帆船時代の英国海軍

ー海洋小説を10倍楽しく読むための雑学ー[後編]

宮島俊夫さんの絵
宮島俊夫さんの絵

帆船時代の英国海軍ー海洋小説を10倍楽しく読むための雑学ー

10.帆船時代の食事 (1) ―水兵の食卓(前編)―

人は誰でも食べなければなりません。それは帆船時代でも同様で、英国海軍でもそれが大問題でした。当時、食べ物が腐るのは微生物が関与することが分かっていません。ビタミンの知識はもちろん、設備でいえば冷蔵庫もなく、電熱はもとよりボイラーによる高圧蒸気もなく、調味料すら多くはなかったのです。が、それは当時の人たちにとって当たり前のことで、そのこと自身に不満があったわけではありません。

 

軍艦という特殊な環境での問題といえば、まず狭い艦内に多くの人がいたこと、いったん航海に出れば長い場合は数か月も海上にあってろくな補給ができなかったことが挙げられます。つまり何か月分もの食料、水、酒を詰め込み、貯蔵品の主役は砲弾に火薬、予備の帆、ロープ、円材などで、おまけに生きた牛や羊、鶏に至る生きものまで必要でした。さらに言えば帆船に絶対必要なバラストという石まで大量に積んでいたのです。

 

特に重要なのは水の問題で、当時の容器は大型の樽でした。なんといっても木製ですからすぐに水が腐るうえに、すぐに無くなるので途中の無人島などで川から水を補給するという場面が海洋小説ではよく出てきます。

 

ちょっと余談になるのですが「一合雑炊、二合粥、三合飯に四合餅」という江戸時代の言い伝えをご存じでしょうか。腹を一杯にするには米が一合しかなければ雑炊が一番、二合あれば粥でもいい、三合あれば普通のご飯にし、四合あるなら餅でもいい、という意味です。ことの内容はともかく、この例にあるように米がなければ水(と野菜)で腹を満たすということで、米飯というのは多くの水を使います。弁財船時代はわれわれの想像以上に多くの船があったようですが、ほとんど沿岸航路で水の補給は心配なかったので目立ちませんが、もし遠洋航海であればたちまち水に困っただろうと思います。

 

帆船時代の食事で大きな特徴は士官階級と水兵の差別です。現在の商船や軍艦でも士官とそれ以外の乗組員が同じ食堂で食事することはまずありません。もちろん士官といっても階級があり、一般の乗組員でもそうですからいろいろ食堂はあるようですが、帆船時代の高級士官は艦尾の大キャビンに立派な食堂があり、水兵は大砲と大砲の間に吊るした板が食卓でした。一等級戦列艦であるヴィクトリーで撮ってきた写真を下にお見せしますがその格差たるや相当なものであることがお判りでしょう。

 

高給士官の食堂(左)と水兵の食卓(右)
高給士官の食堂(左)と水兵の食卓(右)

 

これは貴族階級と一般庶民といった階級差別が軍艦にも持ち込まれていたためで、これまでいろいろ述べたように士官は貴族階級出身のものが多かったせいもあろうかと思われますが、士官と一般乗組員は指揮系統もあって画然たる区分があるのは今でも変わっていません。

 

一方前にも述べたのですが士官は食料と衣類は自前で整えなければなりませんでした。特に艦長ともなれば乗組み士官などを招待して会食をする機会も多く、一般の食料とは別に食糧を買って持ち込んでいたのです。水兵は食事も衣類も支給されたのですが、どんな食事をしていたか、以前に横浜帆船模型同好会の元会長山本さんから依頼されて「ネルソン時代の海上生活 (Sea Life in Nelson’s Time)」という本の食物関係の部分を翻訳したことがあります。それによると英国海軍の一週間の支給品は下の表のようになっています。

 

 

英国海軍の一週間の支給品

     
 ビスケット  ポンド 454 g 1 1 1 1 1 1 1 7
ビール ガロン 4.55 l 1 1 1 1 1 1 1 7
牛肉 ポンド 454 g     2       2 4
豚肉 ポンド 454 g 1       1     2
エンドウ豆 パイント 0.57 l 1/2     1/2 1/2 1/2   2
オートミール パイント 0.57 l   1/2   1/2   1/2   1 1/2
砂糖 オンス 28.3 g   2   2   2   6
バター オンス 28.3 g   2   2   2   6
チーズ オンス 28.3 g   4   4   4   12

 

これで見ると肉のあるのが日、火、木、土曜日の4日間で、この日はビスケットとビール以外にはエンドウ豆しかありません。一番種類の多い水、金曜日がビスケット 454 g、ビール 4.55 l、エンドウ豆 0.29 l、オートミール 0.29 l、砂糖 57g、バター 57g、チーズ 113gということになります。

 

もう一つ参考になるのが米国のボストンにあるUSSコンスティテューション博物館の「海軍公式食事表」で、これもお見せしましょう。

 

OFFICIAL NAVY DIET 海軍公式食事表

       日   月   火   水   木   金   土    計  
 牛肉 BEEF 1 1/4 lb 570 g          
 豚肉 PORK 1 lb 450 g          
牛脂 SUET 1/4 lb 113 g            
パン BREAD 14 oz 396 g  
小麦粉 FLOUR 1/2 lb 225 g            
えんどう豆 PEAS 1/2 pt 235 ml            
米 RICE 1/2 pt 235 ml            
チーズ CHEESE 4 oz 113 g            
バター BUTTER 2 oz 57 g              
糖蜜 MOLASSES 1/2 pt 235 ml              
酢 VINEGAR 1/2 pt 235 ml              
スピリッツ SPIRITS 1/2 pt 235 ml  

   *この表はボストンの「U.S.S. CONSTITUTION MUSEUM」にあったもの

 

コンスティテューションはホーンブロアの「砲艦ホットスパー」にも登場するほぼ同時代の大型フリゲート艦ですが、食事の内容はかなり似ています。違う点は

  • 肉の支給が米国では週6日、英国では4日、したがって精進日が米国で金曜日、英国では月、水、金曜日
  • 英国ではビスケット、米国はパンというが実態は同じ?
  • 英国では油脂はバターのみ、米国はバターと牛脂
  • 炭水化物で英国はオートミールと砂糖、米国は小麦粉と米と糖蜜
  • 英国になくて米国にあるものは酢
  • 酒は英国でビール、米国でスピリット

などですが、これらを見るとなかなか興味があります。

 

それはともかく、これらの表を見て気が付くのは食事とはいっても支給されるのは「料理」ではなくて「調理用の素材」だということです。軍艦には司厨員が乗っていますが、士官室は別として彼らは一般水兵用には原料を料理用素材にする作業をしていたということです。つまり、艦のオーロップデッキから運んできた樽を開け、塩漬けの肉を大鍋で煮る作業などがそうです。

 

水兵はガンデッキの大砲と大砲の間に細い食卓を下ろし(普段は上に釣り上げてあります)木箱を椅子として食事するのですが、その一団を食卓仲間(メスメイト)といいます。そのメスメイトのうちの2~3人がメスクック、つまり食卓仲間の料理をする係です。その名称が今でも残っているということは第6回の「エイブル・シーマン」でお話しした通りです。しかし、料理をするといっても火を使うのは帆船の場合大変限られた場所でしかできません。火事が一番怖いからですね。「ネルソン時代の海上生活」によると「下ごしらえをするためにコックを口説いた」とありますから、司厨員に火を使わせてもらったかあるいは料理してもらったのでしょう。

 

この本によると、表にある支給量は文字通り公式のもので、〝4人分で6人を”というのが現実だったようです。つまり4人分の食料を6人に割り当てたということで、その余分の2人分は主計長の懐に入ったのです。それでもさすがに主計長は気がさしたのかこの本では「水兵たちは差引かれる食糧のためにいくばくかの金をもらっていた」とあり、この金を「へそくり金」といっていました。

 

支給品の中で最も豊富だったのがビスケットです。表を見ても毎日支給されています。ビスケットといい、パンといっても実際はいわゆる「乾パン」です。これは造船所付属の王室製パン工場で焼かれ、重さが1個4オンス(約113g)で、1包みに70個入っています。実際の姿は「丸く分厚く、こんがり焼けたビスケットで、パーフォレーターで真ん中にスタンプが押してあり、そのために真ん中がかなり圧縮され周りの部分よりもかなり固かった」そうです。

 

この真ん中部分はいつでも最後に食べることころで〝リーファースの実″として知られ、多くは舷側を超えて海に捨てられたというのですが、かむに噛めないほど堅かったのでしょう。このビスケットは小麦粉とえんどう豆の粉を混ぜて作るのですが、時には「骨のクズもベースの混ぜ物だった」といいますから本来うんと固いもので、長期保存で柔らかくなるや否やかび臭くなり、ちょっと酸っぱくなり、その上にコクゾウムシが繁殖するという状態になります。

 

海洋小説でおなじみのシーンですが、堅いビスケットを机にコツコツと叩いてコクゾウムシを追い出す、そしてそのコクゾウムシ自体を鶏の餌にして卵を取るという循環が行われていたのです。もちろんこれは士官階級の話で、水兵たちにとって「大方の習慣はそれら生物を彼らの平穏に任せることであり、またそれらを見ることのできない夜間にビスケットをたべることであった」そうです。

 

ただ、メスクックの腕がいいとこのビスケットを水に浸して柔らかくし、豚の油で揚げておいしい一品を作ったり、ビスケットをマリンスパイキで叩いて粉にし、豚の油と砂糖を混ぜてケーキを作ったりしたといいます。長い航海の間、過酷な作業の生活が続く中でもやはり人は食べることに楽しみを見出す能力を発揮したのでしょう。

 


帆船時代の英国海軍ー海洋小説を10倍楽しく読むための雑学ー

11.帆船時代の食事(2)―水兵の食卓(後編)―

前回お話した「ネルソン時代の海上生活」を続けましょう。主食、といっていいのが肉です。規定では1週間で牛肉と豚肉を合わせて6ポンド、つまり2.7㎏程になります。1日の平均では390グラムになるので、かなり贅沢な支給だと一見思うのですが、どうしてどうしてそんなに英国海軍は甘くはありません。

 

実際の支給量は前回お話したように表示量の4/6つまり260グラムですが、その内容なるものは新鮮肉とは似てもいない塩漬け肉です。長期航海に耐えるように肉はすべて塩漬けにして大きな樽に入れられています。おまけに英国海軍には「古い肉を最初に食べなければならない」という大原則があります。肉がコックのところに届くまでに数年かかることもしょっちゅうで、「それを調理して食べられるようにする時はコックよりも魔法使いが必要だった」と書かれています。

 

実際に見ると「十分に乾燥されたマホガニーの木材に似た、塩漬け肉とは信じられない」ものだったといいます。水兵たちはこれらに彫刻して磨きこんだ細工物をこしらえたのです。肉の樽には伝説的な言い伝えがあって「年老いた弁髪の水兵の言うには、肉の樽に蹄鉄が入っていた、処理場で気になる吠え声やいななきが聞こえた、肉の積み込み場で黒人が行方不明になりそれ以来見つかっていない・・・」と書かれているのですが、これで見ると馬肉と犬肉(人肉は論外として)が極端に嫌われていたことがわかります。

 

まあそういうこともあったにしても、すべてそうだったとは限りません。食事は水兵にとってやはり楽しみだったようで、特に戦闘前に十分な食事を摂らせることは、まともな艦長の責務だともいえるのです。ボライソーシリーズの第19巻「最後の勝利者」で、36門搭載のフリゲート艦トラキュラントの艦長ポーラントはどうも乗組員への気配りがあまりないようで、同乗していた海軍中将ボライソーはこういうのです。

 

「掌帆長(ボースン)の組にギャレーを片付けさせて直ちに火を入れなおさせてくれ」

・・・ポーランドの表情は見てみないふりをした。疑問でいっぱいの顔つきだ。調理場など、彼の頭の一覧表で上位になかったことは明らかだ。

「きみの部下たちは、とうてい戦える状態ではない―へとへとだよ。熱い食事をたっぷりとそれにラム酒の倍量の支給をすれば連中はきみの命令に従うし、ぶどう弾の最初の一吹きぐらいでへこたれはしないだろうよ。」              (高橋泰邦訳)

 

戦闘前の熱い食事、といえばやっぱり肉が主体だろうと思います。いい状態ではないにしても十分に食べられるものであることは明らかです。そして、フリゲート艦トラキュラントがフランスとスエーデンの謀略にかかって戦闘を強いられるとき、

「あたりの空気にはまだ調理場からの脂っこい臭いが混じっており、露天甲板で立ち働く水兵たちに、前ほど緊張と疲労が見られなくなった。熱い食事をたっぷり取らせることを優先すべきだと、ポーランド艦長に指示する前とは違っている」    (高橋泰邦訳)

                                 

ということになったのです。水兵たちに「われらがディック(リチャードの愛称)」と呼ばれたリチャード・ボライソーの面目躍如といえるでしょう。

 

ところで、食物の補給というというのがどの程度のものか、軍港での補給など実際の数字はまず海洋小説には出てきません。しかし、具体的に記載された場面があります。ホーンブロアシリーズの第5巻「パナマの死闘」でのこと。スペインの占領軍に反乱を起こさせる目的で、ボライソーはフリゲート艦リディヤに武器弾薬を積み、はるばるホーン岬を回ってパナマの怪しげな反乱軍の首領スプレモと会談します。

 

リディヤの乗組員は380人で、この時船倉はほとんど空になっています。パナマからホーン岬を回って、英国までとはいわなくとも、西インド諸島かセントヘレナ島で補給できるまでの食料を補給しなければなりません。西インド諸島とはカリブ海諸島のことで、セントヘレナ島は大西洋の南寄りの中間点にある孤島で、ナポレオンの流刑地としても知られています。まあ普通でも数か月はかかるでしょう。

 

ホーンブロアは武器弾薬を渡す前に、吹っ掛けてフリゲート艦が7か月の航海に必要な多種多様な補給物資の要求をします。

 

「明日本艦の水樽を満水にしなければならない。」・・・

「去勢牛を200頭、痩せて小さいのなら250頭、豚500頭、塩を10トン、堅パン40トン、もし焼いたものが手に入らなければ同僚の小麦粉に、それを焼くオーブンと燃料の用意、レモンかオレンジ、あるいはライム4万個分のジュース――それを入れる樽はこちらから出します。砂糖を10トン、タバコ、5トン。コーヒーを1トン。この辺じゃジャガイモを栽培(つく)っていますね、そしたらジャガイモを、20トンもあればいいでしょう」  

         (高橋泰邦訳)

 

おそらく5等級か6等級のフリゲート艦の調達量がこんなにも多いことにびっくりするのですが、辺境の土地でこれだけの要求にこたえるには国中から集めなければなりません。それでも人を殺すことを屁とも思はない独裁者を意識して、命ぜられた係は必死になって調達します。

 

結局2日間で大量の牛を屠殺して樽に積み込むことに成功し、小麦粉の代わりに提供されたトウモロコシ粉を違反の種にしてラム酒と葉巻まで手に入れたホーンブロアは、この後に武器弾薬を渡して任務を終わらせ、近所にいるスペイン艦と対峙することになるのです。

 

ここで注目すべきなのは、水兵たちが当分の間新鮮な肉を手に入れたという点です。大部分は塩漬けにしたとはいえ、数日分は生の肉、また塩漬けとはいえ屠殺してから幾日も経っていない塩漬け肉は望外の美味なのです。この場面ではないのですが、調達した牛の群れを見た水兵が「うまそうな肉が来たぞー!」と叫ぶシーンがあります。氷見の港で大きな寒ブリを見て旨そうなブリだと思うのと一脈通ずるところがありそうです。

 

普通、塩漬け肉の大樽を船底から取り出して大鍋で煮て、調理できるようにする作業は司厨員の役割です。大量の塩で漬けてあるのでこの時は海水で煮たと思われます。肉を煮るときに当然脂肪分が浮いてきますが、この脂肪分が司厨員の取り分で、油で炒めるとかメスコックが料理するときに必要な油は司厨員から手に入れなければならないのです。

 

そこでいろいろな交渉が行われたようで、そのあたりがメスコックの腕でもあったのでしょう。油脂の支給品には「バター」があるのですが、本来船の環境に合うはずもなく「海上で1、2か月も経つと最悪の状態になった。やがてそれは探し出されて厳密に検査され、腐っていると宣告され、そしてシュラウドやランニングリギングの塗油用にと掌帆長にさしだされた(ネルソン時代の海上生活)」のですから、食用油としての役割はあまりなかったと思われます。

 

チーズも同様で、「夕食に時として強烈な船のチーズの割り当てを受けることがあったが、これは想像できる限りの忌まわしいがらくただった。それは海上で保存すべきでものではなかった。船倉の中に1ヶ月も置けば、恐ろしく溶け、その上、さらに悪いことに、長い、太った赤い虫を繁殖させた(同上)。」とあるのですが、当時の船にはオーロップデッキに丸い大型の大量のチーズの保管庫があって、常に水面下にあるこのデッキでは、熱帯は別として、上に言うほど悪い条件ではなかったようにも思われます。その理由はこの後で書く予定の「提督の食卓」でご説明しますので乞うご期待。

 

液体の食べ物は比較的に好評で、えんどう豆のスープは「どういうわけか昔から美味しかった」そうで、普通は熱いうちに飲んだのですが、何人かは夕方まで取っておいてグロッグとビスケットの付け合わせとして冷たくなったものを食べたといいます。一方、朝食として支給されるオートミールの粥は「バーグ―」あるいは「スキラゴリー」と呼ばれて瀕死の男でも食べられないようなものなので、多くは豚の餌となったそうです。

 

これはある顧問医官が ”胃酸過多気分と便秘気分の矯正剤“ として効くだろうと信じたために水兵に強制されたようで、「もともと品質が悪かったのだが、口にするのも恐ろしい船の水を使って樽の中で煮立てるというコックの邪悪な意図が加えられたときこの食事は言語に絶する気味の悪さとなった(同上)」のですが、何しろ強制される食事ですから食べさせられる方はたまったものではかなったようです。さすがに後年少量の糖蜜あるいはバターが支給されたといわれています。

 

好ましい朝食は「スコッチコーヒーであり、あるいは焼いた船のビスケットを水で煮て砂糖で甘くした濃厚なペースト」で、支給品のリストにはないのですが、軍用のココアに赤砂糖を入れたものも好まれたようです。

 

水兵の食事で忘れてはいけないのがアルコール類です。英国を出帆した軍艦でまず支給されるのがビールでした。水兵たちはビールがある限り水を飲まなかったといいますから、まずまずの味だったのでしょう。これがなくなると艦長はワインか蒸留酒の支給を許します。1ガロン(4.55リットル)のビールに相当するのがワインなら1パイント(約500ml)、あるいはラム酒かウィスキーなら半パイント(約250ml)とされていました。

 

水兵たちは白ワインを好んだようでスペイン産の安ワイン「ロソリオ」と「ミステラ」がお気に入りでした。特にミステラは恐ろしく辛い白ワインでしたが水兵たちはこれを愛して「miss tailor」と呼んだそうです。しかし赤ワインは評判が悪く、地中海に入ると赤ワインが支給され、水兵たちはブラック・ストラップ(黒い締め皮)といって顔をしかめたといわれています。

 

まあ、しかし何といっても水兵のお気に入りはグロッグ、つまり水で割ったラム酒です。何がなくともラム酒がなければ反乱が起こるといわれているように、水兵たちにとってラム酒はなくてはならないものだったのはどの海洋小説を見てもはっきりしています。実際にはラム酒(生のラム酒)の大樽がたくさん船底に積まれ、海兵隊員によって厳重に監視されていました。それが解けるとき、つまり反乱が起こったときに顕著になるのがラム酒の乱飲です。

 

ボライソー・シリーズの第20巻「大暗礁の彼方」で、海軍中将ボライソーは愛人レディ・キャサリン達ともにブリッグ帆装の郵便船ゴールデン・ブラバーで英国から任地のケーブタウンに向かうのですが、現地で活動中の英国陸軍兵士たちの給料となる金貨を大量に積んでいたために航海士リンカーンが首謀者となって反乱が起こります。

 

キーンはそちこちで揺れ動くマスケット銃を目におさめた。(牢獄から)解き放たれた兵隊だとすぐわかる男たちの玄人らしい銃の扱い方だ。ただ一人だけ例外がある。その男はメインマストの根方に寄りかかって座り、小声で鼻唄を歌ったり、石製のジョッキからラム酒をごくごくと時間をかけて飲んだりしている。(高橋泰邦訳)

 

反乱というのは軍艦では一番の重罪で、言い訳なしにヤーダムから吊るされる(つまりヤードの先端で絞首刑になる)犯罪です。したがって反乱を起こす方は仲間を何としてでも纏めておかなければならないのですが、その一番手っ取り早い手段がラム酒の乱飲です。上のように反乱者の下っ端が自由にラム酒を飲む一方で、首謀者の「リンカーンが大コップのラム酒をごくごくとあおり、やかましい喘ぎ声を立てながら、赤らんだ眼を彼女の胸の手に据えた。(同前)」という、乱暴な反乱にラム酒が一役買っています。

 

通常の場合、海軍の正午の割り当て量は純粋なラム酒1ジル(約140ml)を3ジルの水と壊血病を防ぐための少量のレモンジュース、それに少量の砂糖とを混ぜたものだったといわれています。もっとも古参水兵にとっては薄めたラム酒はお気に入りではなく、何日分をも貯めたり、脅し取ったり、交換したりして常に純粋のラム酒を飲むのが日常だったようです。

 

ここで注意したいのは、レモンジュースが使われていることです。昔から帆船には壊血病が付き物で、それがビタミンCの不足が原因だとわかるのははるか後世ですが、この当時レモンジュースによって防ぐことができることは分かっていました。しかし、これは当時正規の支給品でないので、おそらく艦長が自腹で買って積んでいたと思われます。それでなくとも定員不足になりがちな帆船時代の軍艦で、戦闘以外に大量の乗員を失うのは大きな問題です。もちろんそれもあるのですが、艦長の中で乗組員の健康に留意するかしないかが大きな分かれ道になったことでしょう。飲用ではなく消毒用の酢を積み込むのもこういった配慮の一端であったのです。

 

追記:

ポストキャプテン(勅任艦長)について

 

前に、海軍の階級のところで海尉の上がキャプテンで、任官してから3年間は右肩だけに肩章を付けるのだと述べました。ボライソー・シリーズの第20巻「大岩礁の彼方」には、ボライソーの甥にあたるアダムが叔父の屋敷に馬に乗って登場しますが、

 

・・・さっき馬を乗りつけてきたときには、ボライソーとそっくりだった。だが叔父と同じ黒い髪のこの青年はまだ27歳で、右肩にだけ艦長の肩章を付けている。(高橋泰邦訳)

 

と書いてあります。

また、同じシリーズの第19巻「最後の勝利者」で、冒頭に述べたフリゲート艦トラキュラントの艦長ダニエル・ポーランドについて次のように述べています。

 

ポーランドは艦長になって2年たつが、本格的に『勅任』を受けるにはさらに6ヶ月の期間が残されている。勅任を受けたとき、そのときこそ初めて、人生の大きな不幸や災難に逢う憂いが薄らぐのだ。(同前)

 

つまり、海尉(ルテナント)から海尉艦長(コマンダー)を経て艦長(キャプテン)になっても3年間は勅任艦長(ポストキャプテン)ではない、ということです。いわば、最初の3年間は「正規艦長」ということでしょうか。そのあたりがこれまであいまいでしたので、ここに修正しておきます。

 

海尉艦長でも乗組員たちは「キャプテン」といいますが、公式には絶対キャプテンとはいいません。あくまでも「コマンダー」です。おそらく正規艦長の時の公式な言い方は「キャプテン」であり、勅任されて初めて「ポストキャプテン」と呼ばれるのだろうと思います。こうして初めて両肩に艦長の肩章を付けることができるのです。

 

 


帆船時代の英国海軍ー海洋小説を10倍楽しく読むための雑学ー

12.帆船時代の食事(3)―提督の食卓(前編)―

海軍の高級士官といえば、やっぱり艦長以上を指すとみていいでしょう。もっともこの階級といえども様々な相違があって、下はコマンダー(海尉艦長)から、一番上は古手の艦隊司令長官(多くは海軍大将)までその差もかなりあるのです。取り敢えず今回は正規艦長直前のコマンダー(海尉艦長)の食卓を覗いてみましょう。コマンダーは高級士官とはとてもいえないのですが、小なりとはいえ一艦を預かって権威を振るうわけですから、乗組員からみればやはり神に近い存在ではあります。

 

前にも説明したのですが、士官クラスは食事と衣服は基本的に自分持ちです。しかし海尉艦長ともなると儀礼的にも乗組み士官たちを招待して食事をする機会も多く、そのための食料などを含めて多くのものを自ら用意しなければなりません。これは大きな負担で、ホーンブロアが初めて正規の海尉艦長に就任し、スループ艦ホットスパーに乗り組んだ時にはあまり金がありませんでした。

 

…身支度を整え朝食をとる時間がある。時間は十分——ホーンブロアは、いろいろな望みが頭をもたげるのを感じた。コーヒーを一杯飲みたい。濃く、口が焼けるほど熱いコーヒーを、二杯も三杯も飲みたかった。といってもわずか2ポンドのコーヒーしか持っていなかった。

1ポンドが17シリングもしては、それ以上買う余裕はなかったのだ。

(以下 全て菊池光訳)

 

ホーンブロアはコマンダーになる直前に得意のホイスト勝負で奇跡的に45ポンドを稼いでいます。これは古手艦長の1か月の給料(38ポンド)を上回る高額なのですが、「艦上で着る衣類と剣を質から出さねばならず、艦長室の家具も買わねばならなかったし、自分の給料を受け取るまでのマリアの生活費に17ポンドをおいてこなければならなかった」のでこの45ポンドはたちまちのうちに目減りしたのです。

 

だから、<艦長の個人的食糧>を買う金はほとんど残らなかった。彼は一頭の羊も豚も買っていない——にわとり一羽すらも。メイスン夫人(注:妻マリアの母親)が卵を6ダース——かんなくずにくるんで、海図室の床に縛り付けてある樽に入っている——と、塩をきかせたバターを6ポンド買ってきてくれた。あと、砂糖が一かたまりと幾瓶かのジャムで金がなくなってしまった。

 

とホーブロアは嘆いているのです。

そして「ベーコンもなければ瓶詰の肉もない」と思うのですが、こういった記述を見ると艦長たるものは生きている山羊や豚、あるいは牛を何頭か買い、びん詰の、つまりかなり新しい肉を用意し、朝食用にジャムやバター、卵はもちろんコーヒー豆、それに何といってもワインとブランデーなどの酒類を何ダースも用意する必要があるのです。もちろん艦長室の家具調度も自前です。逆に言えば金さえあればどんな立派な家具でも文句は言われないということでもあります。

ちょっと興味深いのは、こういった食糧の中で魚類が一切出てこないことです。北海周辺はかなり漁獲の多いところですが、当時の軍艦になぜ魚が出てこないのか、食習慣にあまりないというよりもこんな理由が「砲艦ホットスパー」の中に述べられています。

 

…海の男たちは、自分と同じ世界の生き物である魚に対してばかげた偏見を抱いている。彼らは、塩漬けの牛肉や豚肉という十年一日の如き食卓に魚という邪魔者が入りこんでくるのを極度に嫌う——もちろんその点については、魚を調理したあとにいつまでもその臭いが残り、調理器具は海水で簡単に洗うだけなのでなかなか臭いが抜けないという事実を、考慮に入れてやるべきである。

 

上は諜報活動のためにフランスの漁船から大量の〝さっぱ”(ニシン科のママカリです)を買った後の話ですが、もしわれわれ日本人なら刺身はもちろん酢漬けでも喜んで食べたでしょう。食習慣というものは民族の根本にあるもので、これはやむを得ないことかもしれません。

 

それはともかく、金を出し合って4頭も子羊を買った士官たちに対し「そのうちに彼らは子羊のローストに舌鼓を打つはずである——ホーブロアは、その日の士官室の夕食には何としても自分を招待させるつもりだった。」と企むのです。士官室で艦長を招待することもあることが分かります。

 

一方で、その当時どうやってコーヒーを飲んだのか、艦長付きの料理人のいないホーブロアは当番水兵グライムズにこういうのです。

 

『…そのあと、朝食だ。コーヒーを飲む。』

『コーヒーですか。』・・・

『わしの樫の箱を取り出してここへもってこい。』・・・

『この中から、コーヒー豆を20粒、取り出す。それを、ふたのない広口のつぼに入れる ——つぼはコックから借りるのだ。そのあと厨房の火で豆を炒る。慎重にやれ。絶えず豆を揺り動かす。真っ黒でなく、茶色になるまで炒る。焦がすのではなく炒るのだ。わかったか?』

『はい、なんとか』

『炒り終わったら、わしからいわれたといって、軍医のところへもって行く。』

『軍医ですか? わかりました』・・・

『彼のところにヤラッパ根をすりつぶすすりこぎ木と鉢がある。そのすり鉢で豆を砕くのだ。細かく砕く。細かく砕くが、いいか、粉にするのではない。火薬の大きな粒程度にする。粉末火薬のことではないぞ。わかったか?』

『はい、わかったと思います。』

『次に——もういい、それだけやり終えたら、またわしのところへ来い。』

 

とまあ、一杯のコーヒーを飲むのに大変な手間をかけています。重量1ポンド(大体450グラム)で17シリング、つまり0.85ポンド(前の基準でいうと25,500円)という高値の代物ですからホーブロアがハラハラするのも無理のないところかもしれません。しかし、グライムズは機転の利くタイプではなくやっぱり専門のコックが必要なのですが、ホーブロアは後に優秀な召使を得ることになります。

 

食糧とは別に艦長も乗組員も区別なく頼らざるを得ないもの、それが水です。木造帆船の水は樽に入っていてすぐにひどい状態になるのですが、それでも命をつなぐのに不可欠であることに変わりはありません。艦長専用の水というのはあり得ないのです。極限状態でもしそんなものがあったら間違いなく反乱が起こるでしょう。

 

フランスのブレスト軍港を監視する役についていたホットスパーは、嵐のために水が不足し港に帰ります。水の不足というのはどれほどの量をいうのか、コーンウォリス提督の食卓でそれが話題になります。

 

…自然というには長すぎる沈黙が続いた後、コーンウォリスが一言、質問した。

『水は?』

『その方は事情が全く違っていました…入港した時は、かなり底をついていました。そのために退避したのです。』

『どのぐらいあったのだ?』

『半量で2日分です。2分の1ガロンで1週間過ごし、その前の4週間は3分の2ガロンでした。』

『ほー』コリンズがいい、一瞬にして雰囲気が変わった。

 

つまりホーブロアは水も食料もあるのに嵐が嫌になって退避したのではないかと疑われたのです。まあこの嫌疑は解けてよかったのですが、この会話で乗員1人当たり1ガロンの水が標準であることがわかります。英ガロンは1ガロンで4.55リットルに相当しますから、1日3リットルで4週間過ごし、その後2.3リットルで1週間過ごしたことになります。言うまでもなくこれは飲用ばかりでなく、料理用も髭剃り用も、洗濯用もその他も全部含めての量ですから、いかに欠乏していたかわかります。

そういった状況を「砲艦ホットスパー」ではこのように表現しているのです。

 

あらゆる用途に対し、1日2分の1ガロンの水——それも腐りかけている水——は、塩漬けの食糧にたよっている人間にとって、健康維持に必要な最低限をはるかに下回っている。それは苦痛ばかりでなく病人の発生を意味しているが、同時に、最後の一滴が飲み尽くされるのが16日先であることをも意味している。

 

それはともかく、ホーブロアは任務中にエド・ペリュー提督から手紙を受け取ります。ペリューは彼が海尉時代から目にかけていてくれた提督で、転任のためホーブロアを指揮下に置けなくなったと告げた後に次のように書いています。

 

私はきみの報告書で君が不運にも当番兵を失ったことを知り、その代わりとして、君に断りなしにジェイムズ・ダウディを送り届けることにした。彼はマグニフィセント号の故スティーヴンス艦長の当番を務めた男で…長年君の世話をしてくれることを心から願っている…

 

ホーブロアは「…自分の日常生活を嘲笑うに違いない貴人の元従僕を押し付けられたことも悪い知らせ…」だと思うのですが、どうしてどうして、早速その日の夕食に効果が表れます。唯一残っていた伊勢海老を使ってダウディは腕を振うのですが…

リンゴ酒をアペリティフに、ダウディが音もなく海図室に入ってきます。

 

『皿が熱いですから。』

『これは、いったい、なんだ?』

『いせえびのカツレツです。』リンゴ酒を注ぎながらダウディがいい、わずかに目につく程度の身ぶりで、同時にテイブルの上においた木の鉢を示した。

『バターソースです。』

信じられなかった。皿にのっているきちんと形の整った茶色のカツレツは、外見には伊勢海老とは似ても似つかないものであったが、ホーブロアが慎重にソースをつけて口に入れると、すばらしい味であった。肉をほぐした伊勢海老。そしてダウディがひび割れた野菜皿のふたを取ると夢にも似た喜びを覚えた。金色のすばらしい新ジャガイモ。急いで口に運び、もう少しで口を焼きそうになった。その年初めての新ジャガイモほど美味なものはない。

 

艦長クラスで最下級のコマンダーといえども、腕のいい召使を得るとこういったまともな食事ができるのです。因みに、艦長付書記や召使(艦長付きコックを兼ねた)、艦長用ギグの艇長(コクスン)といった一連の者たちは艦長が別の艦に移り、あるいは出世して提督になっても一緒に移動することが可能だったようです。これはおそらく貴族階級の習慣がそのまま軍艦の高級士官に残ったのだろうと思われるのですが、ボライソーシリーズを見ると特にコクスンがぴったりとボライソーに寄り添って行動することがたくさん出てきます。

 

ダウディのように腕利きの召使は、単に料理が上手というばかりではありません。艦長付当番の、いってみれば貴族の執事のような仲間うちで連絡を取り合うギルドのようなものがあったに違いありません。そして自分の主人のためにいろいろな物資(香辛料とか新鮮な野菜とか)を調達します。同じ艦内でも権威を笠に脅し、すかして手に入れることもあるでしょう。それも腕のうちです。

 

ところで、長期航海になるといくら頑張ってもまともな料理を艦長に出すことはできません。正規艦長に就任し、フリゲート艦リディヤで英国からホーン岬を回り中米の太平洋岸に達した長期航海ではどこにも寄っていませんでした。そのときの朝食です。

 

ホーンブロアは、ボルウィール(注:この艦の艦長付召使)が朝食の支度をして待っている自室へ降りた。

 『コーヒーです、艦長』とボルウィールが言った。

 『バーグ―(船乗りが食べるオートミールがゆ)です』

ホーンブロアは食卓についた。七か月の航海で、うまい物はすべて、とうになくなっていた。コーヒーというのは、焦がしたパンの煎じ汁のことで、これの取り得といえばせいぜい甘くて熱いことぐらいだ。バーグーというのは堅パンをつぶした粉と切り刻んだ塩漬けの牛肉で作ったもので、見た目には何とも言いようがないが、匂いのいいこねものだ。ホーンブロアはうわの空で食べた。左手で、堅パンをテーブルに軽く打ちつけていると、バーグ―を平らげるころには、こくぞう虫が堅パンから残らず出てしまう。

(この項のみ高橋泰邦訳)

 

艦長という、乗組員から見れば神の如き存在ならではの食事が日常ではあるのですが、戦闘時はもちろん長期航海でもみなと同じ災厄に見舞われます。おまけにほとんど空になった生活物資をどうやって補充するかはすべて艦長の責任です。長距離通信設備のない軍艦で、場合によっては外交官の役も務め、乗組員の食糧確保と健康保持、英国海軍は書類の海に浮かんでいるといわれる報告書などの書類の作成等々、その食事に見合う責任と比べて、さてどちらがいいか、これは考えどころかもしれません。

 


帆船時代の英国海軍ー海洋小説を10倍楽しく読むための雑学ー

13.帆船時代の食事(4)―提督の食卓(中編)―

提督というのは海軍の将官クラスを指す用語で、提督の指揮する軍艦の1群を「艦隊(フリート)」と呼びます。将官と勅任艦長の間のクラス(実質的には勅任艦長ですが)であるコモドア(戦隊司令官)が指揮する軍艦の1群を「戦隊(スクヮドロン)」と呼んでいて、これは軍艦の種類、隻数とは関係ありません。艦隊といえども、戦列艦数十隻という場合もあればフリゲート艦数隻という場合もあるのです。また、勅任艦長が複数の軍艦を指揮することはありません。もちろん先任艦長が優先して指揮をとることは別ですがこの場合は正式な戦隊でも艦隊でもないのです。

 

これは明確な身分制によるもので、その点どこの国の海軍でも同じだろうと思います。責任範囲が違うのですから、それなりの給与が与えられます。ホーンブロアシリーズの「海軍提督ホーンブロア」の巻に、西インド諸島方面英国艦隊司令官として赴任していたホーンブロアが、退任して後任の司令官と交代する場面が出てきます。

 

(後任の)スペンドラブが紙切れをホーンブロアの手に押し込んだ。ホーンブロアは進み出た。『命令——海軍卿の事務代行者たる海軍本部委員会より、本官、赤色艦隊海軍少将、バス勲位功一級大十字章勲爵士、ホレイショー・ホーンブロア卿に対し…』・・・それから命令書をたたみ、最後の命令を下した。『サー・トマスご苦労だが、わたしの旗を降ろしてくれたまえ。』(以下この項高橋泰邦訳)

 

こうして艦隊司令官の交代が行われるのですが、赤色旗が13発の礼砲と共に60秒かけて甲板に降ろされた瞬間「ホーンブロアは、司令官給の1か月あたり49ポンド3シリングと7ペンスだけ貧しくなった」のです。

 

提督の給与は分からないのですが、艦隊司令官になっただけで(このシリーズの以前の基準によると)1ヶ月に147万5,375円、年間にすると1770万4500円の収入になります。これはいってみれば役職給ですから、元になっている本給はこれよりもずっと多いはずです。この他に艦隊司令官には拿捕賞金の1/8が自動的に入るのですから、いかに将官が金持ちであったかわかります。

 

同じ本の中で、退任したホーンブロアは一緒に帰国するために来ていた妻のバーバラから200ポンドほしいとねだられます。もともとバーバラは貴族の出身なので金を持っていたのですが結婚によってそれはホーンブロアのものになり、当時の習慣として女性は小切手に署名しても法的には無効になってしまうのです。この金は些細なことで命令違反となった軍楽隊の天才的なトランぺッター、ハドナットをバーバラが非常手段で救うための費用だったのですが、妻を信用しているホーンブロアはすぐに小切手を切ります。200ポンドは先ほどの基準でいえば600万円で、海軍の提督は容易にそういった金を出せるほどの資産家であったことが分かります。

 

こういったことを頭に入れて、提督がどんな食事をしていたか、特に艦隊の責任者を集めて会食するときにどのように贅を尽くしたかを見てみましょう。もっとも、提督といえども何か月も海上にあって不便を強いられているのですが、海峡艦隊はフランスの軍艦が出てこないように監視、撃滅するのが役割ですから、距離の近い本国からの補給に頼ることができました。ホーンブロアシリーズの「砲艦ホットスパー」ではコマンダー(海尉艦長)だったホーンブロアが海峡艦隊の旗艦、二層甲板艦トナントでの会食に参加します。

 

旗艦トナントはもともとフランスが作った二層甲板戦列艦で、英国の二層甲板艦を規模で圧倒しようとした大型の船です。それが希望に反して英国に拿捕され海峡艦隊の旗艦となっているのは皮肉なものですが、狭いブリッグ艦から来たホーンブロアから見ると「その甲板は信じられないぐらいに広く見えた」のです。天井までの高さが6フィートもあるこの船の艦尾楼で旗艦艦長であり昔なじみのペリューに迎えられ、これもよく知っているコーンウォリス提督と握手します。この集会に参加したのは歴戦の艦長連で、若手は就任して3年以内なので右肩だけに肩章を付けている正規艦長とコマンダーであるホーンブロアだけです。

 

食事前に通された部屋は「…ダマスコ織と思われる高価な布地で仕上げられており…揺れている銀のランプをきらめかせ…立派な革製のものをまじえた書物が並んでいる棚があった(以下食事の項は菊池光訳)」という豪華なものです。ただ、この部屋といえども戦闘時には砲列甲板になるのですべての隔壁や調度は取外して船倉に仕舞わなければなりません。「『これでは戦闘準備をするのに、五分は十分にかかるだろうな、エドワード卿』コーンウォリスがいった。『ストップウォッチによると』ペリューが答えた。『隔壁を含めて一切を下にしまうのに四分十秒ですみます』」つまりそれほど戦闘準備の訓練が行われているということですが、絨毯類やガラス器具の多い棚をどうやって5分以内で船倉まで降ろしたのか驚きです。

 

やがて食事にしましょうとペリュー艦長がいって…「艦の縦方向に取りつけられた隔壁のドアが開かれると、中はダイニング・ルームになっていた」と書かれています。つまり艦尾楼の幅が大変広くて、例えば左舷側に食事を待つための部屋があり、右舷側には食堂があるということを示しています。通常戦列艦でもダイニング・ルームは艦の横方向に隔壁が取り付けられていますから、この旗艦がいかに大きいかが分かります。

 

一番大きい皿が彼の前に置かれ、巨大な銀の皿おおいがサッと取り払われると、見事なパイが現れた。パイ皮が城の形に築き上げられ、その小塔に紙のイギリス国旗が立っている。『これはすばらしい!』コーンウォリスが声をあげた。『エドワード卿、この本丸の下に何が入っているのだ?』ペリューはもの悲しげに首を振った。『たんにビーフとキドニー(腎臓)だけなのです。』

 

ペリューは本艦に割り当てられた牛の肉が固いのでバラバラになるまで煮て、腎臓を利用してステーキとパイにしたと説明します。

 

パンに使われた小麦粉は袋が艦底の汚水に汚され、やっと上辺だけを助けたので数が少ないことをペリューは弁明し、ホウザー艦長の横にあるのは「『…ポークのシチューなのだ、少なくともわたしのコックがそう呼んでいるものだ。普通のものよりも塩辛いとしたらその中に流したコックの涙のせいだ。』」何故かというと艦隊で唯一生きている豚を持っている艦長が黄金を山と積んでも手放す気はなかったので「哀れなコックは塩漬けの豚肉で間に合わせるほかはなかった…」とペリューはいうのです。

 

この他に本国から補給されたばかりの新鮮野菜、カリフラワーやニンジンに一同が感激したり、ペリューに勧められて下級士官のホーンブロアは「コックが特に自慢している特別料理」である塩漬けの豚肉を使った料理をポテト・ピューレと併せて食べます。「…中に黒っぽい片鱗が入っていた。この上なく美味な料理であることは一点の疑いもなかった。ホーンブロアはありったけの知識であれこれ考えた結果、その黒い薄片は、話に聞いたことはあるが一度も賞味したことのないフランスしょうろに違いない、と結論した。」

 

この「フランスしょうろ」とはトリュフのことで、当時でもフランス、スペイン、イタリーにしか生産されなかったはずです。つまり密輸に頼っていたわけで、後で出てくるブランデーなどと共に軍隊といえども美味な材料の多くを密輸に頼っていたことが何とも皮肉ですが、同時に相当に高価な材料であったことも事実でしょう。また一緒に食べたポテト・ピューレは「艦上でも港の安食堂ででも、一度も食べたことのないすばらしい味であった。控えめながら完璧な味付けで、天使がマッシュポテトを食べる場合があるとすれば必ずやペリューのコックに作らせたに違いない。」

 

ペリューの言葉で、ホーンブロアは今の料理が「ガランティン」というのだと知るのですが、「…ポークシチュウが回ってきたので、給仕が間髪を入れずに取り換えてくれた皿にたっぷりととった。この世のものとは思えない味のソースにつかっているすばらしい玉ねぎを心ゆくまで賞味した。」

 

やがて「魔法のようにテイブルの上が片付けられて新しい皿が並び、大小の干しぶどうと二色のジェリイで作られたプディングが供された。」というのですが、「このすばらしいゼラチンを作るのに例の牛の足を煮たり濾したり、たいへんな手間がかけられたているのにちがいない」とあります。今と違って乾燥ゼラチンなどない時代ですから、一般家庭やレストランといえども牛骨などからゼラチンを取っていたのだろうと思います。ただ軍艦の場合はその骨そのものが少ないので、コックは大変な苦労をしたに違いありません。

 

最後に出た「ゆでまんじゅう」とはよく分からないのですが、ペリューは「そのゆでまんじゅうに使う小麦粉がなかったのです」と弁明し、そこで「厨房の連中がビスケットを砕いて出来るだけのことを」したのだといいます。そのできるだけのこと、というのは「およそ考えられるかぎり完璧に近く、果物の豊かな味を最高に生かすしょうがのかおりがかすかにまじっている甘いソースがかかっていた。」といいますから、ニョッキかすいとんのような状態のものだったのでしょう。

 

もう一度テイブルが片付けられ、ホーンブロアは給仕からそっとささやかれます。「カーフリィはいかがですか? それともウェンズリデイル? あるいはレッド・チェシャ?」つまり食後のチーズの名前です。間もなくホーンブロアはウェンズリデイルと上等なポートワインの組み合わせが「栄光に満ちた行進の最高潮の場面で意気揚々と馬にまたがっている天の双子、カストルとボルクスのような至上の組み合わせであるという、画期的な発見…」をしたのです。

 

こういったチーズ類もおそらくフランスからの密輸でしょう。英国は今でも牛乳の生産量はかなりあるのですが、チーズやバターの乳製品の生産量は少なく、多くを牛乳で消費します。その点から見てもチーズの多くはフランスかオランダからの密輸だと思われます。

 

この会食の終わりにフィンガーボールが出ます。これが彫刻入りの銀製品で、もちろん手指を湿らせるだけのものですが、豪華な入れ物ではありながら「器の中にレモンの皮が一片浮かんではいるが、そのレモンの皮が浮かんでいる水はたんなる海水であるのを、ホーンブロアは唇を軽く濡らしながらそっと味わって発見した。なにか心が温まるような事実であった。」と書いてあります。やっぱり軍艦である証拠を発見したのでしょう。

 

こういった会食の最後には、長年の伝統によって最下級士官が国王陛下への乾杯の音頭を取らなければなりません。ホーンブロアは提督の鋭い視線の下に至福の時間からはっと覚めて、一同の注意を集めてその役割を果たします。こういった経緯でおえら方の会食が終わるのですが、陰の主役、つまりお抱えのコックが会食には大きな役割を果たします。前回でも触れたのですがペリュー艦長もコックを「平和時に彼を雇って開戦になったので連れてきたのです」と説明しています。しかし「戦闘部署は下甲板右舷の砲手です。」といっていますからコックが専門ではなかったようです。

 

ここででた鶏の料理が美味で、どうやって鶏を太らせるのだと質問が出ます。コックの秘密なのだがと断って、実は「この艦には六百五十人の兵員がいます。五十ポンド入りのパン袋が十三個からになります。秘密はその袋の扱い方にあるのです。」という説明です。実際には「中身をあける前に、袋を叩き、ゆする、割れがでないように加減をしながら、強く叩く、そして、中のビスケットを素早く取り出すと、驚くなかれ! びっくりしてふだんの住まいから逃げ出したまま、べつの住まいを探すひまのないゾウムシやウジムシが袋の底にいっぱいいる。紳士諸賢、ビスケットを食べて栄養満点のゾウムシくらい鶏を太らせるものはないのだ…」とペリューはいうのですが、これも軍艦ならではの話といえましょう。

 

これまでで気がつかれたと思うのですが、豪華な食事の中で材料はすべて牛肉、豚肉、鶏肉と乳製品、それに生鮮野菜です。魚類は一切使われていません。ただし魚類ではありませんが伊勢海老だけは別です。前回で述べたように水兵は同じ海の生物である魚に対して偏見を持っているといわれているのですが、提督の食卓にも魚が出てくることは、少なくとも私の読んだ海洋小説に関する限りありません。英国海軍全体に偏見があったのかもしれません。

 

もう一つ、あまり目立たないのですがこれらの料理に使われた香辛料はかなりの種類があったと思われます。上のトリュフなども、どちらかというと食材というより香辛料に近い存在です。前回でご紹介したホーンブロアの新しいコック、ジェイムズ・ダウディはこの会食の時に密かにコック仲間に頼んで提督の(内密の)許しを得て旗艦から香辛料を手に入れています。

 

ダウディがどんなものを手に入れたか、ホーンブロアに強要されて「これがスイートオイル、つまりオリーブ油です。これが乾燥した香料植物です。マヨナラ、タイム、セージ、そしてこれがコーヒーです——見たところ半ポンドしかありません。これがこしょう。それに酢と、これが…」と白状します。「艦長がこういう物を備えておられないのを、黙ってみているわけにはいきません。」というのがコックとしての彼の弁明です。

 

料理人にとって香辛料はなくてはならないものでしょう。もちろん、これらは遠い太平洋の南国からの輸入品で、おそらく東インド会社の交易船からもたらされたもので、庶民からみれば恐ろしく高価なものだったことも知っておく必要があります。

 

 

 


帆船時代の英国海軍ー海洋小説を10倍楽しく読むための雑学ー

14.帆船時代の食事(5)―提督の食卓(後編)―

 提督の給料は分からないが…と前回書いたのですが、それが分かりました。「海軍将校リチャード・デランシー物語り」第6巻の「インド洋の落日」の表紙のカバー裏に資料があったのです。この海洋小説はC.N.パーキンソンの著作で、出光宏さんが翻訳し、この資料も調査して掲載しています。「1806年イギリス海軍の階級と月給」という資料で、以前にお見せしたフォックスシリーズの資料と併せて別途にその表をお見せします。

この新しい資料によると提督クラスの月給は、£1=3万円として

  艦隊司令官 £140 (420万円)

  海軍大将 £ 98 (294万円)

  海軍中将 £ 70 (210万円)

  海軍少将 £ 49 (147万円)

となります。前回艦隊司令官としての役職給が49ポンド程だと解説したのですが、これを差し引くと海軍大将の給与98ポンドにほぼ匹敵します。したがって提督クラスの月給は19世紀当時150万円から300万円ほどだったと推定されるのです。2つの資料で見ると勅任艦長は大体50万円から100万円ですから、この提督の給料はまあ妥当なところでしょう。

 

前回お話したホーンブロアの妻バーバラがねだった£200(600万円)は、当時の海軍少将(最高位の赤色艦隊少将ではあるにしても)の月給のほぼ4か月分に相当しますから、相当の高額であることは間違いありません。ホーンブロアはほかにも収入(名誉海兵隊大佐)があったりしたので、妻の願いをすぐに叶えることはできています。

 

それはともかく、提督ともなると艦隊以外の付き合いが多くなるのは当然で、いろいろな利権をめぐって提督をもてなそうとする者も多いのです。現代と違ってこの時代ではこれは一種の社会儀礼のようなもので、もてなす方もできる限りの贅を尽くすことになります。その一例が「海軍提督ホーンブロア」の巻に出てきます。

 

西インド諸島方面の英国海隊司令官であるホーンブロアはジャマイカ島のキングストンで妻のバーバラからの手紙を受け取ります。「まもなくそちらへお客様が着きます。ミスター・チャールズ・ラムズボトルという百万長者で海軍の老朽艦をヨット用に購入し、それを<アバイダスの花嫁号>と命名し、それに乗って西インド諸島を訪問する意向です…」(以下「 」は高津幸枝訳)。ラムズボトルは陸軍御用被服請負業者で、父親の跡を継いだ若者だと紹介します。その上「もし私が世界でいちばん拒みがたい男性と結婚していなかったなら、この方の接し方は拒みがたく思ったかもしれません…」とかなり魅力的な男だと推薦しています。

 

海軍の老朽艦というのは着いてみるとブリッグ型のスループ艦で、乗組員はほとんど水兵上がりでホーンブロアが知っている者も多かったのです。ここでいうヨットとは軍艦でも商船でもない私用の船を指すのですが、ラムズボトルの本当の目的は一族の出身地である西インド諸島の反乱(スペインへの)に参加することにあるのですが、ここではそれに触れません。

 

ラムズボトルの船の正餐に招待されたのはジャマイカ総督とホーンブロアを含む6人で、そのうちの一人が「食事の方も儀礼に見合うものになりそうですか?」というと、「きのう、ラムズボトルの事務長が氷を2トン買いましたよ。」と一方が答えます。この小説の時代は1821年ですから、日本でいえば徳川末期、伊能忠敬が亡くなってはいたのですが、後継者によって日本全図が幕府に献上されています。そんな時代に西インド諸島で氷が手に入るのかというと、「氷はニューイングランドから高速スクーナーで運ばれてくる。冬の間に切り出されて地中深く貯蔵され、おが屑の梱包で熱を遮断してカリブ海へ急送される」のだそうです。

 

夏の氷ですから当然高くつくわけで「ポンド当たり6ペンスというところが相場」だと書かれています。つまり453gで¥750ということになり、この計算で2トンの氷を買うと331万円になります。いかにラムズボトルが金持ちかということですが、氷の流通は日本でもあったようで、2021年2月18日付の朝日新聞の朝刊“天声人語”にも “幕末の日本で暮らした欧米人士が困ったのは、氷が手に入らぬことだった・・・はるばる米国から『ボストン氷』が運び込まれた。『氷なら国内にもある』と気づいたのは中川嘉兵衛という商人。・・・試行錯誤の末、函館の五稜郭の氷を切り出し、東京へ海上輸送する・・・『函館氷』はたちまちボストン氷を駆逐した。” とあります。

 

幕末の欧米人が困ったのは大体1850年代ですから、その30年以上も前に大西洋で氷が流通していたことになります。しかし、ホーンボロアは氷よりも水兵が動かしているクランクに興味を惹かれます。これは後になって分かるのですが、キャビンに風を送る一対の風車、まあ扇風機の動力だったわけで、ラムズボトルはそんなところにも細かい心使いをしています。

 

食道楽のフーバー総督は「・・ただのヨットとあっては馳走を期待してはおらんよ」と乗り気ではなかったのですが、席に着くと「すぐさま給仕が現れて一座にシェリー酒のグラスを回した。『ほーっ、これはいける!』総督が用心深く一口試してから感嘆の声を発した。『例のオロローソと訳が違う、例の甘口で色の濃いねとねとシェリーとはわけが違う。』」。総督は王室の血を引くといわれる食道楽家ですが、ホーンボロアにとってもこれは大変な美酒だったようです。

 

「招待主のいんぎんな指示に従って食卓に着席した一同は、正餐の給仕を待った。たっぷりした大皿が二枚、その上に、さらにたっぷり割り氷を大盛りにした皿が載っている。その内側の皿に何か灰色の粒状の物が盛ってある。『キャビア!』と、総督閣下が感嘆の声を発して、びっくり目で見つめたあと、遠慮なく自分で取り分けた。『お口に合うとよろしいのですが』とラムズボトルが言った。『ここにあるウオッカを合わせてご賞味ください。ロシア皇帝の食膳に出されるものと同じものです。』」1812年、リガ防衛戦の最中にホーンボロアはこの珍味を経験していますが、またこの熱帯で経験するとは。

 

次の料理は土地の名産トビウオで、ラムズボトルは土地の料理で、と謙遜するのですが、添えて出されたちょっぴりマスタードの利いたソースに、総督は「あなたのシェフ・ド・キジン(司厨長)は天才的な男に違いない。」と褒めます。そのときの酒は総督がホック(ドイツ産の白ぶどう酒)、ホーンボロアはシャンパンを選びます。「あの大昔の美食家たちも—ネロにせよ、ピテリウスにせよ、ルクルスにせよ—シャンパンでトビウオを味わうよろこびは、ついに知らなかったのだ。」とホーンボロアは内心微笑んだことでしょう。

 

西インド諸島の様々な情勢を話題にしながら、「メインコースが食卓に着いたところだった。ラムズボトルの指す料理のほかに、ローストチキンと豚の足が一本。指さされた皿の中身は一面に落とし卵をかぶせて隠してある。」正餐のこの段階では本来もっと腹ごたえのある焼肉でも出るのではと総督は思ったようです。「『まあ召し上がってください、閣下。』と、ラムズボトルはなだめるように薦めた・・・『なかなかいい味だ。何かね。』『貯蔵ビーフのシチューです・・・』」

 

この貯蔵ビーフというのがここの肝で、「とにかく斬新なものだ。ホーンブロアがこれまで味わったことのあるどんな料理とも違っていた—この二十年間、食べ続けてきた塩水の貯蔵ビーフなどとは似ても似つかないものだ。」つまり同じビーフでも樽に入れた塩漬け肉ではないということになります。当然、どうやって貯蔵したのかが問題になるわけで、ホーンブロアは「珍味ですな。貯蔵法は?」と質問します。

 

「ラムズボトルが待っている給仕へ身ぶりすると、給仕が鉄製らしい四角な箱を食卓に置いた。ホーンブロアが片手で持つとずっしり重かった。『ガラスでもうまく行きますが』とラムズボトルが説明して、『ただしガラスだと船上では不便です』給仕が鉄の箱に大きなナイフを使っている。まず切り開き、蓋をこじ開けて、検分に供した。

 

『ブリキの箱に高温で密封したものです』とラムズボトルが続けて、『ぜひお薦めしたいのですが、この新しい方法を採り入れれば、船の食糧貯蔵法に大きな変革が起こるでしょうね。このビーフは箱から出して冷たいままでも食べられますし、ここにお出ししたように“はやし肉”料理にもできます』

 

そう、ラムズボトルの秘密は缶詰にありました。調べてみるとナポレオンの懸賞に応えて1804年にフランスのニコラ・アペールがびん詰を発明し、1810年にはイギリスのピーター・デュランドがブリキ缶詰を発明しています。いろいろ問題があったようですが、英国のブライアン・ドンキンが缶詰工場を作り、1813年にはすでに海軍に製品を納入しています。したがってこの小説の時代(1821年)には缶詰が存在していたわけで、著者、C.S.フォレスターは少し発明の年代をずらしたのでしょう。

 

余談ですが、初期の缶詰は蓋のハンダを火であぶって熔かして開けていたようです。もちろんナイフで切り開けてもいたと思いますが、ハンダの鉛中毒や、殺菌不良による爆発など缶詰には多くの問題があったようです。缶切りが発明されたのが1858年のアメリカ人だったそうで意外に時間がかかっています。それまではあまり缶詰は一般的に使用されていなかったと思われます。

 

こういった贅を尽くした食事に欠かせないのが酒です。水兵クラス(准士官を含めて)と士官クラスを別ける一番の象徴が酒類でしょう。支給という形で強制される水兵クラスの酒は、ビール、下級の白・赤ブドウ酒、ラム酒を水で割ったグロッグなどが一般的で、古参水兵は生のラム酒を好みます。長い年月それで慣らされているので、ウイスキーなどの高級酒よりもラム酒を好きになるのです。ボライソーの長年の友人ともいえる提督付コックスンのオールデーなどは、ウイスキーを飲むことも自由にできるのにやっぱりラム酒を好んで飲んでいます。

 

士官クラス、特に艦長や提督クラスになると酒の種類が違います。上のようなシェリー酒といった食前酒に始まって高級なビールやぶどう酒、例えばシャンパン、マディラ酒、ポートワイン、フランス産の赤白ワイン、ドイツ産の白ワイン(ホック)など、ウイスキー、強い酒としてはウオッカ等々ヨーロッパ中から集めた酒を用意しています。これらは戦時中にもかかわらず手に入るのですから、交易ばかりでなく密輸、敵船の拿捕などで調達されたと思われます。こういった高級な酒は高級士官のコックなどによって船のホールド(船艙)に仕舞われているのです。

 

ちょっと寄り道をして、二層甲板戦列艦デューク・ウイリアムの甲板の様子を見てみましょう。「海の覇者トマス・キッド」シリーズの第1巻「風雲の出帆」に強制徴募されたばかりのキッドに古参水兵のボウヤーが甲板で説明しているところが出ています。

 

しばらくボウヤーはただずんでいたが、やがて昇降はしごに寄ってゆくと、下をのぞき下ろした。『この下にもう二つ砲列甲板がある。そして喫水線だ。』『じゃあ、おれたちがいた主計長の部屋はどこに?』『ああ、喫水線の下に甲板がないとは言わなかったぞ』とボウヤーが答えた。『実はな、おれのおんぼろガレオンさんよ、下層砲列甲板の下には最下層甲板(オーロップ)があるんだ。あんたが最初にいたのはそこだったんだ。』

ボウヤーは指の関節を鳴らして、『おもしろいところだぜ、オーロップは。一番艦首寄りには掌帆長と船匠(だいく)がいる。それぞれ自分の船室と倉庫を持っているんだ。その後ろ側が船医、主計長、そして二人の倉庫—それから忘れちゃいけない、士官候補生の部屋だ。』ボウヤーは下を見下ろしながら、まるで甲板が透けて見えるかのように、『真ん中の部分には錨索がとぐろを巻いて納められている。その艦尾側は弾薬庫だ。真っ暗な奇怪なところだ。』…。

『あと下に残っているのは船艙だけだ。だけどホールドのことなら、あんた、すっかり知っているんだろう—強制徴募兵は出航前、あそこに入れられているんだからな。あそこには水と食料が全部貯蔵されている。そして戦闘準備となったら、備品はぜんぶあの下へ降ろされる。』ばしっとボウヤーはキッドの肩を叩いた。『これで甲板はみんなわかったわけだ。じゃ、お訪ねしてみるとしようか!』  

(大森洋子訳)

 

つまり、ホールド(船艙)は喫水線よりも下にある最下層甲板(オーロップデッキ)よりももっと下にあって、この艦が建造され、進水して以来陽の目を見ることがないことはもちろん、海面下にずっとさらされているので、海水よりも温度は上がりません。熱帯といえども水線下数メートルもあると、温度は20℃台まででしょうから、ここに貯蔵されればワインでも飲むときにひんやり感じるのです。

 

因みに、ホールド(船艙)はデッキ(甲板)ではありません。キールがむき出しの船の底で、一番下にはバラストという石が敷き詰められ、その上に塩漬肉の樽や水樽が積み重なっています。艦尾側には戦闘準備で士官室や艦長室の隔壁や備品が運び込まれるスペースがあり、また艦長や提督のコックが管理する食糧や酒の倉庫があるというわけです。ついでに言うと、船艙の上のオーロップデッキは砲列甲板の下にあるので戦闘時にも掌帆長たちの部屋はそのままで、士官候補生の部屋が負傷者の手術室になります。

 

こうした陰気な場所であるホールドですが、提督になったボライソーの長年のコック兼召使いであるオザードにとっては「わが城」でした。ボライソーシリーズの第17巻「栄光の艦隊決戦」に「…オザードが一同のグラスを満たすと、ボライソーは『勝利を祝して乾杯』と言った。グラスポートが太い脚を突き出し、唇を舐めた。『上等なクラレットですね、サー・リチャード』(以下高橋泰邦訳)」という場面が出てきます。クラレットというのは当時のボルドー産の赤ワインで、オザードが大事にホールドに仕舞ってあったものです。

 

旗艦である戦列艦ハイペリオンが戦いに勝利しながら大きな損害を受けて沈没に瀕した時「片脇にまたオールデーが現れた。オザードを連れてきている。『まだホールドにいたんすよ、サー・リチャード』オールデーはにっと作り笑いをした。『戦いが終わったのも知らねえんだから、後生楽なこった!』―下で見つけたとき、オザードはホールドの昇降梯子にちょんとかけて、ボライソーの立派な贈呈剣をしっかりと胸に抱え込み、じわじわと忍び寄ってくる浸水の黒い水面に最後のカンテラの光が照り返すのをじっと眺めていた。その場から離れるつもりなどなかったのだが、オールデーは何一つ口にしなかった。」

 

オザードは戦闘時には用がありませんから、この提督用倉庫であるホールドにいます。喫水線下深くにあるここは船が浮いている限り損害を被ることもなく安全な場所なのですが、自分の管理下にあるボライソー用の食糧や酒類がみすみすそのまま沈んでゆくのを見ると自分の責任であるかのように感じて船と一緒に、いやこういったものと一緒に自分も沈もうと思ったのでしょう。提督の食卓はこういった人たちによっても支えられていたのです。

 

 

 


帆船時代の英国海軍ー海洋小説を10倍楽しく読むための雑学ー

15.間奏曲―食事のあと始末―

 このシリーズを書いているといろいろな方から声をかけられます。

 「食卓が続いたんだから、今度はそのあと始末だよね。」

という声もあったのです。その人は当然のようにおっしゃるのですが、海洋小説でそういった“しも”の話は、まあ出てきません。もっとも、日常生活に欠かせない、そのような問題をどうやって解決していたのだろうと、興味を持つのも分からなくはありません。そこで、今回は小説の中の話というのではなく、事実と推測を少し、このシリーズの間奏曲として書くことにしました。

 

この話には大前提があります。まずは帆船時代の軍艦に「女は乗せない」のです。第1回で「ワイブズ」のお話をしましたが、これは港にいるときの話で、いざ出港するとなれば「ワイブズを追い出せ!」と、当然ながら厳命が出ます。したがって、ほんの例外的な(貴族の女性を命令によってどこかに送り届けるような)場合を除いて軍艦で女性に気を使う必要はありません。

 

もう1つの前提は乗組員の人数です。一番小さなスループ艦でも数十人、フリゲート艦なら百人単位、戦列艦なら数百人から千人にもなります。例えば第3等級戦列艦(74門艦程度)で500人の乗組員がいるとします。人が1日に5回小便をするとしましょう。一物を取り出し、終わってから仕舞うまで1回に最低1分かかるとすると2,500分が全員に必要な時間です。これは41時間40分ですからトイレが1個なら使用率は174%になります。

 

つまりトイレ2個でもほとんど一日中、昼も夜もトイレの前に人が数人並んで待つという状態を意味しています。しかもこの計算は人の尿意が平均化しているという条件で、ある時間には集中するとなると混乱が生じることは目に見えています。つまり小便だけで考えても大型艦で4つや5つのトイレではとても足りそうにありません。

 

では、軍艦のトイレはどこにあるのか。まず艦長ですが、これは艦尾楼の張り出し部分(右舷側)が艦長用のトイレです。もちろん水洗式というわけにはいかないので、そのまま海に落とすために張り出し部分にあります。これは毎日艦長付きの召使が掃除をします。ついでにいえば、風呂(湯舟ではなく桶に水を入れて体を流すぐらい)も同じです。次に士官ですが、これは同じ艦尾楼の片側(左舷側)にあったようです。その構造は艦長用と同じでしょう。そういった様子を『輪切り図鑑 大帆船』で見てみましょう。  

 


艦長用のトイレを召使いが洗っている様子
艦長用のトイレを召使いが洗っている様子
士官用のトイレ使用中の様子(『輪切り図鑑 大帆船』より)
士官用のトイレ使用中の様子(『輪切り図鑑 大帆船』より)

 

上が艦長用のトイレを召使いが洗っている様子、下が士官用のトイレ使用中の図です。いずれも右舷、左舷に分かれています。船では長い間右舷側が上位と考えられていて、例えば、明治丸の天皇用寝室は右舷側にあります。艦長と士官もこれに沿っているのでしょう。この図鑑はスティーヴン・ビースティが絵を描いて、リチャード・ブラットが文を書いています。トラファルガー海戦に参加した3層甲板艦がモデルで、かなり精密に描かれていて、かなり信用できそうです。

 


ヴィクトリーの囲いのあるトイレ(筆者撮影)
ヴィクトリーの囲いのあるトイレ(筆者撮影)

 

また准士官や士官候補生は、艦首部に囲いのあるトイレがありました。第1等級戦列艦であるヴィクトリーの、囲いのあるトイレを右にお見せしましょう。見ての通り何段か階段を上がって用を足すようになっています。これはおそらく左右両舷にあったと思われますが、一等級艦で准士官や士官候補生下士官クラスならせいぜい20~30人、多くても50人以下でしょうから、あまり痛痒を感じなかったはずで、十分に体面を保つことができたでしょう。 

 

さて、一般水兵のトイレですが、これは艦首部の船体先端とバウスプリットを囲む格子のある部分に設けられています。もちろん囲いはなく露天です。同じヴィクトリーのトイレをご覧に入れると、左下が実際にヴィクトリーに行ったときに私が撮った写真で、右下は亡くなったザ・ロープの重鎮、白井一信さんが作った精密な1/48の模型です。ちょっと見にくいのですが、巻いたロープの左側に同じトイレが見えます。なにしろこんな文章を書く羽目になろうとは思ってもいなかったので、ちゃんと露天トイレを撮っていないのですが、私の記憶ではこの対になったトイレが3個ばかり、両舷で6個はあったと思います。 

 


ヴィクトリーのトイレ(筆者撮影)
ヴィクトリーのトイレ(筆者撮影)
白井一信さんが作ったヴィクトリーの精密な1/48の模型のトイレ
白井一信さんが作ったヴィクトリーの精密な1/48の模型のトイレ

 

辞書を引くとheadには「(船の)トイレ」という項目があります。それはご覧のように水兵用のトイレが艦首部にあったからで、今でも軍艦のトイレは「ヘッズ」と複数で呼ばれているようで、この時代の名残でしょう。しかし、よく見るとこの露天トイレはまん丸のかなり小さな穴が2つあるだけです。大の大人が2人並んで座れる余地はありません。多分背中合わせに座ったのだろうと思われます。『輪切り図鑑』で見ると、下図のように座っていて、やや左奥の部分は絵では壁を外していますが、壁で囲われた准士官などが使うトイレです。位置はやはりヘッドにあってそのまま下に落とせる構造です。

 

水兵用のトイレと左奥の准士官のトイレ(『輪切り図鑑 大帆船』より)
水兵用のトイレと左奥の准士官のトイレ(『輪切り図鑑 大帆船』より)

 

こうして見るとどうもこれらのトイレは大便用のものだったとしか思えません。そこで思い出したのですが、昔むかし、なにかの本でドイツに留学した日本人が、欧州人は大は大、小は小と分けて出すのだと聞いたというのです。彼はびっくりしてわれわれは大小一緒に出すのだというと、今度は友達の方がびっくりしてほんとかといって、何しろ学生のことですから、みんなが寄ってたかって大小一緒に出す実験を見たというのです。真偽のほどは分かりません。しかし、当時の露天トイレはみんなこの形式で、大小を一緒に出すには不便でこの説が本当のような気もします。

 

このようなことは、あまり深入りしたくないのですが、上のような事情を推測すると、当時の水兵たちはほとんどの場合、小便は舷側からしたのだろうと思われます。ヘッドの風下舷が常用のトイレだったのでしょう。ヘッドは他の部分からは壁で隔絶されていて、まあ見ることはあまりできないので、遠慮せずに用を足せたでしょう。また、この風下舷というのが重要で、もし風上舷ですれば本人はもちろん周囲にもホースの水をまき散らすことになるからです。船酔いの場合も同様で、「この野郎、風下舷で吐け!」とおか者がよく怒鳴られたといいます。

 

航海中の軍艦は常に艦首に波がかかります。ちょっと荒れれば少々の汚れは海が洗ってくれるでしょう。数百人の水兵がヘッドに集中しても何とかやっていけたのはこれが幸いしたのではないかと思います。しかし、波の穏やかな時や、碇泊中は別で、汚い艦首をそのままにしておくわけにはいきません。

 

特に停泊中は連絡や高級士官の出入りがあって、艦首や艦尾の下を通るボートなどが多いのです。並みいる軍艦の中で、その威厳を保つためにも常に船体を綺麗にしておくのが当然で、おそらくそのために動員されたのが少年水兵だったでしょう。何も記録はないのですが、碇泊中といえども生理的な要求が絶えることはないのですから、汚れ仕事はいつもこの少年水兵に任され、少しでも怠ればたちまち怒られたのは目に見えています。軍艦の威厳はいつも目に見えない者で支えられていたのです。

 

余計なことながら、現代の大型客船は客室の大部分が喫水線上にあるのと、逆浸透圧法による海水の淡水化が発達して十分な量の水が使えるうえ、海水と直結していないので、シャワーはもとより、水洗トイレが配管によって地上と同様に維持されています。しかし少し昔の小型船で客室が喫水線に近いかそれ以下の場合、トイレは圧力をかけて排出しなければなりません。

 

1つの例ですが、31年も前の1990年6月3日、横浜帆船模型同好会とザ・ロープの古い会員であった故鈴木雄介さんが、還暦祝いと称して多くの仲間をシーボニアにあった、帆船シナーラに招待してくれたことがあります。その様子を宮島俊夫さんが絵にしているのですが、上のようにこの船のトイレは「…使用後蓋を閉めてレバーを7,8回上下し、少しおいて再び7,8回上下する。」と説明書にあります。宮島さんは絵の中で「後始末も楽じゃない」と嘆いているのです。

  (2021年5月15日)

 



帆船時代の英国海軍ー海洋小説を10倍楽しく読むための雑学ー

16.指揮権と指揮系統、そして責任(前編) —指揮権の委譲—

 

 

 

 

グレート・ブリテン及びアイルランドの海軍卿事務代行者たる海軍委員会より、国王陛下の海軍艦長ホレイショ・ホーンブロアに対し以下のごとく下命する。貴官はここに・・・

 

・・・ここに貴官は直ちに乗艦して指揮をとり、艦長の職務を果たすべきを命ず。当該カッター艦の士官及び乗組員全員をして、全員一致して、あるいは個別に、同艦々長たる貴官に対する正当なる尊敬と服従をもって行動せしむるよう、厳正なる指揮と職務の遂行こそ肝要なり・・・危機に際しては、適切にこれに対応し、貴官及び部下の一人たりとも、過誤を冒すべからず・・・

 

若い海軍軍人ならだれでもが渇望する一艦の艦長として指揮を執るには、まず乗組員全員の前で任命書を読み上げなければなりません。その内容のおおよそが上の通りなのですが、上段はホーンブロア・シリーズの第4回『トルコ沖の砲煙』で、ホーンブロアがシップ型スループ艦アトロポスの艦長に就任した時、後段はラミジ艦長シリーズの第1巻『イタリアの海』で、ラミジがカッター型スループ艦カスリンの艦長を命じられたときに読み上げた任命書です(上は高橋泰邦訳、下は山形欣哉/田中航訳)。

 

全文は分からないのですが、おそらく任命書はいつも同じ内容だったと思われます。まず艦長は「海軍委員会」から任命されること、またこの艦の運用にあたって絶対的な権限が与えられていること、更に艦長も部下も問題を起こせば容赦なく軍法会議で罪を問われることが間接的に示されています。具体的にいえば、戦闘で負けたら軍法会議にかかるのは間違いない、ということです。

 

こうして任命された「神の如き艦長」は「軍法会議―あるいは国会の法令—をおいて何者も剝奪することのできない身分である(高橋泰邦訳)」ということになります。また任命書に「直ちに乗艦して指揮を執り」といっているように、この時ホーンブロアもラミジもその艦の「指揮権」を握ったことになるのです。軍隊での指揮権とは絶対的なもので、この制度がなかったらそもそも軍隊が成り立ちません。具体的にいうと、命令する指揮官がいて、その命令を確実に実行するのが乗組員ということです。その意味で、一艦の艦長は「ポスト・キャプテン(勅任艦長)」や「コマンダー(海尉艦長)」というより、軍制上はその艦の「指揮官(OIC=Officer in Command)」といった方がぴったりします。

 

そのために、何らかの形でこの権限を変えようとすると大きな問題が起こるのです。当時の軍艦で一番重い罪は「反乱」ですが、「抗命」つまり命令違反や上官に対する反抗も指揮権に対する重大な犯罪として罪に問われ、確定すればほとんど死罪です。艦長といえども生身の人間ですから、戦闘で死んだり、病気で退職したりします。こういった場合ははっきりしているので、次席の者か任命者に指揮権が移譲されるので問題は起きません。

 

そうでない場合、つまり現状の指揮官が任務に耐えられそうもないような状態になったときの指揮権の委譲は、極めて微妙な問題を起こします。ホーンブロア・シリーズの第2巻「スペイン要塞を撃滅せよ」がその好例です。戦列艦レナウンのソーヤー艦長は、小心者で大変猜疑心が強く、士官同士が語らって自分に背くのではないかと疑い、常に部下の士官たちに監視の目を注いでいます。気に入らなければ、落ち度もないのに昼夜の当直を命じたり、1時間ごとに報告に来いと強制したりします。

 

そのソーヤー艦長があるとき昇降階段から落ちて重傷を負います。任務遂行中の軍艦ですから、指揮官なくては運営できません。明らかに能力がないならば副長(一等海尉)のバックランドが艦長の代役を務めるのですが、確たる証拠がなければ後の軍法会議で反乱の嫌疑で究明されかねないので、そこは慎重にならざるをえません。

 

副長のバックランドは軍医のクライブに向かって問い詰めます。

 

「きみの意見では、艦長は勤務できる状態かね?」

「それが——」クライブはもう一度言った。

「どうだね?」

「差し当っては、多分駄目でしょう」(以下高橋泰邦訳)

 

十分に満足できる返答ではないのですが、指揮官のいない軍艦とは考えられない状況でもあり、結局バックランドは恐る恐る指揮権を引き継ぐ決意をします。その一つが乗組員全員に対する事情説明(任命書に代わるものです)であり、もう一つは・・・

 

「彼はやったぞ」ロバーツが言った。

「秘密指令書を読んだんですね?」スミスが言った。

「ああ!」

 

つまり、艦長不在のまま代理の副長が南方の基地まで軍艦を持ち込み、その基地司令官に後任の艦長選択を任せる、という方法がある一方で、艦長だけが見ている出港時の秘密命令書を読んで、本艦に与えられた任務を遂行するという選択もあるのです。上の記述は副長のバックランドが後者を選択したことを示しています。

 

結局、ソーヤー艦長は捕虜の反乱に会って殺されるのですが、ホーンブロアの活躍もあって戦列艦レナウンは無事その任務を全うすることになり、副長バックランドは指揮権の委譲に関して軍法会議にかけられることはありませんでした。しかし、任務遂行に対する褒賞としての昇進はなく、そのあたりはかなり微妙です。海軍という組織は反乱を恐れるので、いったん指揮権の委譲が行われたことに、本能的な嫌悪を持つのかもしれません。

 

指揮権委譲に関してもう一つ、有名な例があります。それが『ケイン号の反乱』です。ハーマン・ウオークの海洋小説で、第二次世界大戦での、老朽した小さな米国の掃海駆逐艦が舞台の現代の話です。詳しいことは省きますが、新任の艦長クイーグ少佐は、外見は立派ながら、小心者で規則にこだわり、少しでもストレスがかかると左手で2つの鉄球を転がすという奇癖があり、更にこれが増すと前後の見境がなくなる傾向があります。

 

台風に見舞われ、掃海駆逐艦ケインがあわや転覆かという状況でこの「指揮権の委譲」が起こります。南太平洋、フィリピンの東海上で台風に見舞われた駆逐艦隊は、南に進路を取っていたのですが、激しい北風でバラバラになり、ケインは今にも転覆しそうな状況に見舞われます。燃料も消費して軽くなったケインは北に進路を変え、風に舳先を立てて嵐を防いでいます。空いた燃料タンクに海水を入れて喫水を下げ、船体を安定させたい副長のマリックは艦長にそう進言するのですが、艦長のクイーグはそれを許さず、進路を艦隊のいる南に向けようとします。

 

「本艦は困難におちいっておらん」とクイーグは言った。「百八十度に変針じゃ」「現在のままにしておくんだぞ!」とマリック(副長)が間髪を入れずに(操舵手に)言った。「俺の言うとおりにするんだ!」と、副長が叫んだ。・・・スティーブ・マリックは大股に艦長の傍へつかつかと歩み寄って挙手の敬礼をした。「艦長、残念ながらあなたは病人です。海軍服務規程百八十四条により、一時わたしがあなたに代わって本艦の指揮を執ります」(新庄哲夫訳)

 

このように書くとどうも緊迫感が伝わりませんが、長い文章の中で駆逐艦ケインは本当に転覆しかねない状況だったことが示されています。事実、この後で転覆した僚艦の生存者を収容しています。読んでみると副長マリックの判断は誠に順当だったと思わせます。マリックのいう海軍服務規程184条は

 

下級士官ガ指揮官ヲ逮捕シ、或イハ患者名簿ニ栽セル事ニ依リ、指揮官ノ任務代行ノ必要ガ生ズル極メテ特殊且ツ異常ナ状況ノ発生ハ十分ニ考エラレル・・・(新庄哲夫訳)

 

と一応は認めているのですが、これは上級機関の命令の下に行うこととしています。もしそれが不可能な場合は、状況がすべて分かるように、まあ、証拠を残しておけといっているのです。

 

この事件の後、当然ながら軍法会議が開かれるのですが、だれも副長マリックの弁護を引き受けるものはありません。全ての弁護人候補がマリック副長は有罪だと思っているからです。唯一有能な弁護士グリーンウオルド大尉がその弁護を引き受けます。軍法会議でグリーンウオルドは、精神科医が異常ではないと証言したクイーグ艦長を徹底的に緊張状態に追い込み、その異常性を明らかにすることでマリック大尉の無罪を勝ち取るのです。しかし、無罪を勝ち取ったマリックは、その後上陸用舟艇隊の指揮官に転任になり、海軍での出世は終わります。指揮権の委譲が海軍という組織の中でいかに厭われているかの証左でもあります。

 

お断りしておきますが、『ケイン号の反乱』はあくまでもハーマン・ウォークの小説です。

 

アメリカ合衆国軍艦ケイン号という艦船は実在しない・・・さらに過去三十年間の記録を調べても、海軍服務規程第百八十四、五、六条に基づいて海上で艦長の交代が行われ、そのために軍法会議が開かれたという実例はない。(新庄輝夫訳)

 

と本人が作者ノートにも書いている通り、この小説はあくまでもウィリー・キースという若者が海軍の予備士官になり、最終的にはこの掃海駆逐艦ケインの艦長にまでなるという物語の中での話です。

 

もう1つ、非常に特殊な指揮権委譲の例があります。海洋小説ではなく、司馬遼太郎の『坂の上の雲』、いわば歴史小説での話です。明治37年(1904年)に日本は日露戦争の最中にあり、日本海軍はロシアの極東艦隊を旅順港に追い詰めてはいるのですが、ロシアはバルチック艦隊を編成して日本艦隊を撃滅するために、遥かなバルト海から日本まで長途の遠征に出ているのです。日本海軍としては何としてでも旅順港に逃げ込んだロシアの残存艦隊を沈めてから、バルチック艦隊を迎え撃つ準備をしなければなりません。

 

そのためには、旅順要塞を攻撃している日本陸軍に二〇三高地の要塞を落としてもらい、そこで観測しながら一望のもとに見える旅順艦隊を重砲で攻撃する必要があります。これに日本という国家の存立がかかっているのですが、担当している第三軍の司令官乃木大将は旧態依然の戦術で、要塞全体に総攻撃をかけては、いたずらに無防備の兵士を死なせています。援護の砲撃のない歩兵がいくら前進してもただ大砲や機関銃弾を浴びるだけです。1万人の兵士が1回の攻撃で1千人に減るという凄惨な状況が数か月も繰り返されていました。

 

しびれを切らしたのが、満州軍総司令部の総参謀長児玉源太郎大将です。何とか第三軍を説得して二〇三高地を陥落させたいと思うのですが、そこで問題になるのが指揮権の委譲です。第三軍の司令官である乃木大将を超えて指揮を取れば、軍隊が一番忌み嫌う指揮権の剥奪になります。「・・・できれば児玉は胸襟を開いて乃木と語り、むしろ乃木の方から——児玉たのむ。何日か、目鼻のつくまでわしの代行をしてくれ」と言わせることであった。(以下「 」内は『坂の上の雲』の文章)」というのが児玉大将の思惑でした。

しかし、もし乃木大将がそれを嫌だといえばことは重大です。「軍司令官というのは…天皇が親授する職なのである。天皇以外の何者もその指揮権を剥奪することのできないはずであった」ということですから、児玉大将は別に非常の措置を取っていました。それは満州軍総司令官大山巌元帥の命令書です。「児玉のポケットにあるのは、その命令書であった。ただし大山自身が第三軍の指揮を取るのではなく、『大山の代理としての児玉』に指揮をとらせようというものであった。」つまり、どうしても乃木大将が嫌だといえば総司令官の命令で一時的に児玉大将が指揮を取るということです。この強制的指揮権の委譲を使えば、乃木大将の面目は丸つぶれで、第三軍の士気も低下するでしょう。

 

二人だけでじっくり話をし、今の重砲の使用方法に問題があるということを認識させた児玉大将はこう切り出します。

 

『そこで』と児玉はいった。『おぬしのその第三軍司令官たる指揮権をわしに、一時借用させてくれぬか。』見事な言い方であった。言われている乃木自身さえ、この問題の重要さを少しも気づいていなかった。乃木はその性格からして、おそらく生涯このことの重大さに気づかなかったであろう。『指揮権を借用するといっても、おぬしの書状が一枚ないとどうもならん。児玉はわしの代わりだという書状を一枚書いてくれんか』

 

まあ、随分ないい方ですが乃木大将はこれを快諾しました。こうして手に入れた指揮権を表面上は「大山閣下の指示により、乃木軍司令官の相談にあずかることになった。」と言っただけで、児玉大将は砲術の専門家を前にして大声で怒鳴ります。「『命令。二十四時間以内に重砲の陣地転換を完了せよ。』」。つまり、離れた位置にあった二十八サンチ榴弾砲をすべて二〇三高地の麓に集めようというのです。この榴弾砲は本来海岸防備用のものでものすごい威力を持っています。これを集中的に使おうというのです。

 

二〇三高地の激戦を書くのはこの文章の目的ではありません。結果からいうと、この榴弾砲の集中砲撃によって敵の要塞を砕き、二〇三高地を占領するまでの時間は、わずか1時間20分でした。そして占拠した二〇三高地から観測して、旅順港内にいたロシア艦隊、戦艦5隻、巡洋艦2隻、駆逐艦5隻、砲艦2隻、水雷砲艦2隻、水雷敷設艦1隻、輸送船1隻を数日のうちに撃沈あるいは撃破し、その上造船施設、市街地も砲撃し、日本海軍にバルチック艦隊を迎え撃つための準備時間を与えたのです。

 

念のため、私が二〇三高地に行ったときに撮った旅順港の様子と日本式28サンチ榴弾砲の写真をお見せします。

 

 

砲力を分散させ、援護なしで兵力の逐次投入という、最低の戦術を数か月も繰り返した旅順での戦いで、日本軍の死傷者は合計62,000名に達しています。二〇三高地だけの戦闘でも戦死者は6,200人になっているのです。口径28センチ、重さ10.7トンもの榴弾砲を多数集中させ、1個で217㎏もある弾丸を、実に2,300発も集中して使用した児玉大将の戦術は、見事というほかありませんが、それを非公式の指揮権委譲によって成し遂げ、例の大山元帥の命令書は使わなかった、という点に注目せざるをえません。

 

旅順港のロシア艦隊に対する砲撃が始まって間もなく、児玉大将は総司令部に戻ります。旅順要塞が陥落し、第三軍司令官乃木希典大将とロシア旅順要塞司令官アナートリイ・ステッセル中将との「水師営の会見」があったように、歴史の上で旅順での戦いの功労者は乃木大将であり、児玉大将の「こ」の字もありません。同時に、この異常ともいえる指揮権の委譲は全く表面に出ることはありませんでした。よき武人であり、戦時の極度の緊張のため、戦後すぐに亡くなった児玉源太郎大将のそれが望みでもあったのでしょう。

 

余談になるのですが、私の母方の祖父は軍人で、中頭(なかづ)少将と私たちは言っていたのですが、この二〇三高地の戦いに出ていました。小学校に入るか入らない頃の私に向かって、よくこんな話をしてくれました。「戦場でな、陽が暮れると、「担架! タンカ! 衛生兵はおらんか!』という声が毎日聞こえたもんだよ。」祖父にとって死傷者62,000人というのは決して遠い話ではなかったのです。

 

2021.8.20


帆船時代の英国海軍ー海洋小説を10倍楽しく読むための雑学ー

17.指揮権と指揮系統、そして責任(中編) —指揮系統—

 

 

 

雷のような音が続く中でラミジはしだいに意識を取り戻し始めていた・・・同時に嗅覚も戻ってきた。硝煙が鼻をつくとおもったとき、『ミスター・ラミジ、ミスター・ラミジ!』と自分を呼ぶ声に気づいた・・・『なんだ?・・・どうしたんだ?』『とんでもないことになりました。みんな死にました・・・』『落ち着け、誰がお前をここによこしたんだ?』『掌帆長(ボースン)です。今ではあなたがこの艦の指揮官だといっています』

(山形欣哉/田中航訳)

 

これは『ラミジ艦長物語』の第1巻『イタリアの海』の冒頭の場面です。1796年9月、ラミジはこのとき英国海軍の28門フリゲート艦シベラの三等海尉でした。つまり序列からいったら艦長、副長、2等海尉の次、という席次です。同じフリゲート艦でも一番小さな6等級艦の一番の下っ端海尉という身分で、普通なら当直に立ち、戦闘時は砲列を指揮するという、まあ気楽な身分でもあります。

 

しかしこの時、フリゲート艦シベラは単艦でフランスの戦列艦と交戦し、当然のことながら沈没寸前にまで砲撃で痛めつけられていたのです。上級士官がすべて戦死したとなれば、下っ端といえども士官ですから、そこに指揮権が移ります。ラミジはこの時、艦長室にあった命令書を読み、それを実行に移したのです。ベテランの准士官がいる中で、経験もあまりない若い下級士官が指揮を取る、というのは彼が軍隊の「指揮系統に組み込まれている」からです。

 

私が旧制の中学生だったころ、戦時中ですから海軍経理学校の農場に接収された、現在の我孫子ゴルフ場に学徒動員され、あげくの果てに疥癬(かいせん)という病気にかかり、海軍病院で治療を受けたことがありました。15歳の少年でしたから、看護婦さん(当時は看護師ではなかったのです)が親切に看護にあたってくれました。進路の選択はほとんどが軍隊に限られていた若者に、担当の看護婦さんはこういったのです。「あなた、海軍に入るなら経理学校ではダメよ。ゼッタイ兵学校に入りなさいね!」

 

つまり、兵科将校でないと指揮系統に入れない、ということをこの看護婦さんがいったのです。当時の海軍は将官、士官、下士官、兵という縦の「階級」と共に、「将校」という横の制度がありました。基本的に兵科の士官が「将校」で、その他の主計科、軍医科などは「将校相当官」と区別されていました。ですから、戦闘時に多くの士官が戦死し、例えば海軍主計中佐と海軍少尉が生き残ったとしましょう。この時、その軍艦の指揮をとるのは海軍少尉の方なのです。なぜならば、少尉の方が指揮系統に入っているからです。海軍兵学校は「兵隊の学校」という意味ではありません。「海軍兵科学校」という意味で、そのために兵学校の生徒は「将校生徒」と呼ばれました。

 

それはともかく、指揮系統について説明した小説があります。海洋小説ではなく、サイエンス・フィクション(SF)で、もう古典に属する「宇宙の戦士」という、ロバートAハインラインの著作です。彼が軍国主義者になったのではないかと、物議をかもしながらもヒューゴー賞を獲得した作品です。機動歩兵という動力スーツを着た兵隊が、地球外生命と戦うという物語で、主人公のジョリアン・リコが士官学校の卒業課程で戦いに赴く前に、同期生と校長のニールセン大佐に面会した時の話です。

 

『諸君は三等少尉に(臨時に)任官されることになっている・・・だが給与はもとのままであり、肩書は引きつづいてミスターと呼ばれる。軍服でただひとつ変わることは、肩章が候補生のそれよりもまだ小さくなることだけだ。諸君が士官となるに適しているかどうかは、いまだに決定されておらんので、教育は続けられる。』大佐は微笑を浮かべた。『では、なぜ三等少尉と呼ぶのか?』・・・『ミスター・バード?』『ええ…われわれを命令系統の列に置くためであります。大佐殿。』『その通り!』(矢野徹訳以下この項同じ)

 

ニールセン大佐は縦にピラミッド型に広がった編成表を見せます。この図の大佐の名前の脇に水平の線で結ばれた先が「司令官補佐、ミス・ケンドリック」となっています。大佐は候補生についていろいろ彼女に質問し、即答を得ます。そして「もしミス・ケンドリックがいなかったら、ここを動かしてゆくわしの仕事は多大の支障をきたしてしまうだろう。」と説明するのです。しかし司令官が突然死んでしまったら、ミス・ケンドリックは司令官の仕事を引き継ぐことはなく、全く何もしないのだ、なぜならば彼女は有能でも、命令系統に入っていないからだ、と大佐は強調するのです。

 

『命令系統とは、単なる飾り文句ではないのだ。・・・もしわたしがきみに、“候補生”として戦闘するように命令したとする。きみのできる最大のことは、きみ以外のだれかの命令を次に渡すことぐらいだ・・・』

なので、もし戦場で候補生が命令したらそれは軍制の違反となるのだと説明します。指揮系統、命令系統といってもいいのですが、軍制でそれが絶対に必要である理由は、複数の指揮官が同時に命令を出す危険を避けること、あるいはいつでも命令を出す指揮官がいること、にあります。命を懸けた戦場で、どちらの命令を聞けばいいのかわからない、あるいは命令を出す指揮官がいない、という状況が戦力の最大の危機であるのは間違いありません。

 

もっとも、絶対的な指揮権、まあ命令権といってもいいのですが、これにも欠陥があります。任官したばかりの経験のない若い士官が、戦闘中に事情もよく分からずに命令したら、迷惑をするのは兵士の方です。長い歴史を持つ軍隊は、そのような危険をよく承知しています。いいかえれば、経験の少ない士官をどのように教育するかという問題になるのですが、この「宇宙の戦士」にもそれがあります。主人公ジュリアン・リコは“臨時の三等少尉”として戦場に臨むのですが、大隊指揮官で、リコの評価官でもあるブラックストーン大尉がリコを教育する場面が出てきます。

 

輸送宇宙艦内での任務に精励して疲れ果てたリコを叱り、戦場に臨むには万全の体調が必要だと、不要な(つまり生きていれば帰りにできる)作業をおっぽりださせて、まず睡眠をとらせるのです。その上で、彼はリコを自分が指揮するD中隊(ブラッキーのならず者隊)の第1小隊の小隊長に任命します。同時に彼の下に艦隊軍曹をつけます。艦隊軍曹というのは最優秀の下士官で大隊全体の参謀といった役割です。それを(中隊を飛び越えて)2階級も下の小隊軍曹に任命したのは、もしリコがだめならば、実質的にその軍曹に小隊を指揮させるという思惑があるからです。

 

この小説の面白いところは、機動歩兵が着ている動力スーツにさまざまな通信回路があり、指揮官には軍曹だけと話すことのできる回路があることです。ブラックストーン大尉がいうには、ベテランの軍曹に相談しないで独断でことを運ぶな、軍曹は相談されることに慣れている。”ただし、”とここが肝要なところですが、”決定は自分でやるんだ“と強調します。指揮官には命令権があります。相談、つまり経験を踏まえた情報や提案を吸収した上で、どう決定するかは指揮官の判断で、これができなければ指揮官としての資格がない、ということになります。若い士官はこうして経験を積んでゆくのだと、この小説は示唆しています。

 

指揮系統の問題で非常に特殊な例が「炎の駆逐艦」に出てきます。これはフィリップ・マカッチャンの書いた「キャメロンの海戦シリーズ」の第1巻ですが、主人公のドナルド・キャメロンはトロール船の船主の息子で“士官候補生に推薦される”三等水兵として駆逐艦カマーゼンに乗り組んでいます。時代は第2次世界大戦の北大西洋、ドイツの潜水艦Uボートが活躍していたころの話です。船団護衛でUボートを探知したカマーゼンは全速力で戦闘に臨みますが、間近の商船が魚雷を受けて爆発し、その破片が艦橋を襲って艦長ヒューソン少佐ははやばやと戦死してしまいます。

 

指揮系統に従い、副長のシーモア大尉がそのあとを継ぐのですが、その直前にカマーゼンは艦首に魚雷を喰って大破し、前進することができなくなります。詳しいことは省きますが駆逐艦カマーゼンは戦闘と貨物船との接触もあって、基地に帰投することすらままならず、艦体自体はもう沈没寸前といった状態です。生き残った士官は艦長職を継いだシーモアと機関長のマシューズ機関大尉だけです。

 

機関長のマシューズは心の中でもう戦闘は無理で、機会があればドイツに降伏するつもりでいます。そのためには指揮権を持たなければなりません。そこで水雷兵曹に疲労の極に達したシーモア艦長はもう無理ではないかと相談を持ち掛けます。

 

「海軍本部に関しては・・・あまり自信はないのだが・・・この私が変わるというのはどうだろうか?」「艦橋の当直につかれる、という意味でしょうか?」「ちがう、ちがう。必要が起きた場合、艦の指揮を——ということだ・・・(佐和誠訳、以下この関連項同じ)

 

この相談にベテランの水雷兵曹は、あなたに艦の指揮権は認められていない、と答えるのですが、マシューズは兵曹の支持を求め、あっさりそれを無視されます。その後沈没寸前のカマーゼンにUボートが接近し、砲戦でさらにカマーゼンは艦橋を破壊され、シーモア艦長も戦死します。乗組員は接舷して敵が乗り込んでくることを予期して艦内にひっそりと待機しているのですが、生き残っている兵科最高の階級はファロウ一等水兵だけです。

 

…ファロウは腹をくくった。ここはひとつ、あえて火中の栗をひろってやろうとするかい。彼は自分の置かれる立場に自信はなかった。ただ士官室甲板を去る直前の艦長の言葉をおぼえていたし、その言葉のふくむ意味についても忘れてはいなかった。指揮権をいきなりずばっと押しつけられたにもかかわらず、ミスター・シーモアは立派にことをやりのけている。彼をしかるべく支え、マシューズをこけにする。それは一にかかって乗組員たちの出方次第だった・・・なんの権限もない機関室士官を、正面からつついてやろうという魂胆だ。

 

艦長の戦死を知らないファロウはそう決心します。そして敵が乗り込んできたときに彼は全員を甲板に上げて戦闘を命ずるのです。

 

マシューズ大尉の怒りに燃える視線をとらえ、ファロウはいった。『自分の記憶では、大尉、艦長は、ここでの先任水兵として指揮をとるようにという意味のことを言われました。そこで、自分が指揮をとらせていただきます…』

 

こうして機関大尉という士官を押しのけて兵科の一等水兵が駆逐艦カマーゼンの戦闘指揮をとるという状況が成り立つのです。艦長の戦死した艦橋にあって、キャメロンは手榴弾を仲間とともにUボートの司令塔のハッチに投げ込み、あわてたUボートが離れて爆沈するという大手柄をたて、カマーゼンもその後、巡洋艦に曳航されて基地に帰投します。これは士官のみならず、下士官や一般水兵であっても、兵科の指揮系統の厳密さを十分に知って、それを実行したという物語です。

 

もう1つ、指揮系統が上からの命令で途絶えるという、まさに異常ともいえる例があります。これは小説ではあるのですが実際のことで、前回にも引用した司馬遼太郎の「坂の上の雲」のなかでの話です。明治38年(1905年)5月22日、日本とロシアの戦争で、遠い日本を目指すロシアのバルチック艦隊は、とうとう東シナ海に達していました。

 

その23日、第二戦艦戦隊司令官フェリケルザム少将が病死したのである。フェリケルザム少将は腕のいい船乗りであると同時に部下の信望もあったが、本国を出発するときから健康が思わしくなく・・・ずっと病床に伏したきりであった(司馬遼太郎、以下この関連項同じ)。

 

バルチック艦隊には戦艦戦隊が3つありました。第一戦隊は艦隊司令長官ロジェストヴェンスキーが自ら統率し、第二戦隊はフェリケルザム少将、第三戦隊はネボガトフ少将が司令官でした。その第二戦艦戦隊司令官が死んだのです。

 

提督は神に召されたり」と第二戦隊旗艦オスラービヤが暗号信号を掲げました。ロジェストヴェンスキーはすぐさま「その死を秘すべし」と命令したのです。「ロジェストヴェンスキーは海戦をひかえて指揮の沮喪することをおそれたのだが、しかし第二戦艦戦隊の臨時司令官を選ぶこともかれはしなかった。オスラービア以下の第二戦艦戦隊は死骸の司令官を奉じて戦場にむかわざるをえなかった。

 

あれほど厳しい指揮系統を中心とする軍隊に指揮者がいない、それも最高指揮官によってなされた、というのは本当に異常なことです。

 

事ここにいたっては、ロシア皇帝はロジェストヴェンスキー中将を司令長官に選んだことを後悔すべきであった・・・指揮者のいない軍隊というものを思いついた史上唯一の人物がロジェストヴェンスキーであった。

 

司馬遼太郎は本の中でこのことについていろいろ論考しています。

ロジェストヴェンスキーは自分の戦死を考えていなかったのだろうか、もし彼が戦死すれば、第三戦艦戦隊司令官ネボガトフは最後までフェリケルザムの死を知らなかったので、バルチック艦隊は文字通り指揮官のいない艦隊となっていたはずです。推定としてですが、司馬遼太郎はロジェストヴェンスキーが新鋭で高速の戦艦数隻だけを率いてまっすぐ日本海の奥にあるウラジオストクに逃げ込もうとしたのではないかと疑っています。

 

その傍証として、「ロジェストヴェンスキーの匿名幕僚の記録では、『司令官会議もなく、艦長会議もなかった』と執拗なまでに書いている。司令長官たる自分の方針や企図を麾下の各司令官や艦長に十分服膺せしめておいてはじめて艦隊が一心同体となって動くのだが、ロジェストヴェンスキーが水兵でさえも知っているはずの軍隊統率のこの初歩を履行しなかったのは、『自分のみが天才だと信じ、他の者はすべて愚人だという自己肥大的性格』・・・にこの重大問題を理由づけることは単純すぎるように思える。」つまり足の速い戦艦群だけで(他を顧みず)ウラジオストクに逃げ込もうという魂胆がなければ、こんな行動を予めとらなかっただろうというのです。

 

この問題をもう少し掘り下げると面白いと思うのですが、ここではそれを取り上げることはしません。良い、悪いではなくて、そもそも軍隊組織というものは指揮系統が確立していなければ成り立たないのです。小説という形を借りて、それがいかに維持されてきたか、またそれがなければどうなるか、という点をここでは取り上げています。

 

日本海海戦の結果は、ご承知のようにロシアのバルチック艦隊の壊滅、文字通りの壊滅で終わっています。早々の海戦で司令長官ロジェストヴェンスキーは負傷、旗艦スワロフも沈没し、駆逐艦に収容されたロジェストヴェンスキーは後に日本の駆逐艦に拿捕されて日本軍の捕虜となります。海戦の最後に第三戦艦戦隊司令官ネボガトフ少将は、乗組員の生命を守るために砲火を交えずに降伏します。こうして第二戦艦戦隊の指揮官がいないための影響は、壊滅的な敗戦によって目立つことはなく、負傷が癒えて帰国したロジェストヴェンスキーがこの点で責められることはなかったようです。

 

しかし、死者の司令官旗を掲げたまま戦闘に入った第二戦艦戦隊旗艦オスラービヤの、特に、権限のない艦長が、どのような気持ちで戦隊を指揮して戦ったのか、私には想像もつかないのです。

 

 

 


47-19 プリンセス・メイズ Princess Mayse  1/38  福田正彦  FUKUDA Masahiko
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