Able Seaman
これまでは主に「お偉いさん」ばかりに注目してきましたが、もちろん軍艦は下働きがいなければ成り立ちません。昔から現代にいたるまで「海軍は下士官で成り立っている」と言われていたのです。なぜかというと下士官はいわば水兵の古参であり、実務に精通しているので戦闘を含めた軍艦の実際の運営にはこれらベテランがいなければどうしよもない、ということでしょう。
ところで水兵といわれる人たちは軍艦の中のどれぐらいの人数だったのかを考えると、例えば三層甲板艦である第一級戦列艦の場合、乗組員数は大体850人から1100人といわれていますが、100門艦850人とするとその構成は大体次のようになるでしょう。
がいわゆるお偉方で、これらの合計は49~60名ぐらい(旗艦の場合は司令長官や幕僚がいますからもう数名増えます)でしょう。逆に言えば800人前後が水兵といえます。
第一級戦列艦で100門艦の場合、片舷で50門、大砲1門に最低6人から10人(36ポンド砲で20人という記事もあります)が必要です。平均8人としても大砲だけで片舷戦闘で400人必要です。これに操帆が必要な場合は大きなヤードなら片舷だけで20数人が要りますから、水兵はいくらあっても足りないぐらいでしょう。
多くの海洋小説を見ると、常に乗組員の不足に悩まされたという記事に出会います。この場合の乗組員とはもちろん水兵のことで、准士官までは資格もあって政府関連の任命だったようですから人集めの点ではあまり問題にはならなかったのでしょう。しかし水兵を集めるのは基本的に艦長の責任で、もし人員不足のまま戦闘に入ればえらいことになるのは明らかですから何としても人をかき集めなければならなかったから大変です。
もともと水兵は志願兵対象で、艦長は広告を書いた紙などを貼って募集をするのですが、その際拿捕賞金の多さを大いにアピールしたようです。これまでこんなに敵艦を拿捕し、賞金を沢山もらったから本艦に志願すれば分け前も大きいぞ、というわけで多くの敵艦を拿捕した有名な艦長はそれでかなり募集に有利だったようです。そういうアピールを使えない艦長はだいぶ苦労したのです(拿捕賞金については別の機会にお話しましょう)。
もっとも政府としても傍観していたわけではなかったようで、1795年4月に「各州都市海軍供出割り当て人員法(Quota Acts)」を制定して供出人数を割り当てています。例えばダートマス市は394名だったと言われていますが、市はこの割り当てを志願兵だけで賄えず浮浪者や無宿もの、ごろつき、あるいは犯罪者などをかき集めて海軍に送ったのです。
それでも不足する人員を補給するためにとられたのが「強制徴募(Press Gang)」で商船乗組員はもとより男であれば民間人も外国人でも強制的にさらってきました。軍艦が派遣する強制徴募隊は士官(士官候補生も含めて)の指揮と判事の許可証が必要で、使用できる武器はこん棒か短剣に限られ、火器は禁止されていました。1740年に制定された「強制徴募法」では18歳以上55歳以下の英国人男子が対象だとされていたのですが、そんなことは全く無視されたようです。
フォックス・シリーズでも、ホーンブロワーシリーズでもまたラミジ艦長シリーズでもほとんどの海洋小説に「プレス・ギャング」が顔を出します。ジュリアン・ストックウィンの著書(大森洋子さんが訳していますが)の主人公トマス・キッドは何とカツラ職人で、強制徴募にあって戦列艦デューク・ウイリアムに拉致されるのです。やがて提督にまで出世するという壮大な物語のようですが、初期の水兵生活が大変よく描かれています。
水兵は2種類あってA級水兵と一般水兵に分かれています。A級というのはA、B,C順位のAではなくて Able Seaman あるいは Able man の略です。つまり技能のある水兵という意味で、「おか者」といわれた一般水兵とは厳密に分けられていたようです。ではどんな技能があったのか「海の覇者トマス・キッド」シリーズの第2巻「蒼海に舵を取れ」ではその能力を試す場面が出てきます。
戦列艦デューク・ウイリアムからフリゲート艦アルテミスに転属した(まあいろいろ事情があって元の戦列艦のコードウエル艦長の厄介払いの感があるのですが)12名の水兵はみんな一等水兵だというのを、
「くそっ―、コードウエルが優秀な水兵ばかりを割いてくれるとは思えん」とアルテミスのボウリット艦長は中々信用しません。
そこで艦長はキッドの仲間のダウドにこう命令します。
「フライイング・ジブブームの滑車に触ってくるのだ」
ダウドはぽかんと口をあけたが、次の瞬間、回れ右して艦首へすっ飛んでいった。彼は海面から80フィート上のバウスプリットのまさしく先端にさわってくるように命じられたのだ。
(以下この項すべて大森洋子訳)
ここでいう「バウスプリット」は全体を指しているようですが、正確には「ジブブーム」のことでしょう。フライイング・ジブはいちばん先端にある三角帆ですから、まさにジブブームの一番先にある滑車に触ってきたということです。
そしてキッドには「メイン・トラックに触ってきてくれたまえ」というのが命令です。メイン・トラックというのはメインマストの一番上、ロイヤルマストの天辺にあるキャップ、つまりマストの小口を保護するための円形の蓋をいいます。ということはこの船の一番高いところで、文中には「この高さになると、横揺れも縦揺れもすさまじく彼は70フィートの弧を描いて前後左右に放り出された。」とあります。つまり直径20メートルあまりの円を描いたわけで、航海中のフリゲート艦はこれほど揺れているのです。
ちょっと筋は違うのですが、この文中に面白い話が出てきます。
てっぺんでなにかがガタガタ音をたてていた。新しく考案された避雷針だ。狂ったような衝動に突き動かされて、彼は両手をチェーンに移し、懸垂でキャップのほうへ体を引きあげた。頑丈な銅の避雷針がキャップの先の空中にのびていた。
とうわけで、当時の軍艦のメインマストに避雷針が取り付けられていたことが分かります。
それはともかく、ロイヤルマストのバックステーを伝って甲板に降り立ったキッドは艦長がこういうのを耳にします。
「白状するが、参ったぞ、ミスタ・スパーショット。ここにおる連中は新米のおか者なんぞではないわ」
ポウリット艦長が片脇の痩せた士官にそう言った。
キッドたちは面目を施したことになるのですが、ここでいう「おか者」とは、船に関して全くの素人で、軍艦に乗ったもののゴシゴシと甲板掃除をろぺしたり、わけも分からずにロープを引っ張ったり、邪魔にされたり小突かれたりという、まあ雑役係といったところでしょうか。ですから一人前の水兵になるためにはいい先輩を見つけその指導を得て何としてでもマストに上って仕事を覚えなければなりません。キッドもボウヤーという腕利きの水兵に可愛がられ、自らの努力によってA級水兵にまでなったのです。
こういったA級水兵が軍艦の中にどれほどいたかはその艦の戦歴や就役状況で大いに違っていただろうと思います。戦闘が続けば自然に訓練されて練度が上がるのは当然ながら戦死や事故死も多く、まあ一般的にいうと、水兵の少なくとも半数は練達者がいなければ操艦すらできなかったと思われます。今から見ると当時の水兵は奴隷みたいに扱われたという感じがするのですが、そういった環境にあって、彼らはそれなりに生活を楽しんだという情景も海洋小説ではよく出てきます。
水兵の楽しみは、休暇中は別として酒と食事だったでしょう。ラム酒を水で割ったのが「グロッグ」といわれる酒で、英国海軍には絶対欠かせないものでした。水はケチってもグロッグがなかったら反乱がおきるといわれていたぐらい、軍艦では厳重な管理(ほっておけば必ず見つけ出して酔っぱらうので)の下での必需品でした。グロッキーという言葉はこのgrogが語源でこれを飲んで泥酔した状態を本来はいったようです。このグロッグのほかにもビールやぶどう酒も配給されたようですが、いずれにしても帆船時代の軍艦にアルコール類は絶対不可欠のものだったのは確かなようです。
もう一つの楽しみが食事だったのですが「ネルソン時代の海上生活」という本の「食物について」を見ると支給された食物が表になっています。ビスケット、ビール、牛肉、豚肉、エンドウ豆、オートミール、砂糖、バター、チーズというのが支給項目ですが、これを見ると分かるようにほとんどが食材そのものです。更にいえばこれらは相当の粗悪品で、肉というのは塩漬けして樽に入れた「彫刻もできるほど」のコチコチ品だといわれています。なししろ「古いものから食べる」というのが英国海軍の大原則でしたから。こういった肉を釜でゆでにして提供するのが司厨員ですが、これは調理というよりも素材を食べられる状態にして食材として提供した、という方が当たっています。
水兵たちは大砲の要員ごとに食卓になる板を引き下ろして食事をするグループを作っていたようで、それがいわゆる食卓仲間(mess mate)です。実際にはその仲間の2,3人が食材を使って料理をし、仲間に提供したようで、それを炊事兵(クックです。もちろんコックではなく)と呼んでいたのです。
現在ではもちろん軍艦であっても厨房で食事を作って提供されるのですが、昔の習慣がまだ残っているという記事があります。C.S.フォレスターの書いた「巡洋艦アルテミス」は第二次世界大戦の地中海における海戦の物語です。イタリア艦隊と砲火を交える巡洋艦アルテミスの主計長ジョージ・スミス中佐は、砲戦の合間を縫って乗組員に給食すべく大急ぎで厚めのコンビーフを挟んだ大量のサンドイッチとココアを用意させます。そして出来上がった食事を各所に配るために中佐はこう命令するのです。
掌帆兵曹、号笛で「炊事班、炊事場へ集合」!
掌帆兵曹が拡声器のスイッチを入れた。・・・「クークス、ツー、ザ、ギャレー(炊事兵、炊事場へ集合)」と彼が拡声器へ声を張り上げた。
ここでいうクークス(cooks)はもちろん食事を厨房から各所に運ぶ水兵たちを指します。この兵曹は北イングランドの出身で、クックスではなくクークスとなまるのだとフォレスターは書いているのですが、帆船時代の炊事兵「クック」がまだ生きているというのはいかにもイギリス式ではありませんか。
Ordinary man/ Powder monkey
前回はエイブルシーマンというA級水兵のお話をしました。同時に「おか者」という一般水兵のことにも触れています。こういったことに関連して、「海の風雲児Foxシリーズ」の第7巻「財宝輸送船団を拿捕せよ」の後書きにいろいろな資料が載っています。この巻は高永洋子さんの翻訳ですが、これは当会の会員だった大森洋子さんの以前のペンネーム(高永徳子を含めて)です。
その資料によるとエイブルマンは艦首楼、つまりフォクスルを担当したのです。このためにフォクスルマンと呼ばれてフォクスルの整頓、錨、バウスプリットやジブブーム、フォアヤードなどを受け持っていました。フォクスルマンの中で優秀な者が檣楼員(トップマン)に選ばれて各マストのロアーヤードより上の仕事を担当しました。
「トマス・キッド」シリーズの中で、キッドがトップに登り、尻を叩かれてヤードに進んでゆく、という場面は彼がトップマンとしての修行を始めたことを意味しています。これらトップマンたちはフォアマスト班、メインマスト班、ミズンマスト班に分かれ、1日に何回も展帆、縮帆、畳帆などを繰り返すのですから、かなり大変だったでしょう。
こうしてみるとフォクスルから各マストのロアーヤード以上はすべてエイブルマンを必要としたわけで、艦長が優秀な水兵を手放すわけはなく、前回に「くそっ―、コードウエルが優秀な水兵ばかりを割いてくれるとは思えん」とフリゲート艦のボウリット艦長が初めは信用しなかったのも当然のことなのです。
一方で、おか者と呼ばれる一般水兵(オーディナリーマン)ですが、この中でも質のいい者が艦尾部(アフト)を担当してアフターガードと呼ばれていました。その役目はメインセイルやスパンカー、ロアーステイスルなどの担当です。さらに中甲板(ウエスト)に配置されたのがウエスターと呼ばれた水兵で「腕も頭も必要ない」者たちだったといわれています。狭義に言えばこのウエスターが本当のおか者です。甲板洗い、ポンプつき、キャプスタン押し、家畜の世話、ごみ処理など最も嫌われる仕事に就かされたのです。
「ポンプつき」って何だろうと思うかもしれませんが、このポンプは排水ポンプ(ビルジポンプ)のことです。木造艦船は航海中前後に揺られ、左右に揺られ、更には捻じれるような力もかかります。どうしても多少の海水が船の中に漏れて入るのはやむを得ません。また甲板に打ちこんだ海水や、艦内の厨房の水などの一部も艦底に溜まります。これを淦水(あか水、bilge ビルジ)というのです。ビルジが多く溜まると危険ですから、准士官である船匠(カーペンター)がいつもその水深を監視していて、一定以上になるとビルジポンプで艦外に排水しなければなりません。そのポンプをついて排水する役割がウエスターに与えられるということです。
小さな船ならば、昔の井戸ポンプのように皮の弁で排水し、大きな船ならばベルトに取り付けた皮の弁で巻き上げて排水します。いずれにしてもポンプの取っ手の両端に人が付き、上下に動かして排水するので重労働です。汲み上げたあか水が濁っていればいいのですが、もし澄んだ水が出てくれば大変で、これは大きな損傷があってどんどん水が艦内に入っていることを示しているからです。戦闘後に気付かなかった損傷が喫水線下にあったとしたらこんなことが起こります。そうなれば長時間、総員でポンプをつくといった光景が海洋小説にはよく出てくるのです。
まあそれはともかく、こういった要員がいったいどれほどいたか、第1級艦ではフォクスルマン、フォアトップマン、メイントップマン、ミズントップマンがそれぞれ60~70名で、アフターガードが90名、そしてウエスターが最も多かったといわれています。同じ水兵といってももっとも上位にいるのがトップマン、それからフォクスルマン、かなり離れてアフターガード、そしてもっとも下がウエスターということになるのです。
航海中に風向きが変わるたびに当直の水兵たちがそれぞれの任務の中で操帆に従事し、一旦ことがあれば総員が招集されて夜中であろうと嵐の中であろうと操帆をしなければなりません。「オール・ハンズ・オン・デッキ!(総員甲板へ!)」は当直であろうと休憩中であろうとすべてを呼び出す号令でした。これを聞くたびに、もう、又かよ、と嘆いた水兵がさぞ多かったことだろうと、同情せざるを得ません。
その中で、航海当直を免除されている水兵がいました。それが直外員(アイドラー)で、船倉係、鶏飼育係、ペンキ係、被服係、マスト化粧係、屠殺係、理髪係、士官用カツラ係、士官集会室料理係などだと資料がいっています。その他、艦長付きの従兵などもおそらく直外員だったでしょう。
こうして見てゆくと、ウエスターより下の階級はなさそうですが、それがあるのです。しかも当時の戦闘艦にはどうしても必要な役割を担っています。それが「少年水兵」と呼ばれているシップスボーイです。
シップスボーイは13歳から15歳で少年水兵養成所(マリーン・ソサイアティー)に入り、テムズ川の練習艦で短期間艦内生活の基本事項を叩きこまれて各艦艇に送り込まれます。こういった少年は大部分が貧しい家の育ちであり、浮浪者や孤児、乞食などを経験しています。あるいはコソ泥を働いて養成所に放り込まれることもあったようです。
もちろん当時は少年法といった法律もなく、感覚からするとこれら下層民の子供たちは家畜のように扱われたといっていいでしょう。艦内では准士官、下士官あるいは士官候補生の召使としてこき使われ、時には男色の対象ともなっていました。何しろ軍艦は男社会ですから当然そういうことも起こるのです。
そして、このシップスボーイのもう一つの重要な役割が、戦闘時の火薬運搬作業です。戦闘となると両舷の大砲を突き出していつでも打てるように準備するのですが、船にとって一番怖いのが火災です。弾丸などは当時炸裂弾ではなく丸弾といわれる銑鉄の塊でしたから火の出る心配はありません。発火薬はこく少量で砲手長が獣の角に入れて腰にぶら下げていますから、まああんまり心配はいりません。問題なのは装薬といわれる弾丸を発射するための火薬です。
簡単にいうと、大砲を打つためにはまず布の袋に入った装薬を砲口から入れ、次に弾丸を入れてからこれが転がり出ないように詰め物を入れます。それから砲口を舷外に突き出し、砲手長が火門からキリを入れて中の装薬の袋に穴を開けます。火門に発火薬を入れると準備完了です。この発火薬に火打石の火花で発火させると(これが出なときは別に用意した火縄を使います)この火が装薬に燃え移って爆発し、その勢いで弾丸が発射されるのです。当然その反動で大砲は大変な勢いでガラガラと後退します。
こういった作業が戦闘時は繰り返されることになるのですが、もちろん敵方も撃ってきますからこちらも損傷を受けます。その時に装薬がたくさんあったら恐ろしいことになるのは眼に見えています。そういったわけで、大砲を撃つときはその度に装薬を火薬庫から持ってこなければなりません。その役目が少年水兵で、この場合彼らは「パウダーモンキー」と呼ばれるのです。
戦闘ともなれば慣れない乗組員は恐怖のあまり砲甲板から逃げ出そうとします。それを防ぐために昇降口に海兵隊員が立ち、下には負傷者とパウダーモンキーだけの通行を許します。火薬庫には大量の火薬がありますからはるか下の甲板にあり、そこを湿らせたフェルトのカーテンで仕切り、その隙間から掌砲長がパウダーモンキーに装薬を渡すのです。彼らはそれを受け取り、階段を駆け上がって各大砲に届け、又すぐに階段を駆け下りて火薬庫へと向かうのです。装薬が届かなければ戦闘を継続することは不可能で、叱咤激励されながらパウダーモンキーは必死で役目をこなします。
一級艦ともなれば片舷で大砲が50門もあり一度に2個を運ぶとしてもおそらく30人以上のパウダーモンキーを必要としたでしょう。しかも戦闘時ですから彼ら自身も負傷したり死んだりします。その凄惨な姿をアダム・ハーデイがフォックスシリーズの第1巻『ナーシサス号を奪還せよ』で書いています。
・・・その少年水兵は骨と皮ばかりの、並より小さい小僧っ子で、年の頃は12そこそこ、せせっこましい顔立ちで、耳が左右に大きく張り、裸足で甲板を踏むたびに、血糊の足形がつづいていく。あの血は本人の足から出たもので、血の池に踏み込んでついたものではない。ほこりと硝煙にまみれた少年はまっ黒で、両頬に蛇のようにくねる2本の筋は、各大砲まで火薬を運ぶ恐ろしい試練と疲労に、われ知らず流した涙の跡とみえた。
(高橋泰邦・高永徳子訳)
海洋小説をいろいろ読んでみるのですが、パウダーモンキーに触れた部分はあんまり見かけません。この「フォックスシリーズ」の主人公、ジョージ・アクロバンビー・フォックス海尉は稀なことにこのパウダーモンキーからその海軍生活を始めました。ホレイショ・ホーンブロワーが医者の息子、リチャード・ボライソーは貴族の出身、ニコラス・ラミジも同じ貴族で、プレスギャングに拉致されたとはいえ、トマス・キッドさえ民間のカツラ職人という、まあ、まっとうな生活をしていたのですから、テムズ川の河口域にある湿地帯の貧しい小屋で育ったフォックスは、パウダーモンキーとしてその海軍生活を始めざるを得なかったのは当時としては当たり前でした。
こういった海洋小説としては異例の出身者を取り上げた作者アダム・ハーデディは、フォックスに孤独で異常な性格を与える一方で、天性の航海術とハンカチによるパチンコ、つまり小石であろうと銃弾であろうと、それをハンカチで投げて鳥さえも捕らえることができる特技も与えています。
アダム・ハーデディのおかげで、華々しい海戦の陰に黙々とそれを支えながら、何らの報酬も得ていない貧しい少年たちがいたということが分かります。海洋小説ですから、幾分の誇張があるとしても、海軍のいわば下層階級の物語としてこのフォックスシリーズは一読の価値があろうかと私は思っています。水兵の日常生活とその取扱と当時の英国海軍の軍規を知ると、有名な「スピッドヘッドの反乱」でハウ提督がそれを成功裏に鎮めたことも、同時に政治的な色合いの濃い「ノア泊地の反乱」で首謀者が失敗した原因も、なるほどと思わせるものがあるのです。
これまでいろいろな英国海軍の階級についてお話してきました。今回はかなり現実的な給料についてお話します。この資料は「海の風雲児Foxシリーズ」の第7巻「財宝輸送船団を拿捕せよ」のあとがきに高永洋子さん(大森洋子さんです)が調査して記述しているものです。
先ず、当時はいろいろな貨幣単位があったようですが、取りあえずは
1ポンド (£) = 20シリング(s)
1シリング (s) = 12ペンス(p)(単数の場合はペニー)
と覚えてください。つまり1ポンドは20シリングであり、また240ペンスでもあるのです。
そこで、階級ごとの1か月の俸給(表1)を先ず見てください。
この表の中では分からない特権や負担があるのですが、
さて、この数字が実際の生活にどういった影響があったのかは、現代の貨幣価値に直してみないとよく分かりません。資料によると「パンが2斤で1シリング、艦上で毎日コーヒーを飲むとして、豆2ポンドで34シリング、ポーツマスの居酒屋の安定食が4ペニー、そんな物価と比べてみると面白いだろう」とあるのです。
現在のわれわれの貨幣価値に換算するのはとても難しいのですが独断と偏見で、えいやっ!とやってみましょう。先ず、パンですが現在ちょっとまともなパンは1斤300円から350円ぐらい、これで計算すると1シリングは600~700円になります。つまり
1ポンド = 12,000~14,000円 → 13,000円
1シリング → 650円
1ペニー → 54円
となります。この計算で行くとポーツマスの居酒屋の安定食は216円ですから、ちょっと安すぎだなあという感じです。一方コーヒー豆2ポンド(約900グラム)は22,100円、100グラムざっと2,500円です。当時コーヒーは貴重品だったとはいえかなり高価です。
基本的にこういった貨幣価値の換算はあまり意味がありません。なぜかというと工業生産の背景が全く違い、物の価値観が違うからです。例えば、当時現在のペットボトルが極少数生産であったとしたら、目を剥くような価値が出たでしょう。また、当時普通の品だった鵞ペンは今ではほとんど手に入らない貴重品です。
こういった矛盾にあえて目をつぶって、艦長の給料という面から常識的に円換算すると
1ポンド 30,0000円
1シリング 1,500円
1ペニー 125円
ぐらいでしょうか。これで計算したのが次の表2です。
日本円に換算するとかなり身近に感じられるのですが、いろいろ面白いことが分かります。
つまり、
という背景がありながら、全体的には士官以上(提督の給与は分かりませんが)の特権階級がかなり優遇されていたといえるでしょう。例えば、ホーン・ブロワーシリーズの第7巻「勇者の帰還」の中で、彼がロンドンの宮殿で摂政殿下に拝謁する場面が出てきます。
「心からおめでとう、大佐(カーネル)」と殿下。
ホーンブロワーは困惑するが、
「殿下はね」と公爵が註を付けて、
「きみを殿下の海兵隊大佐の一人として任命されたことを喜んでおられるのだ」
つまり、ここでいう海兵隊大佐は1,200ポンドの年俸を受け、それに対する任務は何もありません。功績のあった艦長への褒章として与えられる官職で、彼が提督の地位に登るまで続くことになる、と説明されています。
すでに6000ポンドだとホーンブロワーは計算するのですが、上の換算でいうと3,600万円の年俸で、もうすでに(3年で)1億8千万円になっていると計算したことになります。これは特例としても、士官(記述はないのですが将官はなおさら)と水兵の間の格差は想像以上のものがあります。
つまりA級水兵でも月に約5万円、一般水兵では3万8千円ですから、これで妻子を養うのは大変だったでしょう。しかも、もし自分が戦死でもすれば、後の収入は亡くなるし、戦傷を負っても収入がなくなります。インフレの影響もあって、艦内の待遇を含めた水兵たちの不満が次第に鬱積して、1797年4月のいわゆる「スピッドヘッドの反乱」となります。給料の格差を見れば当時それは当然だったのでしょう。
この反乱でハウ提督は水兵の要求を入れ、待遇の改善も行われました。ただその後の5月に起きたノア泊地で起きた反乱はかなり政治的な色合いを帯びたもので、直ちに鎮圧されて反乱の首謀者は泊地でヤーダムから吊るされたと記録されています。
海洋小説のあとがきの中からこういった状況を推察することもできるのです。書物は宝の山だと誰かが言っていましたが、本当にそうですね。
海洋小説「海の風雲児Foxシリーズ①ナーシサス号を奪還せよ」の最初にこんな場面がでてきます。
かつて1762年に ―フォックスの生れる3年前のことだが― フリゲート艦アクティヴ号とスループ艦フェーバリット号とがカジス沖でスペインの財宝船エルミオネ号を拿捕したことがあった。その財宝は、夢とまがう金銀宝石の山で、すぐには信じがたいほどだったという。
財宝は結局54万4608ポンド1シリング6ペンスで売却されたと、ある新聞は報じ、別の新聞は総額51万9705ポンド1シリング6ペンスになったと伝えた。
(高橋邦夫・高永洋子訳)
これは小説の中の記述ですが、本当にあった話で今でも有名な事実です。前回で乗組員の給料のお話をしましたが、その時に設定した円換算率(£1=3万円)で計算するとその総額は実に163億3944万2250円になります。もしフォックスがフリゲート艦アクティヴに乗り込んでいたら、あとで説明する基準に従って3億9千万6125円を手にできたはずです。一介の海軍士官がただ一度の海戦で4億円に近い金を手に入れるとはどういうことか、それは拿捕賞金制度があったからです。
「拿捕賞金制度」と聞いて、ははあ、なる程とすぐわかる人はかなり海洋小説を読んでいるはずです。拿捕賞金とは海戦で捕獲した商船なり軍艦を曳航して母国(英国ですね)に持ち帰って査定委員会などで拿捕賞金の対象になると判定され、その価値を決めたうえで賞金が拿捕して人たちに支払われるという制度です。
いつの頃からそういったことが制度化されたかははっきりしないのですが、法的には英国で第二次世界大戦の初期まで残っていたと本で読んだことがあるので、英国の伝統的な習慣だったのでしょう。
ホーンブロワーシリーズの「砲艦ホットスパー」には拿捕賞金について次のような記述があります。
ある国と戦争が勃発した場合、たまたまイギリスの港にいたその国の艦船は政府に押収されて海軍本部の取得となるが、賞金はそれとは別問題で、戦時中に海上で捕獲した艦船は国王、つまり国の取得となり、国の権利を放棄するという枢密院令によってとくに捕獲者に与えられることになっている。(菊池光訳)
これが、拿捕賞金の法的根拠かもしれません。当然のことながら、こういった制度があれば前回に見た給料の海軍軍人なら拿捕賞金を狙うでしょう。テムズ川下流の貧困湿地帯で育ったジョージ・アクロバンビー・フォックスはもとより、この制度にいくらか批判的だったホーンブロワーでさえこういった場面が出てきます。
アミアン条約の平和時のあと、開戦前のブレスト軍港の監視を命じられたスループ艦ホットスパーでのこと、
「あれを見てください! 一財産、通り過ぎてゆきます。」・・・
「フランスのインド貿易船だな」望遠鏡を向けて、ホーンブロワーがいった。
「25万ポンドにはなりますよ!」ブッシュが興奮した口調で言った。
「これで宣戦が布告されていたら、あなたの取り分が10万ポンドくらいになるかもしれません。気をそそられませんか?」(菊池光訳)
平時ですから見逃したのですが、捕獲して25万ポンドだとしたら75億円ですから艦長の取り分3/8なら28億円、つまり10万ポンド近くにになるだろうとブッシュがいっているのです。拿捕賞金がいかに魅力的か分かろうというものですね。
どこの国の船であろうと金になりそうな船を襲って強引にそれを手に入れるのがいわゆる海賊船(パイレーツ)ですが、初期のフランシス・ドレーク提督のように国の免許を得て自国以外の多くの船を襲い、その財宝を手に入れる(当然国家にもその成果を差し出す)のは、まあ一種の海賊ですがそれを私掠船(プライバティア)と呼んで区別しています。
16世紀のエリザベス朝で活躍し、国家予算を超えるほどの金額を差し出したドレークの例のように財宝船を襲うのは昔からの習慣ですが、ではなぜ軍艦まで拿捕するのかはそれなりの事情があるのです。
近代になってドレッドノード級といわれる鋼鉄の大型戦艦の時代以来、大砲は大きな進歩を遂げ、榴弾、徹甲弾という高性能な弾丸によって遠くから相手の船を沈めることができるようになりました。そのためには大きな大砲ほど射程が伸び、相手の射程の外から(いわゆるアウトレンジですね)敵艦を沈めることが可能だという大鑑巨砲時代がやってきます。
その最たるものが戦艦大和級で、口径46センチの世界最大の大砲を持っていました。最大射程42,000 メートルという長大な射程を持っていて、艦隊決戦なら悠々とアウトレンジから敵艦を攻略できたはずです。残念ながら時代は大砲によるアウトレンジよりも航空機によるそれが勝って、大和も武蔵もその真価を発揮する機会がなく、時代遅れの戦艦として退場することになったのですが…。
まあそれは余談として、帆船時代の戦列艦は多くの大砲を積んでいましたが、まだその威力は大したことはなく砲戦によって相手の船を撃沈するほどの力はありませんでした。帆船時代の弾丸は基本的に鉄の塊で、木製の舷側に損害を与えることは出来ましたがその主な目的は相手の人員の殺傷とリギンに損害を与えてマストを倒し、その行動を止めることにあったのです。
当時の海戦でどのぐらいの距離で大砲を撃ち合ったのか。ホーンブロワーシリーズの「砲艦ホットスパー」の記述によると「昔からの教えによれば、片舷斉射をするのに理想的な距離は、<ピストルの射程> あるいは <ピストルの射程の半分> とさえ言われていて、20ヤード、できれは10ヤードである。」(菊池光訳)とあります。20ヤードなら約18メートル、半分なら9メートルですからこれなら絶対に外れっこないでしょう。舷々合摩すという言葉通りの距離です。
当時の実際の大砲の射程は調べてみると最大の68ポンドカノン砲で射程1,600メートル、同じ68ポンドカロネード砲で360メートルといわれています。68ポンド砲は普通の戦列艦にも使われていない大きな大砲ですから、一般的な12ポンドカノン砲をみると射程180メートルとなっています。また9ポンドカノン砲は優秀な大砲で「400ヤードほど距離をおいた砲戦に向いている」と「砲艦ホットスパー」に出てきます。こういったことから考えると350メートルほどから砲戦が始まり、20メートルぐらいで片舷斉射の打ち合いがあるという様相が浮かんできます。
敵艦の動きを止めて、次に何をするかというとそれは切込みです。相手の船に乗り込んでピストルやカットラスで相手を倒し、敵艦を捕獲するというのが目的で、英国海軍の基本的な戦術でした。軍艦を作るには膨大な木材が必要です。大艦隊を作ったために英国から「イングリッシュオーク」が無くなったといわれ、後には北欧から大量の木材を輸入しています。また大砲やマストなど装備品も膨大で、敵艦を捕獲することは建造よりずっと安上がりだったはずです。それが軍艦を拿捕賞金の対象にした原因でしょう。
海洋小説を見ると実際に捕獲したフランス艦を使っている場面がいくらでも出てきます。艦船の建造に関してはフランスに天才的な造船家がいて優秀な船を造っていると英国側でも評価しているようですが、建造になると生木と乾燥木が混在したりして、准士官である船匠が愚痴こぼすという場面すらあります。
まあそれはともかく、拿捕した敵艦を持ち帰って拿捕賞金にありつくことは艦長の名誉でもあり経済的なプラスでもあったわけですが、拿捕賞金をどのように分配したかというとそれは一般的には次のようだったといわれています。
ここでいう指揮官とは拿捕した艦の属する艦隊の司令長官をいいます。艦隊司令長官は労せずして1/8をもらえるわけで、まあ役得ともいえるのですが、そのために優秀な艦長のいるフリゲート艦を索敵に派遣するといった措置を取ることも可能だったわけです。逆に身内の艦長を派遣するといった身びいきもあると小説にはよく出てきます。
上の配分によって冒頭に述べたフォックスが4億円に近い金額を獲得できたかもしれないという点を考えると、163億3944万2250円の1/8は20億4,243万281円になり、3億9千万6125円が取り分だったとすると士官の数は5名強になる計算です。フリゲート艦とスループ艦2隻の士官数としては少ない感じですが身分による傾斜配分額だとしたら士官数は増えますからまあ納得できる金額でしょう。
特例は別として、実際的にこういった配分でどれほどの金になったか、例えば拿捕賞金の総額が1万ポンド(3億円)だったとしましょう。円換算の配分額は、
となります
1万ポンドは少し多い想定かもしれませんが、前回の英国海軍の給料と比較すると次のようになります。
月給 拿捕賞金(1人当たり)
これを見ると拿捕賞金がいかに魅力的だったか分かろうというものです。
ただし、これには条件があって、この例は1艦のみで拿捕した場合です。拿捕賞金の規定では、戦闘時に視界の範囲にあったすべての軍艦に賞金を配分することになっています。戦闘にどのように参加したかで配分にどのような差が付くのかまでは資料がありませんが、おそらく何らかの差があっただろうと思われます。また同じ士官や准士官といっても階級によって差が付くかどうかも資料がありません。
こうしてみると、実際の拿捕賞金は上の表の何分の1ぐらいだったと思われるのですがそれでも給料に比べれば莫大な臨時収入になるわけで、水兵の募集にこの艦長はこれこれの拿捕賞金をもらっている、と宣伝すれば大いにアッピールしたことでしょう。拿捕賞金制度はいろいろ弊害もあるといわれながら長く続いたのは、やっぱりお金の魅力だったといわざるを得ません。
表1 階級ごとの1か月の俸給
階級 | 俸給(1か月) |
艦長 | £9~38 |
(74門艦) | £20s5 |
副長(一等海尉) | £5 |
二等海尉 | £4 |
三等海尉 | £3s10 |
航海長 | £3~7 |
船匠 (一等級艦) (三等級艦) |
£5s16 £4s16 |
掌帆長 (一等級艦) (六級艦) |
£4s16 £3 |
掌砲長 | 掌帆長と同じ |
主計長 | £2s1 |
先任衛兵伍長(一等級艦) (六等級艦) |
£2s15p6 £2p6 |
軍医 (20年勤続) ( 6年勤続) |
£27 £16 |
従軍牧師 | £12s10 |
指導教官 | £2s8 |
司厨長 | £1s15 |
航海士 | £2~3s12 |
操舵手 | £2s5p6 |
船匠見習 | £2s10 |
填隙係 | £2s10 |
掌帆手 | £2s5p6 |
製綱手 | £2~2s10 |
縫帆員 | £2s5p6 |
掌砲手 | £2s2 |
艦長付書記 | £1s19 |
艦付衛兵伍長 | £2s2 |
衛生兵 (2~3年勤務) (1年勤務) |
£7s5 £6 |
士官候補生(一等級艦) (三等級艦) (六等級艦) (15歳以下) |
£2s15 £2s8 £2 s15 |
水兵 (A級) (一般) (おか者) (少年水兵) |
s33 s25p6 s2p6~s3 s11~13 |
表2 階級ごとの1か月の俸給(円換算)
階級 | 俸給(1か月) |
艦長 | 27万円~114万円 |
(74門艦) | 60.75万円 |
副長(一等海尉) | 15万円 |
二等海尉 | 12万円 |
三等海尉 | 10.5万円 |
航海長 | 9~21万円 |
船匠 (一等級艦) (三等級艦) |
19.4万円 14.4万円 |
掌帆長 (一等級艦) (六級艦) |
14.4万円 9万円 |
掌砲長 | 9~14.4万円 |
主計長 | 6.15万円 |
先任衛兵伍長(一等級艦) (六等級艦) |
8.325万円 6.9万円 |
軍医 (20年勤続) ( 6年勤続) |
81万円 48万円 |
従軍牧師 | 37.5万円 |
指導教官 | 7.2万円 |
司厨長 | 4.25万円 |
航海士 | 6~7.8万円 |
操舵手 | 6.825万円 |
船匠見習 | 7.5万円 |
填隙係 | 7.5万円 |
掌帆手 | 6.825万円 |
製綱手 | 6~7.5万円 |
縫帆員 | 6.825万円 |
掌砲手 | 6.3万円 |
艦長付書記 | 5.85万円 |
艦付衛兵伍長 | 6.3万円 |
衛生兵 (2~3年勤務) (1年勤務) |
21.75万円 18万円 |
士官候補生(一等級艦) (三等級艦) (六等級艦) (15歳以下) |
8.25万円 7.2万円 6万円 2.25万円 |
水兵 (A級) (一般) (おか者) (少年水兵) |
4.95万円 3.825万円 0.375~0.45万円 1.65~1.95万円 |