11.海上保安資料館

呉軍港の軍機海図
呉軍港の軍機海図

10時50分にバスが出発してまた呉市に戻り、11時32分に海上保安大学校に到着した。このころになるとぼくは完全に風邪の初期症状を呈していて何回鼻をかんでも際限もなく出てくる。体中の水分が出てしまうんじゃないかとそっちの方が気にかかるが、そんなことを言ってはいられない。ほんとなら鼻紙を丸めて鼻の穴に突っ込んでおけばしばらくは持つのだが、八十代のじいさんのすることではないし、第一うちのかみさんがうんと言うはずがない。というわけでそこら中のティシュを集めて回ることになった。

それでもここへ来るまでにバスは呉港の沿岸を通って走るから海上自衛艦を含めていろいろな景色を見ることができる。広島名物のカキの筏あり、大型タンカーが泊まっていたり、溶鉱炉あり、建造中のタンカーありで、船キチじいさん連はバスの中で燥いでは写真を撮っている。地は争えない。ぼくもまあその一人だ。



われわれの目的はここ海上保安大学校の構内にある正式には「海上保安資料館」の見学だ。この資料館は1980年に海上保安庁創立30周年の記念館として建 てられたという。初期の巡視船やヘリコプターなどの資料が展示されている。中に入ると意外なことに夫人連が興味を持って見学している。海上自衛隊よりも海 上保安庁の方が身近に感じるのかもしれない。

ちょっと興味を覚えたのは昭和天皇が皇太子の時代に、葉山の御用邸で漕いだといわれるスライディング・フォアだ。いわゆる競技用のボートで座席がスライド する4人乗りの小さな船だ。ぼくは中学生のころに学校にあったフィックス・エイトを漕いだことがある。8人乗りのかなり大型艇だが、オールが重くて漕ぐの が大変だった。それでもクラス対抗の競技会で漕いだのだから今でもボートを漕ぐのは自信がある。

このボートは長さ9.85m、幅95㎝、深さ48㎝と記載されているが、コクスンの席に菊の御紋章があるのがいかにも皇室用だ。今うちのかみさんは赤十字 の特殊奉仕団で「昭和天皇実録」の音声訳記録をしていて古いことを聞かれることがあるが、その内容を見ると天皇はわれわれが想像できない程ご多忙で、しか もあらゆることを習わなければならなかったことがわかる。だからボート競技も必ずしもお楽しみで漕がれたのではないのかもな、と邪推をしてみたくもなる。


「軍機海図」というのがあった。戦時中水路部は軍の所属で、一般船舶用の海図と軍艦用の海図の両方を作っていたという。ここにあるのは呉軍港の軍機海図で、言ってみれば軍事機密が展示されているのだ。戦時中にこれを持っていたら間違いなく憲兵に引っ張られただろうな、これを見れば「戦艦大和」がどこで作られたか一目瞭然だからだ。

もう一つ、目を惹くものがあった。「軽合金製の巡視艇構造フレーム」が展示されているのだ。軽合金の詳しいことを書いていないが、おそらく「超ジュラルミン」か「超々ジュラルミン」ではあるまいか。昭和23年3月に竣工した巡視艇「あらかぜ」に初めて使われている。20年間海上保安庁の巡視艇として就役し、更に7年間海上災害防止センターの訓練艇をしていた。昭和56年1月に解役となったが、腐食も歪も一切なかったという。これがもとになって現在では高速艇にこの軽合金が使われて軽量化に一役買っているし、更には500トン、30ノットクラスの客船にも使われているという。わずか40分ほどの見学だったが、鼻水を垂らしながらぼくは興味津々だった。

PLH21ヘリコプター2基搭載型巡視船「みずほ」昭和61年竣工
PLH21ヘリコプター2基搭載型巡視船「みずほ」昭和61年竣工

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