結局いろいろ見て聞いて、博物館を後にしたのはもう午後5時に近いころで、あたりはかなり薄暗くなっていた。大島の東岸を斜めに縦断するように通り、最南端にある民宿千年松には5時半に到着。この宿は民宿と称してはいるがどうしてなかなか立派な宿だ。目の前は海岸で対岸には四国の今治市が見えるし、右手には三連吊り橋で長さ4,015メートルの来島海峡大橋も伺うことができる。
みなさーん、とガイドのおぎのさんが呼ばわって、今夜は男性4室、女性2室で泊まりますという。和室の大部屋しかないから必然的にそうなる。漁火、渦潮、瀬戸、きらめきという4室が男性の部屋、亀老、南天が女性部屋だ。どうやらIDナンバー順に決めたらしくぼくは「瀬戸」の部屋で肴倉、安藤、田中さんたち3人と一緒になった。つい不精になって、大きな浴衣を「おはしょり」するからといったのだが、田中さんがフロントに電話して一番小さなものを注文して交換してくれた。どうもそういう点が敏感に動けない。
館外にある風呂にゆっくり浸かって6時半には夕食。これが豪華だった。この土地の魚を使っていろいろ出てくるので、普通なら記録に残しておくのだが、なんだか宴会が盛り上がってとてもそんな余裕はない。ただ最後に出てきたタイ飯のおにぎりだけは旨そうだなあと思いながら、とても胃袋の許容範囲を超えていたものだからひどく残念だったことだけは覚えている。
各人がそれぞれに演説をぶった、さしもの宴会もお開きとなってそれぞれに部屋に引き上げたのだが、わが「瀬戸」にはいろいろな人たちが集まって、食べられもしないタイ飯のおにぎりまで持ってきてくれるは、最長老の坪井さんまで加わって大いに話の花が咲いた。隣の部屋にいた田中夫人がもう遅いからと心配して声をかけるぐらいの時間まで粘ったのだ。
翌朝、安藤さんは早起きの習慣があるらしい。朝の6時に目覚ましが鳴った。うちにいればまだ夢の中の時間だが仕方ないから起きだして朝風呂に付き合う。いい湯だと出てから浴衣に羽織姿で海岸に出るとちょうど日の出の時刻。これこれ、とカメラを持ち出して撮影。おまけによせばいいのに海岸をウロウロしてあちこちと写真を撮ってから部屋に帰った。
どうもこれが原因らしい。その時は何とも思わなかったのだが、やがてグスグスと鼻がおかしくなった。まさか鼻に栓をするわけにもゆかず、あたりの鼻紙を総動員する始末。おまけに帰るころには熱も出たらしくいくらかもうろうとしてきた。
まあそれでもそれは過ぎたことだ。これだけの犠牲を払って撮った写真だからここに掲げないわけにはゆかない。