2.因島水軍城

福山駅の前にバスが駐車していて、弁当を買ったわれわれはそれに乗り込む。ぎりぎりで塩谷さんたちが入ってきたが「お一人様が遅れて後で合流しますから出発します」という案内でわれわれのバスは11時58分、福山から新尾道大橋を渡って向島(むかいしま)に入る。


現地のガイドさんは最初戸惑ったようだ。なにしろ午後の出発だからいつも「おはようございます!」と大声で始まる第一声が出てこないのだという。まあ「こんにちわ、でしょうか」と笑わせて「おぎのようこ」だと紹介があった。この人は「あちらに見えますのは・・・」式の案内はしない。友達同士の会話みたいで、これは奥方が多かったせいかもしれない。


福山から新尾道大橋を渡って向島(むかいしま)に入る。
福山から新尾道大橋を渡って向島(むかいしま)に入る。

この橋から見るとなるほど瀬戸内海に入ったんだなあと思わせる風景が広がる。やがて因島大橋を渡るとそこが因島(いんのしま)だ。前に客船にっぽん丸から この島を見て、ああ村上水軍の根城だと思ったことはあるが、当然のことながら小早船も見えなければ胴丸を着けた武士もいない。


弁当を食べ終わって(これが思ったよりおいしかった)因島水軍城という城に着いたのが12時45分。山の上に小さな城が聳えている。説明書によると昭和 58年に歴史家の奈良本辰さんの監修で建てたものだという。まあ昔通りかはわからないが、山の中のような城ながら当時の海岸線を示した地図で見るとこのす ぐ下まで海だったらしいから、それなりの考証はしているのだろう。

 

そこへ「後から合流」のお一人様が到着した。それが日吉さん。列車の時間を間違えたようで、バスに乗り込んで来るなり大声で「日吉です!遅れて申し 訳ありません!」と潔い挨拶だった。それにしてもタクシーを使って追いかけたんだろうか。それだと費用も大変だったろうなと人の疝気を頭痛に病む。


それはともかく、この城に入るには石畳の坂と何十段という石段をいくつも登らなければならない。大正生まれの坪井さんに大丈夫かなあと相談したが、この人は年に似合わず階段に強い。駅で2段ごとに上るという強者だ。こういう時は一気に登らなければだめなんだよねと励まされ、ついその気になってよせばいいのに青森の肴倉さんと3人で休むことなく坂道と石段を登り切った。


ぼくは喘息持ちだ。随分と良くなって今は薬も使っていないが、この病気は治ることはない。非常なストレスがかかると必ず顔を出す。だからこの時もゼイゼイと胸が鳴って久しぶりで喘鳴のお出ましとなった。でも幸いに長続きはしなくて無事に旅を終えたのだが、あとで出てくるように風邪をひいて帰ったものだか ら、呼吸器科の先生のお世話になる羽目になった。


「はい、息を吸って! 吐いて!」
と、聴診器を当てながら先生が言う。ぼくの耳にだってぜーという大きな音が聞こえるぐらいだ。先生は「いやー、久しぶりで見事な喘鳴を聞いた。」と喜んでいる。近頃の喘息はあまり音がしないんだそうだ。


それにしても何で?と聞かれて実はこれこれと説明したらあなたの年でそんなことをするとは、笑っちゃ悪いけど笑っちゃう、とケラケラ笑う面白い先生だった。そのためにぼくは吸入薬を1個もらい、もう1個もらって非常時に備えている。

 


安宅(あたけ)船
安宅(あたけ)船
関船(せきぶね)
関船(せきぶね)
小早船(こはやぶね)
小早船(こはやぶね)

ぼくたちの目当ては城そのものではなくそこに展示されている和船の模型だ。左の写真が安宅(あたけ)船で、案内の人の話ではこの大船は村上水軍が持っていたかどうかわからないという。中が関船(せきぶね)で、安宅に比べるとかなり敏捷に動くことができ防御も攻撃もできたから、瀬戸内海で通行する船をせき止め、通行料を取るいわば関所の役割をしたのでこの名があるという。右の写真が小早船(こはやぶね)で、防御能力はないが敏捷に動くから実際の戦闘に使われ たという。

 


みんなはこの模型にご執心でロクに説明を聞いていないが、坂と石段を登ってきた甲斐はあったといっていい。この中には旗指物や武具なども展示されている。二の丸には当時の武士たちの人形模型もあって何やら相談をしている様子だ。面白かったのは鎧や兜は大将が城でいわば儀式のときに着けるもので、戦闘時には皆が胴丸という胴体を保護する武具だけを着けたという。なにしろ海の上での戦闘だから軽装でなければ仕事にならなかったのはよく分かる。

 

村上水軍は三家あるらしく、ここ因島村上家、能島村上家それと来島(久留島ともいうらしい)村上家だ。その家紋が違っていて因島と能島はいずれも「丸に上の字」だが、同じ上でも因島は下の横棒の左端がくるりと細くなって縦棒の下に届いている。能島はそれがなく右上の短い横棒の右端が極端に上を向いて曲がっているのだ。そして来島の家紋は「折敷に縮み三文字」といって八角形の枠に波型の横棒が三つある。 同じ清和源氏の流れで真言宗徒でありながらそれぞれ独立していたのだろう。

 

「丸に上の字」だが、下の横棒の左端がくるりと細くなって縦棒の下に届いている
「丸に上の字」だが、下の横棒の左端がくるりと細くなって縦棒の下に届いている


1時間ほどの見学を終え下りは楽でバスに帰る。すぐ隣には立派なお寺があって入口に「蓮禅寺」と達筆に書かれた大きな石碑が建っていたり、緑色の藻に覆われた池の石の上に亀が日向ぼっこしたりのどかなものだ。次の見学地へ出発したのは午後1時45分だった。


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