気分と便秘気分の矯正剤“ として効くだろうと信じたために水兵に強制されたようで、「もともと品質が悪かったのだが、口にするのも恐ろしい船の水を使って樽の中で煮立てるというコックの邪悪な意図が加えられたときこの食事は言語に絶する気味の悪さとなった(同上)」のですが、何しろ強制される食事ですから食べさせられる方はたまったものではかなったようです。さすがに後年少量の糖蜜あるいはバターが支給されたといわれています。

 

好ましい朝食は「スコッチコーヒーであり、あるいは焼いた船のビスケットを水で煮て砂糖で甘くした濃厚なペースト」で、支給品のリストにはないのですが、軍用のココアに赤砂糖を入れたものも好まれたようです。

 

水兵の食事で忘れてはいけないのがアルコール類です。英国を出帆した軍艦でまず支給されるのがビールでした。水兵たちはビールがある限り水を飲まなかったといいますから、まずまずの味だったのでしょう。これがなくなると艦長はワインか蒸留酒の支給を許します。1ガロン(4.55リットル)のビールに相当するのがワインなら1パイント(約500ml)、あるいはラム酒かウィスキーなら半パイント(約250ml)とされていました。

 

水兵たちは白ワインを好んだようでスペイン産の安ワイン「ロソリオ」と「ミステラ」がお気に入りでした。特にミステラは恐ろしく辛い白ワインでしたが水兵たちはこれを愛して「miss tailor」と呼んだそうです。しかし赤ワインは評判が悪く、地中海に入ると赤ワインが支給され、水兵たちはブラック・ストラップ(黒い締め皮)といって顔をしかめたといわれています。

 

まあ、しかし何といっても水兵のお気に入りはグロッグ、つまり水で割ったラム酒です。何がなくともラム酒がなければ反乱が起こるといわれているように、水兵たちにとってラム酒はなくてはならないものだったのはどの海洋小説を見てもはっきりしています。実際にはラム酒(生のラム酒)の大樽がたくさん船底に積まれ、海兵隊員によって厳重に監視されていました。それが解けるとき、つまり反乱が起こったときに顕著になるのがラム酒の乱飲です。

 

ボライソー・シリーズの第20巻「大暗礁の彼方」で、海軍中将ボライソーは愛人レディ・キャサリン達ともにブリッグ帆装の郵便船ゴールデン・ブラバーで英国から任地のケーブタウンに向かうのですが、現地で活動中の英国陸軍兵士たちの給料となる金貨を大量に積んでいたために航海士リンカーンが首謀者となって反乱が起こります。

 

キーンはそちこちで揺れ動くマスケット銃を目におさめた。(牢獄から)解き放たれた兵隊だとすぐわかる男たちの玄人らしい銃の扱い方だ。ただ一人だけ例外がある。その男はメインマストの根方に寄りかかって座り、小声で鼻唄を歌ったり、石製のジョッキからラム酒をごくごくと時間をかけて飲んだりしている。(高橋泰邦訳)

 

反乱というのは軍艦では一番の重罪で、言い訳なしにヤーダムから吊るされる(つまりヤードの先端で絞首刑になる)犯罪です。したがって反乱を起こす方は仲間を何としてでも纏めておかなければならないのですが、その一番手っ取り早い手段がラム酒の乱飲です。上のように反乱者の下っ端が自由にラム酒を飲む一方で、首謀者の「リンカーンが大コップのラム酒をごくごくとあおり、やかましい喘ぎ声を立てながら、赤らんだ眼を彼女の胸の手に据えた。(同前)」という、乱暴な反乱にラム酒が一役買っています。

 

通常の場合、海軍の正午の割り当て量は純粋なラム酒1ジル(約140ml)を3ジルの水と壊血病を防ぐための少量のレモンジュース、それに少量の砂糖とを混ぜたものだったといわれています。もっとも古参水兵にとっては薄めたラム酒はお気に入りではなく、何日分をも貯めたり、脅し取ったり、交換したりして常に純粋のラム酒を飲むのが日常だったようです。

 

ここで注意したいのは、レモンジュースが使われていることです。昔から帆船には壊血病が付き物で、それがビタミンCの不足が原因だとわかるのははるか後世ですが、この当時レモンジュースによって防ぐことができることは分かっていました。しかし、これは当時正規の支給品でないので、おそらく艦長が自腹で買って積んでいたと思われます。それでなくとも定員不足になりがちな帆船時代の軍艦で、戦闘以外に大量の乗員を失うのは大きな問題です。もちろんそれもあるのですが、艦長の中で乗組員の健康に留意するかしないかが大きな分かれ道になったことでしょう。飲用ではなく消毒用の酢を積み込むのもこういった配慮の一端であったのです。

 

追記:

ポストキャプテン(勅任艦長)について

 

前に、海軍の階級のところで海尉の上がキャプテンで、任官してから3年間は右肩だけに肩章を付けるのだと述べました。ボライソー・シリーズの第20巻「大岩礁の彼方」には、ボライソーの甥にあたるアダムが叔父の屋敷に馬に乗って登場しますが、

 

・・・さっき馬を乗りつけてきたときには、ボライソーとそっくりだった。だが叔父と同じ黒い髪のこの青年はまだ27歳で、右肩にだけ艦長の肩章を付けている。(高橋泰邦訳)

 

と書いてあります。

また、同じシリーズの第19巻「最後の勝利者」で、冒頭に述べたフリゲート艦トラキュラントの艦長ダニエル・ポーランドについて次のように述べています。

 

ポーランドは艦長になって2年たつが、本格的に『勅任』を受けるにはさらに6ヶ月の期間が残されている。勅任を受けたとき、そのときこそ初めて、人生の大きな不幸や災難に逢う憂いが薄らぐのだ。(同前)

 

つまり、海尉(ルテナント)から海尉艦長(コマンダー)を経て艦長(キャプテン)になっても3年間は勅任艦長(ポストキャプテン)ではない、ということです。いわば、最初の3年間は「正規艦長」ということでしょうか。そのあたりがこれまであいまいでしたので、ここに修正しておきます。

 

海尉艦長でも乗組員たちは「キャプテン」といいますが、公式には絶対キャプテンとはいいません。あくまでも「コマンダー」です。おそらく正規艦長の時の公式な言い方は「キャプテン」であり、勅任されて初めて「ポストキャプテン」と呼ばれるのだろうと思います。こうして初めて両肩に艦長の肩章を付けることができるのです。

 

 


帆船時代の英国海軍ー海洋小説を10倍楽しく読むための雑学ー

12.帆船時代の食事(3)―提督の食卓(前編)―

海軍の高級士官といえば、やっぱり艦長以上を指すとみていいでしょう。もっともこの階級といえども様々な相違があって、下はコマンダー(海尉艦長)から、一番上は古手の艦隊司令長官(多くは海軍大将)までその差もかなりあるのです。取り敢えず今回は正規艦長直前のコマンダー(海尉艦長)の食卓を覗いてみましょう。コマンダーは高級士官とはとてもいえないのですが、小なりとはいえ一艦を預かって権威を振るうわけですから、乗組員からみればやはり神に近い存在ではあります。

 

前にも説明したのですが、士官クラスは食事と衣服は基本的に自分持ちです。しかし海尉艦長ともなると儀礼的にも乗組み士官たちを招待して食事をする機会も多く、そのための食料などを含めて多くのものを自ら用意しなければなりません。これは大きな負担で、ホーンブロアが初めて正規の海尉艦長に就任し、スループ艦ホットスパーに乗り組んだ時にはあまり金がありませんでした。

 

…身支度を整え朝食をとる時間がある。時間は十分——ホーンブロアは、いろいろな望みが頭をもたげるのを感じた。コーヒーを一杯飲みたい。濃く、口が焼けるほど熱いコーヒーを、二杯も三杯も飲みたかった。といってもわずか2ポンドのコーヒーしか持っていなかった。

1ポンドが17シリングもしては、それ以上買う余裕はなかったのだ。

(以下 全て菊池光訳)

 

ホーンブロアはコマンダーになる直前に得意のホイスト勝負で奇跡的に45ポンドを稼いでいます。これは古手艦長の1か月の給料(38ポンド)を上回る高額なのですが、「艦上で着る衣類と剣を質から出さねばならず、艦長室の家具も買わねばならなかったし、自分の給料を受け取るまでのマリアの生活費に17ポンドをおいてこなければならなかった」のでこの45ポンドはたちまちのうちに目減りしたのです。

 

だから、<艦長の個人的食糧>を買う金はほとんど残らなかった。彼は一頭の羊も豚も買っていない——にわとり一羽すらも。メイスン夫人(注:妻マリアの母親)が卵を6ダース——かんなくずにくるんで、海図室の床に縛り付けてある樽に入っている——と、塩をきかせたバターを6ポンド買ってきてくれた。あと、砂糖が一かたまりと幾瓶かのジャムで金がなくなってしまった。

 

とホーブロアは嘆いているのです。

そして「ベーコンもなければ瓶詰の肉もない」と思うのですが、こういった記述を見ると艦長たるものは生きている山羊や豚、あるいは牛を何頭か買い、びん詰の、つまりかなり新しい肉を用意し、朝食用にジャムやバター、卵はもちろんコーヒー豆、それに何といってもワインとブランデーなどの酒類を何ダースも用意する必要があるのです。もちろん艦長室の家具調度も自前です。逆に言えば金さえあればどんな立派な家具でも文句は言われないということでもあります。

ちょっと興味深いのは、こういった食糧の中で魚類が一切出てこないことです。北海周辺はかなり漁獲の多いところですが、当時の軍艦になぜ魚が出てこないのか、食習慣にあまりないというよりもこんな理由が「砲艦ホットスパー」の中に述べられています。

 

…海の男たちは、自分と同じ世界の生き物である魚に対してばかげた偏見を抱いている。彼らは、塩漬けの牛肉や豚肉という十年一日の如き食卓に魚という邪魔者が入りこんでくるのを極度に嫌う——もちろんその点については、魚を調理したあとにいつまでもその臭いが残り、調理器具は海水で簡単に洗うだけなのでなかなか臭いが抜けないという事実を、考慮に入れてやるべきである。

 

上は諜報活動のためにフランスの漁船から大量の〝さっぱ”(ニシン科のママカリです)を買った後の話ですが、もしわれわれ日本人なら刺身はもちろん酢漬けでも喜んで食べたでしょう。食習慣というものは民族の根本にあるもので、これはやむを得ないことかもしれません。

 

それはともかく、金を出し合って4頭も子羊を買った士官たちに対し「そのうちに彼らは子羊のローストに舌鼓を打つはずである——ホーブロアは、その日の士官室の夕食には何としても自分を招待させるつもりだった。」と企むのです。士官室で艦長を招待することもあることが分かります。

 

一方で、その当時どうやってコーヒーを飲んだのか、艦長付きの料理人のいないホーブロアは当番水兵グライムズにこういうのです。

 

『…そのあと、朝食だ。コーヒーを飲む。』

『コーヒーですか。』・・・

『わしの樫の箱を取り出してここへもってこい。』・・・

『この中から、コーヒー豆を20粒、取り出す。それを、ふたのない広口のつぼに入れる ——つぼはコックから借りるのだ。そのあと厨房の火で豆を炒る。慎重にやれ。絶えず豆を揺り動かす。真っ黒でなく、茶色になるまで炒る。焦がすのではなく炒るのだ。わかったか?』

『はい、なんとか』

『炒り終わったら、わしからいわれたといって、軍医のところへもって行く。』

『軍医ですか? わかりました』・・・

『彼のところにヤラッパ根をすりつぶすすりこぎ木と鉢がある。そのすり鉢で豆を砕くのだ。細かく砕く。細かく砕くが、いいか、粉にするのではない。火薬の大きな粒程度にする。粉末火薬のことではないぞ。わかったか?』

『はい、わかったと思います。』

『次に——もういい、それだけやり終えたら、またわしのところへ来い。』

 

とまあ、一杯のコーヒーを飲むのに大変な手間をかけています。重量1ポンド(大体450グラム)で17シリング、つまり0.85ポンド(前の基準でいうと25,500円)という高値の代物ですからホーブロアがハラハラするのも無理のないところかもしれません。しかし、グライムズは機転の利くタイプではなくやっぱり専門のコックが必要なのですが、ホーブロアは後に優秀な召使を得ることになります。

 

食糧とは別に艦長も乗組員も区別なく頼らざるを得ないもの、それが水です。木造帆船の水は樽に入っていてすぐにひどい状態になるのですが、それでも命をつなぐのに不可欠であることに変わりはありません。艦長専用の水というのはあり得ないのです。極限状態でもしそんなものがあったら間違いなく反乱が起こるでしょう。

 

フランスのブレスト軍港を監視する役についていたホットスパーは、嵐のために水が不足し港に帰ります。水の不足というのはどれほどの量をいうのか、コーンウォリス提督の食卓でそれが話題になります。

 

…自然というには長すぎる沈黙が続いた後、コーンウォリスが一言、質問した。

『水は?』

『その方は事情が全く違っていました…入港した時は、かなり底をついていました。そのために退避したのです。』

『どのぐらいあったのだ?』

『半量で2日分です。2分の1ガロンで1週間過ごし、その前の4週間は3分の2ガロンでした。』

『ほー』コリンズがいい、一瞬にして雰囲気が変わった。

 

つまりホーブロアは水も食料もあるのに嵐が嫌になって退避したのではないかと疑われたのです。まあこの嫌疑は解けてよかったのですが、この会話で乗員1人当たり1ガロンの水が標準であることがわかります。英ガロンは1ガロンで4.55リットルに相当しますから、1日3リットルで4週間過ごし、その後2.3リットルで1週間過ごしたことになります。言うまでもなくこれは飲用ばかりでなく、料理用も髭剃り用も、洗濯用もその他も全部含めての量ですから、いかに欠乏していたかわかります。

そういった状況を「砲艦ホットスパー」ではこのように表現しているのです。

 

あらゆる用途に対し、1日2分の1ガロンの水——それも腐りかけている水——は、塩漬けの食糧にたよっている人間にとって、健康維持に必要な最低限をはるかに下回っている。それは苦痛ばかりでなく病人の発生を意味しているが、同時に、最後の一滴が飲み尽くされるのが16日先であることをも意味している。

 

それはともかく、ホーブロアは任務中にエド・ペリュー提督から手紙を受け取ります。ペリューは彼が海尉時代から目にかけていてくれた提督で、転任のためホーブロアを指揮下に置けなくなったと告げた後に次のように書いています。

 

私はきみの報告書で君が不運にも当番兵を失ったことを知り、その代わりとして、君に断りなしにジェイムズ・ダウディを送り届けることにした。彼はマグニフィセント号の故スティーヴンス艦長の当番を務めた男で…長年君の世話をしてくれることを心から願っている…

 

ホーブロアは「…自分の日常生活を嘲笑うに違いない貴人の元従僕を押し付けられたことも悪い知らせ…」だと思うのですが、どうしてどうして、早速その日の夕食に効果が表れます。唯一残っていた伊勢海老を使ってダウディは腕を振うのですが…

リンゴ酒をアペリティフに、ダウディが音もなく海図室に入ってきます。

 

『皿が熱いですから。』

『これは、いったい、なんだ?』

『いせえびのカツレツです。』リンゴ酒を注ぎながらダウディがいい、わずかに目につく程度の身ぶりで、同時にテイブルの上においた木の鉢を示した。

『バターソースです。』

信じられなかった。皿にのっているきちんと形の整った茶色のカツレツは、外見には伊勢海老とは似ても似つかないものであったが、ホーブロアが慎重にソースをつけて口に入れると、すばらしい味であった。肉をほぐした伊勢海老。そしてダウディがひび割れた野菜皿のふたを取ると夢にも似た喜びを覚えた。金色のすばらしい新ジャガイモ。急いで口に運び、もう少しで口を焼きそうになった。その年初めての新ジャガイモほど美味なものはない。

 

艦長クラスで最下級のコマンダーといえども、腕のいい召使を得るとこういったまともな食事ができるのです。因みに、艦長付書記や召使(艦長付きコックを兼ねた)、艦長用ギグの艇長(コクスン)といった一連の者たちは艦長が別の艦に移り、あるいは出世して提督になっても一緒に移動することが可能だったようです。これはおそらく貴族階級の習慣がそのまま軍艦の高級士官に残ったのだろうと思われるのですが、ボライソーシリーズを見ると特にコクスンがぴったりとボライソーに寄り添って行動することがたくさん出てきます。

 

ダウディのように腕利きの召使は、単に料理が上手というばかりではありません。艦長付当番の、いってみれば貴族の執事のような仲間うちで連絡を取り合うギルドのようなものがあったに違いありません。そして自分の主人のためにいろいろな物資(香辛料とか新鮮な野菜とか)を調達します。同じ艦内でも権威を笠に脅し、すかして手に入れることもあるでしょう。それも腕のうちです。

 

ところで、長期航海になるといくら頑張ってもまともな料理を艦長に出すことはできません。正規艦長に就任し、フリゲート艦リディヤで英国からホーン岬を回り中米の太平洋岸に達した長期航海ではどこにも寄っていませんでした。そのときの朝食です。

 

ホーンブロアは、ボルウィール(注:この艦の艦長付召使)が朝食の支度をして待っている自室へ降りた。

 『コーヒーです、艦長』とボルウィールが言った。

 『バーグ―(船乗りが食べるオートミールがゆ)です』

ホーンブロアは食卓についた。七か月の航海で、うまい物はすべて、とうになくなっていた。コーヒーというのは、焦がしたパンの煎じ汁のことで、これの取り得といえばせいぜい甘くて熱いことぐらいだ。バーグーというのは堅パンをつぶした粉と切り刻んだ塩漬けの牛肉で作ったもので、見た目には何とも言いようがないが、匂いのいいこねものだ。ホーンブロアはうわの空で食べた。左手で、堅パンをテーブルに軽く打ちつけていると、バーグ―を平らげるころには、こくぞう虫が堅パンから残らず出てしまう。

(この項のみ高橋泰邦訳)

 

艦長という、乗組員から見れば神の如き存在ならではの食事が日常ではあるのですが、戦闘時はもちろん長期航海でもみなと同じ災厄に見舞われます。おまけにほとんど空になった生活物資をどうやって補充するかはすべて艦長の責任です。長距離通信設備のない軍艦で、場合によっては外交官の役も務め、乗組員の食糧確保と健康保持、英国海軍は書類の海に浮かんでいるといわれる報告書などの書類の作成等々、その食事に見合う責任と比べて、さてどちらがいいか、これは考えどころかもしれません。

 


帆船時代の英国海軍ー海洋小説を10倍楽しく読むための雑学ー

13.帆船時代の食事(4)―提督の食卓(中編)―

提督というのは海軍の将官クラスを指す用語で、提督の指揮する軍艦の1群を「艦隊(フリート)」と呼びます。将官と勅任艦長の間のクラス(実質的には勅任艦長ですが)であるコモドア(戦隊司令官)が指揮する軍艦の1群を「戦隊(スクヮドロン)」と呼んでいて、これは軍艦の種類、隻数とは関係ありません。艦隊といえども、戦列艦数十隻という場合もあればフリゲート艦数隻という場合もあるのです。また、勅任艦長が複数の軍艦を指揮することはありません。もちろん先任艦長が優先して指揮をとることは別ですがこの場合は正式な戦隊でも艦隊でもないのです。

 

これは明確な身分制によるもので、その点どこの国の海軍でも同じだろうと思います。責任範囲が違うのですから、それなりの給与が与えられます。ホーンブロアシリーズの「海軍提督ホーンブロア」の巻に、西インド諸島方面英国艦隊司令官として赴任していたホーンブロアが、退任して後任の司令官と交代する場面が出てきます。

 

(後任の)スペンドラブが紙切れをホーンブロアの手に押し込んだ。ホーンブロアは進み出た。『命令——海軍卿の事務代行者たる海軍本部委員会より、本官、赤色艦隊海軍少将、バス勲位功一級大十字章勲爵士、ホレイショー・ホーンブロア卿に対し…』・・・それから命令書をたたみ、最後の命令を下した。『サー・トマスご苦労だが、わたしの旗を降ろしてくれたまえ。』(以下この項高橋泰邦訳)

 

こうして艦隊司令官の交代が行われるのですが、赤色旗が13発の礼砲と共に60秒かけて甲板に降ろされた瞬間「ホーンブロアは、司令官給の1か月あたり49ポンド3シリングと7ペンスだけ貧しくなった」のです。

 

提督の給与は分からないのですが、艦隊司令官になっただけで(このシリーズの以前の基準によると)1ヶ月に147万5,375円、年間にすると1770万4500円の収入になります。これはいってみれば役職給ですから、元になっている本給はこれよりもずっと多いはずです。この他に艦隊司令官には拿捕賞金の1/8が自動的に入るのですから、いかに将官が金持ちであったかわかります。

 

同じ本の中で、退任したホーンブロアは一緒に帰国するために来ていた妻のバーバラから200ポンドほしいとねだられます。もともとバーバラは貴族の出身なので金を持っていたのですが結婚によってそれはホーンブロアのものになり、当時の習慣として女性は小切手に署名しても法的には無効になってしまうのです。この金は些細なことで命令違反となった軍楽隊の天才的なトランぺッター、ハドナットをバーバラが非常手段で救うための費用だったのですが、妻を信用しているホーンブロアはすぐに小切手を切ります。200ポンドは先ほどの基準でいえば600万円で、海軍の提督は容易にそういった金を出せるほどの資産家であったことが分かります。

 

こういったことを頭に入れて、提督がどんな食事をしていたか、特に艦隊の責任者を集めて会食するときにどのように贅を尽くしたかを見てみましょう。もっとも、提督といえども何か月も海上にあって不便を強いられているのですが、海峡艦隊はフランスの軍艦が出てこないように監視、撃滅するのが役割ですから、距離の近い本国からの補給に頼ることができました。ホーンブロアシリーズの「砲艦ホットスパー」ではコマンダー(海尉艦長)だったホーンブロアが海峡艦隊の旗艦、二層甲板艦トナントでの会食に参加します。

 

旗艦トナントはもともとフランスが作った二層甲板戦列艦で、英国の二層甲板艦を規模で圧倒しようとした大型の船です。それが希望に反して英国に拿捕され海峡艦隊の旗艦となっているのは皮肉なものですが、狭いブリッグ艦から来たホーンブロアから見ると「その甲板は信じられないぐらいに広く見えた」のです。天井までの高さが6フィートもあるこの船の艦尾楼で旗艦艦長であり昔なじみのペリューに迎えられ、これもよく知っているコーンウォリス提督と握手します。この集会に参加したのは歴戦の艦長連で、若手は就任して3年以内なので右肩だけに肩章を付けている正規艦長とコマンダーであるホーンブロアだけです。

 

食事前に通された部屋は「…ダマスコ織と思われる高価な布地で仕上げられており…揺れている銀のランプをきらめかせ…立派な革製のものをまじえた書物が並んでいる棚があった(以下食事の項は菊池光訳)」という豪華なものです。ただ、この部屋といえども戦闘時には砲列甲板になるのですべての隔壁や調度は取外して船倉に仕舞わなければなりません。「『これでは戦闘準備をするのに、五分は十分にかかるだろうな、エドワード卿』コーンウォリスがいった。『ストップウォッチによると』ペリューが答えた。『隔壁を含めて一切を下にしまうのに四分十秒ですみます』」つまりそれほど戦闘準備の訓練が行われているということですが、絨毯類やガラス器具の多い棚をどうやって5分以内で船倉まで降ろしたのか驚きです。

 

やがて食事にしましょうとペリュー艦長がいって…「艦の縦方向に取りつけられた隔壁のドアが開かれると、中はダイニング・ルームになっていた」と書かれています。つまり艦尾楼の幅が大変広くて、例えば左舷側に食事を待つための部屋があり、右舷側には食堂があるということを示しています。通常戦列艦でもダイニング・ルームは艦の横方向に隔壁が取り付けられていますから、この旗艦がいかに大きいかが分かります。

 

一番大きい皿が彼の前に置かれ、巨大な銀の皿おおいがサッと取り払われると、見事なパイが現れた。パイ皮が城の形に築き上げられ、その小塔に紙のイギリス国旗が立っている。『これはすばらしい!』コーンウォリスが声をあげた。『エドワード卿、この本丸の下に何が入っているのだ?』ペリューはもの悲しげに首を振った。『たんにビーフとキドニー(腎臓)だけなのです。』

 

ペリューは本艦に割り当てられた牛の肉が固いのでバラバラになるまで煮て、腎臓を利用してステーキとパイにしたと説明します。

 

パンに使われた小麦粉は袋が艦底の汚水に汚され、やっと上辺だけを助けたので数が少ないことをペリューは弁明し、ホウザー艦長の横にあるのは「『…ポークのシチューなのだ、少なくともわたしのコックがそう呼んでいるものだ。普通のものよりも塩辛いとしたらその中に流したコックの涙のせいだ。』」何故かというと艦隊で唯一生きている豚を持っている艦長が黄金を山と積んでも手放す気はなかったので「哀れなコックは塩漬けの豚肉で間に合わせるほかはなかった…」とペリューはいうのです。

 

この他に本国から補給されたばかりの新鮮野菜、カリフラワーやニンジンに一同が感激したり、ペリューに勧められて下級士官のホーンブロアは「コックが特に自慢している特別料理」である塩漬けの豚肉を使った料理をポテト・ピューレと併せて食べます。「…中に黒っぽい片鱗が入っていた。この上なく美味な料理であることは一点の疑いもなかった。ホーンブロアはありったけの知識であれこれ考えた結果、その黒い薄片は、話に聞いたことはあるが一度も賞味したことのないフランスしょうろに違いない、と結論した。」

 

この「フランスしょうろ」とはトリュフのことで、当時でもフランス、スペイン、イタリーにしか生産されなかったはずです。つまり密輸に頼っていたわけで、後で出てくるブランデーなどと共に軍隊といえども美味な材料の多くを密輸に頼っていたことが何とも皮肉ですが、同時に相当に高価な材料であったことも事実でしょう。また一緒に食べたポテト・ピューレは「艦上でも港の安食堂ででも、一度も食べたことのないすばらしい味であった。控えめながら完璧な味付けで、天使がマッシュポテトを食べる場合があるとすれば必ずやペリューのコックに作らせたに違いない。」

 

ペリューの言葉で、ホーンブロアは今の料理が「ガランティン」というのだと知るのですが、「…ポークシチュウが回ってきたので、給仕が間髪を入れずに取り換えてくれた皿にたっぷりととった。この世のものとは思えない味のソースにつかっているすばらしい玉ねぎを心ゆくまで賞味した。」

 

やがて「魔法のようにテイブルの上が片付けられて新しい皿が並び、大小の干しぶどうと二色のジェリイで作られたプディングが供された。」というのですが、「このすばらしいゼラチンを作るのに例の牛の足を煮たり濾したり、たいへんな手間がかけられたているのにちがいない」とあります。今と違って乾燥ゼラチンなどない時代ですから、一般家庭やレストランといえども牛骨などからゼラチンを取っていたのだろうと思います。ただ軍艦の場合はその骨そのものが少ないので、コックは大変な苦労をしたに違いありません。

 

最後に出た「ゆでまんじゅう」とはよく分からないのですが、ペリューは「そのゆでまんじゅうに使う小麦粉がなかったのです」と弁明し、そこで「厨房の連中がビスケットを砕いて出来るだけのことを」したのだといいます。そのできるだけのこと、というのは「およそ考えられるかぎり完璧に近く、果物の豊かな味を最高に生かすしょうがのかおりがかすかにまじっている甘いソースがかかっていた。」といいますから、ニョッキかすいとんのような状態のものだったのでしょう。

 

もう一度テイブルが片付けられ、ホーンブロアは給仕からそっとささやかれます。「カーフリィはいかがですか? それともウェンズリデイル? あるいはレッド・チェシャ?」つまり食後のチーズの名前です。間もなくホーンブロアはウェンズリデイルと上等なポートワインの組み合わせが「栄光に満ちた行進の最高潮の場面で意気揚々と馬にまたがっている天の双子、カストルとボルクスのような至上の組み合わせであるという、画期的な発見…」をしたのです。

 

こういったチーズ類もおそらくフランスからの密輸でしょう。英国は今でも牛乳の生産量はかなりあるのですが、チーズやバターの乳製品の生産量は少なく、多くを牛乳で消費します。その点から見てもチーズの多くはフランスかオランダからの密輸だと思われます。

 

この会食の終わりにフィンガーボールが出ます。これが彫刻入りの銀製品で、もちろん手指を湿らせるだけのものですが、豪華な入れ物ではありながら「器の中にレモンの皮が一片浮かんではいるが、そのレモンの皮が浮かんでいる水はたんなる海水であるのを、ホーンブロアは唇を軽く濡らしながらそっと味わって発見した。なにか心が温まるような事実であった。」と書いてあります。やっぱり軍艦である証拠を発見したのでしょう。

 

こういった会食の最後には、長年の伝統によって最下級士官が国王陛下への乾杯の音頭を取らなければなりません。ホーンブロアは提督の鋭い視線の下に至福の時間からはっと覚めて、一同の注意を集めてその役割を果たします。こういった経緯でおえら方の会食が終わるのですが、陰の主役、つまりお抱えのコックが会食には大きな役割を果たします。前回でも触れたのですがペリュー艦長もコックを「平和時に彼を雇って開戦になったので連れてきたのです」と説明しています。しかし「戦闘部署は下甲板右舷の砲手です。」といっていますからコックが専門ではなかったようです。

 

ここででた鶏の料理が美味で、どうやって鶏を太らせるのだと質問が出ます。コックの秘密なのだがと断って、実は「この艦には六百五十人の兵員がいます。五十ポンド入りのパン袋が十三個からになります。秘密はその袋の扱い方にあるのです。」という説明です。実際には「中身をあける前に、袋を叩き、ゆする、割れがでないように加減をしながら、強く叩く、そして、中のビスケットを素早く取り出すと、驚くなかれ! びっくりしてふだんの住まいから逃げ出したまま、べつの住まいを探すひまのないゾウムシやウジムシが袋の底にいっぱいいる。紳士諸賢、ビスケットを食べて栄養満点のゾウムシくらい鶏を太らせるものはないのだ…」とペリューはいうのですが、これも軍艦ならではの話といえましょう。

 

これまでで気がつかれたと思うのですが、豪華な食事の中で材料はすべて牛肉、豚肉、鶏肉と乳製品、それに生鮮野菜です。魚類は一切使われていません。ただし魚類ではありませんが伊勢海老だけは別です。前回で述べたように水兵は同じ海の生物である魚に対して偏見を持っているといわれているのですが、提督の食卓にも魚が出てくることは、少なくとも私の読んだ海洋小説に関する限りありません。英国海軍全体に偏見があったのかもしれません。

 

もう一つ、あまり目立たないのですがこれらの料理に使われた香辛料はかなりの種類があったと思われます。上のトリュフなども、どちらかというと食材というより香辛料に近い存在です。前回でご紹介したホーンブロアの新しいコック、ジェイムズ・ダウディはこの会食の時に密かにコック仲間に頼んで提督の(内密の)許しを得て旗艦から香辛料を手に入れています。

 

ダウディがどんなものを手に入れたか、ホーンブロアに強要されて「これがスイートオイル、つまりオリーブ油です。これが乾燥した香料植物です。マヨナラ、タイム、セージ、そしてこれがコーヒーです——見たところ半ポンドしかありません。これがこしょう。それに酢と、これが…」と白状します。「艦長がこういう物を備えておられないのを、黙ってみているわけにはいきません。」というのがコックとしての彼の弁明です。

 

料理人にとって香辛料はなくてはならないものでしょう。もちろん、これらは遠い太平洋の南国からの輸入品で、おそらく東インド会社の交易船からもたらされたもので、庶民からみれば恐ろしく高価なものだったことも知っておく必要があります。

 

 

 


帆船時代の英国海軍ー海洋小説を10倍楽しく読むための雑学ー

14.帆船時代の食事(5)―提督の食卓(後編)―

 提督の給料は分からないが…と前回書いたのですが、それが分かりました。「海軍将校リチャード・デランシー物語り」第6巻の「インド洋の落日」の表紙のカバー裏に資料があったのです。この海洋小説はC.N.パーキンソンの著作で、出光宏さんが翻訳し、この資料も調査して掲載しています。「1806年イギリス海軍の階級と月給」という資料で、以前にお見せしたフォックスシリーズの資料と併せて別途にその表をお見せします。

この新しい資料によると提督クラスの月給は、£1=3万円として

  艦隊司令官 £140 (420万円)

  海軍大将 £ 98 (294万円)

  海軍中将 £ 70 (210万円)

  海軍少将 £ 49 (147万円)

となります。前回艦隊司令官としての役職給が49ポンド程だと解説したのですが、これを差し引くと海軍大将の給与98ポンドにほぼ匹敵します。したがって提督クラスの月給は19世紀当時150万円から300万円ほどだったと推定されるのです。2つの資料で見ると勅任艦長は大体50万円から100万円ですから、この提督の給料はまあ妥当なところでしょう。

 

前回お話したホーンブロアの妻バーバラがねだった£200(600万円)は、当時の海軍少将(最高位の赤色艦隊少将ではあるにしても)の月給のほぼ4か月分に相当しますから、相当の高額であることは間違いありません。ホーンブロアはほかにも収入(名誉海兵隊大佐)があったりしたので、妻の願いをすぐに叶えることはできています。

 

それはともかく、提督ともなると艦隊以外の付き合いが多くなるのは当然で、いろいろな利権をめぐって提督をもてなそうとする者も多いのです。現代と違ってこの時代ではこれは一種の社会儀礼のようなもので、もてなす方もできる限りの贅を尽くすことになります。その一例が「海軍提督ホーンブロア」の巻に出てきます。

 

西インド諸島方面の英国海隊司令官であるホーンブロアはジャマイカ島のキングストンで妻のバーバラからの手紙を受け取ります。「まもなくそちらへお客様が着きます。ミスター・チャールズ・ラムズボトルという百万長者で海軍の老朽艦をヨット用に購入し、それを<アバイダスの花嫁号>と命名し、それに乗って西インド諸島を訪問する意向です…」(以下「 」は高津幸枝訳)。ラムズボトルは陸軍御用被服請負業者で、父親の跡を継いだ若者だと紹介します。その上「もし私が世界でいちばん拒みがたい男性と結婚していなかったなら、この方の接し方は拒みがたく思ったかもしれません…」とかなり魅力的な男だと推薦しています。

 

海軍の老朽艦というのは着いてみるとブリッグ型のスループ艦で、乗組員はほとんど水兵上がりでホーンブロアが知っている者も多かったのです。ここでいうヨットとは軍艦でも商船でもない私用の船を指すのですが、ラムズボトルの本当の目的は一族の出身地である西インド諸島の反乱(スペインへの)に参加することにあるのですが、ここではそれに触れません。

 

ラムズボトルの船の正餐に招待されたのはジャマイカ総督とホーンブロアを含む6人で、そのうちの一人が「食事の方も儀礼に見合うものになりそうですか?」というと、「きのう、ラムズボトルの事務長が氷を2トン買いましたよ。」と一方が答えます。この小説の時代は1821年ですから、日本でいえば徳川末期、伊能忠敬が亡くなってはいたのですが、後継者によって日本全図が幕府に献上されています。そんな時代に西インド諸島で氷が手に入るのかというと、「氷はニューイングランドから高速スクーナーで運ばれてくる。冬の間に切り出されて地中深く貯蔵され、おが屑の梱包で熱を遮断してカリブ海へ急送される」のだそうです。

 

夏の氷ですから当然高くつくわけで「ポンド当たり6ペンスというところが相場」だと書かれています。つまり453gで¥750ということになり、この計算で2トンの氷を買うと331万円になります。いかにラムズボトルが金持ちかということですが、氷の流通は日本でもあったようで、2021年2月18日付の朝日新聞の朝刊“天声人語”にも “幕末の日本で暮らした欧米人士が困ったのは、氷が手に入らぬことだった・・・はるばる米国から『ボストン氷』が運び込まれた。『氷なら国内にもある』と気づいたのは中川嘉兵衛という商人。・・・試行錯誤の末、函館の五稜郭の氷を切り出し、東京へ海上輸送する・・・『函館氷』はたちまちボストン氷を駆逐した。” とあります。

 

幕末の欧米人が困ったのは大体1850年代ですから、その30年以上も前に大西洋で氷が流通していたことになります。しかし、ホーンボロアは氷よりも水兵が動かしているクランクに興味を惹かれます。これは後になって分かるのですが、キャビンに風を送る一対の風車、まあ扇風機の動力だったわけで、ラムズボトルはそんなところにも細かい心使いをしています。

 

食道楽のフーバー総督は「・・ただのヨットとあっては馳走を期待してはおらんよ」と乗り気ではなかったのですが、席に着くと「すぐさま給仕が現れて一座にシェリー酒のグラスを回した。『ほーっ、これはいける!』総督が用心深く一口試してから感嘆の声を発した。『例のオロローソと訳が違う、例の甘口で色の濃いねとねとシェリーとはわけが違う。』」。総督は王室の血を引くといわれる食道楽家ですが、ホーンボロアにとってもこれは大変な美酒だったようです。

 

「招待主のいんぎんな指示に従って食卓に着席した一同は、正餐の給仕を待った。たっぷりした大皿が二枚、その上に、さらにたっぷり割り氷を大盛りにした皿が載っている。その内側の皿に何か灰色の粒状の物が盛ってある。『キャビア!』と、総督閣下が感嘆の声を発して、びっくり目で見つめたあと、遠慮なく自分で取り分けた。『お口に合うとよろしいのですが』とラムズボトルが言った。『ここにあるウオッカを合わせてご賞味ください。ロシア皇帝の食膳に出されるものと同じものです。』」1812年、リガ防衛戦の最中にホーンボロアはこの珍味を経験していますが、またこの熱帯で経験するとは。

 

次の料理は土地の名産トビウオで、ラムズボトルは土地の料理で、と謙遜するのですが、添えて出されたちょっぴりマスタードの利いたソースに、総督は「あなたのシェフ・ド・キジン(司厨長)は天才的な男に違いない。」と褒めます。そのときの酒は総督がホック(ドイツ産の白ぶどう酒)、ホーンボロアはシャンパンを選びます。「あの大昔の美食家たちも—ネロにせよ、ピテリウスにせよ、ルクルスにせよ—シャンパンでトビウオを味わうよろこびは、ついに知らなかったのだ。」とホーンボロアは内心微笑んだことでしょう。

 

西インド諸島の様々な情勢を話題にしながら、「メインコースが食卓に着いたところだった。ラムズボトルの指す料理のほかに、ローストチキンと豚の足が一本。指さされた皿の中身は一面に落とし卵をかぶせて隠してある。」正餐のこの段階では本来もっと腹ごたえのある焼肉でも出るのではと総督は思ったようです。「『まあ召し上がってください、閣下。』と、ラムズボトルはなだめるように薦めた・・・『なかなかいい味だ。何かね。』『貯蔵ビーフのシチューです・・・』」

 

この貯蔵ビーフというのがここの肝で、「とにかく斬新なものだ。ホーンブロアがこれまで味わったことのあるどんな料理とも違っていた—この二十年間、食べ続けてきた塩水の貯蔵ビーフなどとは似ても似つかないものだ。」つまり同じビーフでも樽に入れた塩漬け肉ではないということになります。当然、どうやって貯蔵したのかが問題になるわけで、ホーンブロアは「珍味ですな。貯蔵法は?」と質問します。

 

「ラムズボトルが待っている給仕へ身ぶりすると、給仕が鉄製らしい四角な箱を食卓に置いた。ホーンブロアが片手で持つとずっしり重かった。『ガラスでもうまく行きますが』とラムズボトルが説明して、『ただしガラスだと船上では不便です』給仕が鉄の箱に大きなナイフを使っている。まず切り開き、蓋をこじ開けて、検分に供した。

 

『ブリキの箱に高温で密封したものです』とラムズボトルが続けて、『ぜひお薦めしたいのですが、この新しい方法を採り入れれば、船の食糧貯蔵法に大きな変革が起こるでしょうね。このビーフは箱から出して冷たいままでも食べられますし、ここにお出ししたように“はやし肉”料理にもできます』

 

そう、ラムズボトルの秘密は缶詰にありました。調べてみるとナポレオンの懸賞に応えて1804年にフランスのニコラ・アペールがびん詰を発明し、1810年にはイギリスのピーター・デュランドがブリキ缶詰を発明しています。いろいろ問題があったようですが、英国のブライアン・ドンキンが缶詰工場を作り、1813年にはすでに海軍に製品を納入しています。したがってこの小説の時代(1821年)には缶詰が存在していたわけで、著者、C.S.フォレスターは少し発明の年代をずらしたのでしょう。

 

余談ですが、初期の缶詰は蓋のハンダを火であぶって熔かして開けていたようです。もちろんナイフで切り開けてもいたと思いますが、ハンダの鉛中毒や、殺菌不良による爆発など缶詰には多くの問題があったようです。缶切りが発明されたのが1858年のアメリカ人だったそうで意外に時間がかかっています。それまではあまり缶詰は一般的に使用されていなかったと思われます。

 

こういった贅を尽くした食事に欠かせないのが酒です。水兵クラス(准士官を含めて)と士官クラスを別ける一番の象徴が酒類でしょう。支給という形で強制される水兵クラスの酒は、ビール、下級の白・赤ブドウ酒、ラム酒を水で割ったグロッグなどが一般的で、古参水兵は生のラム酒を好みます。長い年月それで慣らされているので、ウイスキーなどの高級酒よりもラム酒を好きになるのです。ボライソーの長年の友人ともいえる提督付コックスンのオールデーなどは、ウイスキーを飲むことも自由にできるのにやっぱりラム酒を好んで飲んでいます。

 

士官クラス、特に艦長や提督クラスになると酒の種類が違います。上のようなシェリー酒といった食前酒に始まって高級なビールやぶどう酒、例えばシャンパン、マディラ酒、ポートワイン、フランス産の赤白ワイン、ドイツ産の白ワイン(ホック)など、ウイスキー、強い酒としてはウオッカ等々ヨーロッパ中から集めた酒を用意しています。これらは戦時中にもかかわらず手に入るのですから、交易ばかりでなく密輸、敵船の拿捕などで調達されたと思われます。こういった高級な酒は高級士官のコックなどによって船のホールド(船艙)に仕舞われているのです。

 

ちょっと寄り道をして、二層甲板戦列艦デューク・ウイリアムの甲板の様子を見てみましょう。「海の覇者トマス・キッド」シリーズの第1巻「風雲の出帆」に強制徴募されたばかりのキッドに古参水兵のボウヤーが甲板で説明しているところが出ています。

 

しばらくボウヤーはただずんでいたが、やがて昇降はしごに寄ってゆくと、下をのぞき下ろした。『この下にもう二つ砲列甲板がある。そして喫水線だ。』『じゃあ、おれたちがいた主計長の部屋はどこに?』『ああ、喫水線の下に甲板がないとは言わなかったぞ』とボウヤーが答えた。『実はな、おれのおんぼろガレオンさんよ、下層砲列甲板の下には最下層甲板(オーロップ)があるんだ。あんたが最初にいたのはそこだったんだ。』

ボウヤーは指の関節を鳴らして、『おもしろいところだぜ、オーロップは。一番艦首寄りには掌帆長と船匠(だいく)がいる。それぞれ自分の船室と倉庫を持っているんだ。その後ろ側が船医、主計長、そして二人の倉庫—それから忘れちゃいけない、士官候補生の部屋だ。』ボウヤーは下を見下ろしながら、まるで甲板が透けて見えるかのように、『真ん中の部分には錨索がとぐろを巻いて納められている。その艦尾側は弾薬庫だ。真っ暗な奇怪なところだ。』…。

『あと下に残っているのは船艙だけだ。だけどホールドのことなら、あんた、すっかり知っているんだろう—強制徴募兵は出航前、あそこに入れられているんだからな。あそこには水と食料が全部貯蔵されている。そして戦闘準備となったら、備品はぜんぶあの下へ降ろされる。』ばしっとボウヤーはキッドの肩を叩いた。『これで甲板はみんなわかったわけだ。じゃ、お訪ねしてみるとしようか!』  

(大森洋子訳)

 

つまり、ホールド(船艙)は喫水線よりも下にある最下層甲板(オーロップデッキ)よりももっと下にあって、この艦が建造され、進水して以来陽の目を見ることがないことはもちろん、海面下にずっとさらされているので、海水よりも温度は上がりません。熱帯といえども水線下数メートルもあると、温度は20℃台まででしょうから、ここに貯蔵されればワインでも飲むときにひんやり感じるのです。

 

因みに、ホールド(船艙)はデッキ(甲板)ではありません。キールがむき出しの船の底で、一番下にはバラストという石が敷き詰められ、その上に塩漬肉の樽や水樽が積み重なっています。艦尾側には戦闘準備で士官室や艦長室の隔壁や備品が運び込まれるスペースがあり、また艦長や提督のコックが管理する食糧や酒の倉庫があるというわけです。ついでに言うと、船艙の上のオーロップデッキは砲列甲板の下にあるので戦闘時にも掌帆長たちの部屋はそのままで、士官候補生の部屋が負傷者の手術室になります。

 

こうした陰気な場所であるホールドですが、提督になったボライソーの長年のコック兼召使いであるオザードにとっては「わが城」でした。ボライソーシリーズの第17巻「栄光の艦隊決戦」に「…オザードが一同のグラスを満たすと、ボライソーは『勝利を祝して乾杯』と言った。グラスポートが太い脚を突き出し、唇を舐めた。『上等なクラレットですね、サー・リチャード』(以下高橋泰邦訳)」という場面が出てきます。クラレットというのは当時のボルドー産の赤ワインで、オザードが大事にホールドに仕舞ってあったものです。

 

旗艦である戦列艦ハイペリオンが戦いに勝利しながら大きな損害を受けて沈没に瀕した時「片脇にまたオールデーが現れた。オザードを連れてきている。『まだホールドにいたんすよ、サー・リチャード』オールデーはにっと作り笑いをした。『戦いが終わったのも知らねえんだから、後生楽なこった!』―下で見つけたとき、オザードはホールドの昇降梯子にちょんとかけて、ボライソーの立派な贈呈剣をしっかりと胸に抱え込み、じわじわと忍び寄ってくる浸水の黒い水面に最後のカンテラの光が照り返すのをじっと眺めていた。その場から離れるつもりなどなかったのだが、オールデーは何一つ口にしなかった。」

 

オザードは戦闘時には用がありませんから、この提督用倉庫であるホールドにいます。喫水線下深くにあるここは船が浮いている限り損害を被ることもなく安全な場所なのですが、自分の管理下にあるボライソー用の食糧や酒類がみすみすそのまま沈んでゆくのを見ると自分の責任であるかのように感じて船と一緒に、いやこういったものと一緒に自分も沈もうと思ったのでしょう。提督の食卓はこういった人たちによっても支えられていたのです。

 

 

 


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33-31 マルタの貨物船 Leudo  1/32 東康生 Yasuo AZUMA
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