4.村上水軍博物館

大山祇神社を出たバスは来た道を少し引き返し、大三島から大三島橋を渡って伯方島に入り、さらに伯方・大島大橋を渡るとそこが大島だ。四国の目の前で、まっすぐ行けば今治市に着くが今回は四国へは寄らない。水城である今治城を見たかったがまあそれは無理。

この大島の東寄りで北に開けた港の海辺に村上水軍博物館がある。もう午後4時を少し回っていたがバスが付くと博物館の入り口に小早船の実物が置いてあるのが目に留まる。もっともこれは現代船で櫓のへそが金属でできている。それでも五丁櫓の小早船は見るだけの価値はあるのでみんな寄ってたかって、ああだ、こうだといやうるさいこと。

案内によると日本一を競う水軍レースのために宮窪町が1990年に復元した第1号だそうな。東大の名誉教授小佐田哲男さんの監修で渡辺忠一さんという船大工が作ったという。実際に使われた船だから見ていて楽しい。


館内に入ると館長さんが自ら説明を引き受けてくれ、ビデオとともに安宅船、関船、小早船の説明をしてくれる。模型もちゃんとしたものでわれわれの関心をひくが、水軍城で見たものと大差はない。

それよりも興味をひかれたのはここ能島村上家の紋章で、因島村上家と比べて明らかに違う。それぞれに競ったんだろうな、と当時をちょっと覗いたような気がす る。下の写真のように上の字の下横棒は左端が曲がっていなくて、右側の短い線がかなり上を向いている。上の三本線は飾だろうか。旗印を見てあれは因島、こ れは能島と判別したのだろう。

(左)能島村上家の紋章と(右)虎蹲砲(こそんほう)
(左)能島村上家の紋章と(右)虎蹲砲(こそんほう)

展示品の中でぼくの目を引いたのが「虎蹲砲(こそんほう)」という大筒だ。説明には文禄・慶長の役に村上武吉の次男影親が韓半島から持ち帰ったとある。朝鮮銃筒であった武器を和式砲術用に改造したものらしい。村上水軍の海戦では炮烙が有名だが、こういった大筒も使われたとすると当時の水軍の火力はわれわれの想像以上のものがあったようだ。

もっともこのタイプの砲では駐退装置がないから比較的火力は小さく、近距離用であるのは明らかだが、発射時に船はかなり揺れただろうと思うとちょっと面白い。小早には無理だろうから、関船に搭載されたのだろうか。


The labels show the recent visitors. They disappear after 10 minutes of inactivity, the dots stay forever.

You can obtain detail information to each dot by moving the mouse over the 2D map at your live stats page.