14.海上自衛隊幹部候補生学校―旧海軍兵学校

 
 

 旅行最後の日になってあいにくの雨になった。土砂降りではないがそれでも結構降っている。まあこれまで晴天に恵まれたから、1日ぐらいはやむを得ない。それでも兵学校の見学の時なのにな、とちょっと悲しい。海軍、海軍というと誤解を生じるが、ぼくは何も軍隊賛美をしているわけではない。戦争にこりごりしているのは、敗戦後の飢餓状態を思い起こすだけでも十分だ。

よく息子たちに言ったのだが腹が減ったと飢餓とは違う。いくらひもじくても明日に食べられるのならそれは飢餓ではない。腹が減ってたまらいのに次にいつ食べられるか見当もつかない状態を飢餓というのだ。これは精神的にひどく堪える。まして食べ盛りの若い時だ。

まあそれはともかく、軍国教育を小さい時から受けて、それ以外のことを考えられなかったときに、ぼくは海軍士官にあこがれた。誰もかれも予科練という名の少年航空兵に志願したころ、中学校にやってきた海軍兵学校の1号生徒だった先輩はこういった。

「戦争に兵士は重要である。しかし、それを指揮する士官がいなければ戦争は成り立たない。諸君はしっかり勉強して、兵学校に来い。」

 

きりっとした短いジャケットに短剣を吊るしたその先輩はぼくの所属した剣道部の出身でもあったから、ぼくはいっぺんに参ってしまった。友達が誘ってくれた 陸軍幼年学校をけって何が何でも海軍兵学校を受けると決心したのだ。当時の朝日新聞だったかに連載された獅子文六が本名の岩田豊雄の名で書いた小説「海 軍」を熱心に読みもした。兵学校には学力が足らなかったと思い知らされるのはその後のことだが、そんな次第で海軍兵学校には郷愁に似た特別な思い入れがあるのだが・・・。

 



「近いですが、雨なのでタクシーで行きましょう。」
ということでそれぞれタクシーに分乗して呉港のフェリー乗り場に向かう。瀬戸内海はフェリーが発達していて切符売り場には各地に行く便がいろいろ表示され ている。われわれは江田島の小用行に乗るのだ。9時25分にフェリーは呉を出発して江田島に向かう。船に乗るとみんななんとなくニコニコするのは変わりな いが、そこに1人海上自衛隊の水兵さんが乗っていた。それを見逃す手はない。

水兵さんと言っては悪いが、記章を見ると海上自衛官一等海士だ。可哀そうにまだ初々しい青年が坪井さん、藤本さん、市川さんらに囲まれて何やら一生懸命に 答えている。なんでも所用で呉に出かけた帰りらしい。船キチじいさん連に囲まれていい迷惑だったかもしれないが久しぶりに水兵服姿を間近に見ることができ た。夫人連も雨のために甲板に出られずキャビンでにぎやかに話をしている。やがて小用港に着きバスで途中まで行って後は歩いて学校へ行く。随分とバスが混 んだがこんな時間に何の用があるのだろう。

 


 

正門に着くとそこには海上自衛隊の看板があり、その下に「幹部候補生学校」と「第一術科学校」が並んでいて、さらに下には「江田島警務分遣隊」とある。ガイドをしてくれた女性自衛官によると幹部候補生学校は士官の養成、術科学校は砲術とか魚雷など実務的な専門技術を学ぶ下士官クラスの学校らしい。とりあえず江田島クラブという集会所に集まってくれというのでぞろぞろとそこに向かう。ぼくは寒いので緊急事態になり止むを得ず途中にあった売店に駆け込んで用を済ませる。だから女性自衛官の名前を聞きそこなった。後で名札を確かめると「松永」とあった。

彼女は記章が腕章でよく見えないがおそらく三等海曹だと思う。細身のちょっと悲しそうな顔をしているが実によく面倒を見てくれた。みんなを引き連れてまずは大講堂に向かう。もちろん案内をしながら傘をさすことはしない。しかもわれわれの方を見て後ろに下がりながら説明する。これはちょっとした技術で訓練されているのだろう。われわれを老人と見なしていたようで、後に下がりながら皆さんが迫ってくるので驚きましたといっていた。思ったより足が速いといっているのだが、船キチじいさんを見誤ってはいけない。

この大講堂は入校式や卒業式に使われるそうでかなり広い。

「私は普通の声でご説明しているのですが、後ろの方にもよく聞こえると思います。ここは声が通るように設計されているのです。」

なるほど、うしろにいてもよく聞こえる。中央の赤絨毯に入ってはいけないといわれたが、ここは卒業式の時に学年で首席のただ1人だけが上がることのできる階段だそうだ。昔でいえば恩賜の短剣を授与されたのだろう。今はなにを与えられるか、それは聞きそこなった。

この松永さんは話をしてみると面白い人で、艦上勤務はなかったかと聞くと私は船に酔うんですという。フェリーでも怪しいというから海上自衛隊の海曹としてはちょっとねぇという感じだが3カ月ほどでどうやら音を上げたらしい。それだから広報官になっているのかもしれない。女性海上自衛官は格好いい帽子をかぶっているのだが、これは防水にはなっていないという。雨の中を歩くときには困るだろう。士官も同じ帽子ですかと聞くと形は同じでも金色の線が入ったり、更に上級になると柏の葉が入ったりでかなり派手になるという。

「私たちは、カレーライスと言っているんですが…。」

と笑う。上が白で回りが黄色だからなんだとか。そのあたりが士官と下士官の昔ながらの関係がのぞいて思わずにんまりする。

 


大講堂を出ると右に幹部候補生学校庁舎が見える。赤レンガで英国製のレンガを輸入して建てられたといわれているのだが、実際には国産品もかなりあるらしい。この建物の横に回ると長い廊下が見えて、テレビで放映された「坂の上の雲」の中で長い廊下を生徒が駆け抜けるシーンを撮影したのがここだそうだ。中には入れないが外からその廊下を覗く。かなり長い。大和の長さとどうだとか説明を受けたが、それは忘れてしまった。

そこを過ぎると「教育参考館」がある。白亜のこの建物は東郷元帥の遺髪があるので有名だが、旧海軍からの伝統的な資料を備えている。戦後は進駐軍に接収されないためにかなり移設したらしいが、接収解除後に多くを復元したらしい。

この館内は撮影禁止で写真はないが、じっくり見て回るだけの価値はある。松永さんはご親類に兵学校卒業の方はいらっしゃいませんか、という。もしいらしたらあそこに、と壁面をさして全員の名前が書いてありますという。勉強しなかったばっかりにぼくの名はないが、良かったか悪かったか。それにしても海上自衛隊は海軍の伝統が脈々と残っているんだなあと感心する。こういうことは現地で見たり聞いたりしないと実際にわからない。教育参考館の内部については、いろいろ書きたいこともあるが、実を言うとあんまりはっきり思い出せない。いくらかもうろうとしていたせいもあり、またメモが全くないせいもあ。

 

1時間半の見学が終わってまた江田島クラブに戻る。終わりに松永三曹はここでおそらくみなさんカレーライスを召し上がるのでしょうがと言って、海軍とカレーの縁をちょっと話してくれた。しかしわれわれの昼食は普通の弁当形式で残念ながらカレーではなかった。

 

帰るまでの時間、このクラブの売店でみんなそれぞれ買い物をしたが、ぼくが買った「兵学校カレー」が家に帰ってから食べたら意外においしかった。レトルトに紙を張っただけのそっけない包装だがもっと買えばよかったね、と今でも思っている。

幹部候補生学校から小用の港まではちょっと距離がある。まだ降り止まない雨にタクシーに分乗して帰ることになった。もう用は終わったはずなのに門の前でタクシーに乗るまで松永三曹は世話をしてくれた。扉を閉めて出発する際に会釈したら彼女はほれぼれするような海軍式の敬礼で見送ってくれたのだ。

海軍は艦内が狭いから陸軍のような肘を張った敬礼ができない。まず直立の姿勢をとり、右腕をまっすぐ前に直角まで上げる。手のひらは当然左を向いている。そこから水平に45度の角度まで右に腕を回す。さらにここから下向きに45度の角度になるまで下す。そして肘を曲げると丁度指先が右目のわきに届く。これが肘を張らない海軍式の敬礼で、きちんと行うと誠に格好がいい。松永三曹の敬礼はいかにも海上自衛官の見送りだった。


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