9.  ポーツマス Portsmouth (その1)

12 時にバスはここを出て45分後にポーツマスに入った。街中というよりちょっと外れという感じの家並みにあるグリーン・ポスツというレストランで昼食。ここ も予約済みのところでグリーンピース添えチキン、サラダ、フライドポテトと盛り沢山。デザートはアイスクリーム添えのケーキと、もちろんビタービール半パ イント。われながらよくも入ると思う。イギリスは喫煙には割と寛容で、室内はもちろんダメだが路上では自由に吸える。わが仲間の煙突族はその点でわが世の 春だ。

 

 

そして14時7分にはポーツマス軍港に到着。何といっても今回の目玉中の目玉、というところ。ところが、真っ先に安藤さんが声を上げた。
「あれー、マストが見えないよ、修理中じゃないかなぁ!」
もちろんお目当てヴィクトリーのことだ。門をくぐればどうしたってあの巨大な戦列艦が圧倒的な姿を見せるはずなのだ。建物の上にロープ群をまとったヤードが見えなければ、それを降ろしているとしか考えられない。案の定トップマストから上は見当たらなかった。

 

 

 

まあそれでも現役艦として存在している唯一の戦列艦だから、何はともあれその前で写真を撮ろうよ、というのがこれ(上の写真)だ。ヴィクトリーの見学は明日のお楽しみで、われわれはまずメアリー・ローズに向かう。

 

メアリー・ローズがどんな形をしていたか、作者は不明だが1545~1550年頃に描かれたという絵画が残っている。ドーバーでの乗船と題して「メア リー・ローズはおそらくこの絵の最前面にある船で、船尾と旗に王室の紋章をつけている。ヘンリー8世は彼の海軍における最大の船であり、金色の帆を持つ Henry a Dieuの甲板に立っている」とある。


やや誇張はされているのだろうが、メアリー・ローズの大型キャラックの特徴がよく出ている。ヘンリー8世は大変な人のようで、6人も女房を変えたこともさ りながら、「1509年に王位を継承した時、父親のヘンリー7世から5隻しか船を引継がなかったが、彼は大艦隊を作った」という意味の掲示があった。海軍力の増強に精力的に取り組んだようだ。

 


ついでにというわけでもないが、当時の大砲の展示もあって、特にその装飾が見事だ。前述のチャールスタウンではないがこのころから大砲鋳造には粘土が使われたはずだ。もっともブードリオの本では、装飾品はロストワックスと書いてあったからそこは粘土ではなかったろう。

1510年建造というから、メアリー・ローズはヘンリー8世が王位を継承した翌年に建造されている。そして1545年に沈没し、1982年に引揚げられる まで437年も経っていたのだから、残骸が残っているのが不思議なぐらいでよくもここまで保存できたと感心する。特に各デッキの構造や船底のマスト受けまで説明してある。

 
同じような引き上げ保存をしているスエーデンのヴァーサも見ているが、こちらの方は条件がよくて船体上部がかなり残っている。したがって船としての全容を 見せるための雰囲気と技術的な工夫がなされており、かの国のヴァーサに対する国民的な敬意と愛情をひしひしと感じたものだ。メアリー・ローズにはまことに 残念ながらこういった雰囲気はない。それだけ保存が難しいのかもしれないが、ヴィクトリーを始め保存艦や保存船がわんさとあってその中の1つという扱いに なってしまうのだろう。とはいっても、もちろんその保存の努力と執念に大いなる敬意を抱いたことは当然だ。

王立海軍博物館はもっぱらネルソン提督を称えるものとぼくには映った。人間臭くて偉大な海軍軍人だったネルソンを英国人がわがことのように思うのは理解で きるし、その展示も素晴らしい。しかし何となくパリはナポレオンでもち、ポーツマスはネルソンでもつと、ちょっと僻みっぽく言って見たくもなる。横須賀は トーゴ―ではもたないからでもある。ことの良し悪しは別として、フランスが陸軍国であり、イギリスが海軍国である1つの証左ではあるまいか。

門を入って右側の岸壁にはH.M.ウォーリアが係留されている。これがまた見事な船で立派なマストを備えたシップ型の帆船でありながら、近代戦艦の元祖であるという。小型で効率のよくなった蒸気機関、ライフル付き後装砲、装甲に使われた新素材、スクリュー推進などなどがそういわせているらしいが、目につくのはバウチェイサーの位置にある大砲だ。後込めのいかにも威力のありそうな大砲で、模様のように描かれたレールで実際にどの角度でも撃てそうに見える。操作は大変だろうがカノン砲やカロネード砲に比べたら天と地ほどの違いだ。

 

 
この船は1861年の就役。グレート・ブリテンの初航海が1845年だから、たかだか16年ほどでこれだけの進歩をしている。しかし、しかしこの新型艦も10年ほどでもう時代遅れになったという。19世紀という時代がいかに進歩の速い時代であったか、それもまあ、いってみれば主に軍事面で、ということか。20世紀から21世紀にかけてももちろん情報を含めて同じような目まぐるしい時代ではある。この幾何級数的な進歩?がどこまで続くのか、考えてみると恐ろしい。

 まあそれはともかく、目についたのはかなり整頓されたボイラー室で、効率のいいボラーらしくポーハタンやサスケハナの時代から僅か十数年しか違わないのにこの有様、いやすごいなあと感じる。

 

ちょっとほっとしたのは小さな貯蔵庫のような部屋で、固形石鹸の木箱があり、その横には「ブレッド」と印刷された布袋だろうか、ここにはあの乾パンではなくイギリスパンが顔をのぞかせているではないか。士官用かも知れないがもしこれが兵員用だったらイギリス海軍も随分待遇が良くなったのだ。何しろ艦内でパンが焼けるということだから。

 

 

 

3時間ほどの見学を終えてホテルに着いたのが5時25分、夕食は牛堂さん、ベテランたちと福島さん、日吉さん、堤さんを含め8人で港の方へと出かけた。
  「あった、あった、これだ!」
と田中さんが大きな声を上げる。オールド・サリーポートいわゆる「出撃門」があったのだ。乗組員にとっては天国と地獄の境になった門だからぜひ見ていらっしゃいと大森洋子さん(海洋小説の翻訳家)に言われていたらしい。

海岸に設けられた防壁というんだろうか厚い石垣に小さな門が開いている。そこに取り付けられた銘板を見ると「ジ・オールド・サリーポート:この場所から数 えきれないほどの海の英雄たちが祖国の戦いに参加するために乗船していった。」とある。意気盛んな海軍士官たちもさることながら、罪を犯して止むを得ず海 軍に志願した人たち、強制徴募によって水兵にされた民間の若者たちだってこの門をくぐったに違いない。もちろんこの銘板は公式なもので海軍のいわば裏側については何も語っていないが、大森さんはそのことも言っているのだろう。何事にも光と影がある。

 


銘板のこの記述のすぐ後に「1週間後にドマス・ダイでチャールス二世と結婚するためにキャサリン・オブ・ブラガンザが1662年5月14日にこの場所の近 くでわが国に上陸した。」と書いてある。キャサリンはポルトガル王ジョアン四世の王女カタリナのことで、詳しいことは分からないが数奇な運命を辿りしかも 大変艶福家だったチャールス二世との結婚は歴史上の大事件だったのかもしれない。このキャサリン妃については、最終日に見学に行ったハンプトンコート・パ レスで、彼女がそこに住みパレスの歴史に名を残していることがわかって何となく親しみを覚えた。

 

近くの砲台を回りその高みから湾内を見渡すと折からの夕陽を受けて小さなヨットが間切ってゆく。その昔は戦列艦もフリゲート艦もおびただしく係留されてい ただろうに、もうその姿はなくこの海はひと時の静寂に包まれて往時の軍港という感じはない。われわれは心行くまでその景色を堪能した。


やがて、ぐるりと回ってわれわれはザ・スパイスアイランド・インというパブで大いに飲み、適当に食べ午後8時まで歓談のひと時を過ごした。ポーツマスの第一夜はこうして更けていった。

 

 (福田正彦)

ウォーリアのデッドアイ
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33-31 マルタの貨物船 1:32 東康生 Leudo built by Yasuo AZUMA
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